フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月11日(金) 晴れ

2015-09-12 03:44:05 | Weblog

8時半、起床。

ハムトースト、サラダ(トマト、レタス)、梨、紅茶の朝食。

11時に家を出て、神楽坂へ。青い空と白い雲。

「SKIPA」で卒業生のマユミさん(一文、2000年卒)とランチ。

彼女はこの夏、健康上の理由でパートの仕事を辞めて、いまは大人の夏休みを満喫している。

2人とも定食を注文。鶏肉団子と大根のこっくり煮。

のんちゃんとおしゃべりをしているマユミさんを写真に撮る。仕事をやめて楽になったからだろう、表情が柔らかくなり、生き生きとしている。

のんちゃんがマユミさんのピアスに着目。「ヒトデのピアスよね?」 「そう、ヒトデのピアス。」いま、人気らしい。

外して見せてもらう。これがヒトデのピアスか。星のピアスではなくてね。

今度は宙太さんと屋久島の話をしている。やっぱりいい表情をしている。どんなに無理をして仕事をしていたのかが、逆にわかる。

そのうちまた外に出て働きたくなるかもしれないが(たぶんそうなるでしょう)、当分は、二人の娘さん(小3と年長さん)の母親としての自分を最優先した生活をされるのだろう。

2時間が経過した。そろそろお迎えと下校の時間だ。

これは新車。マユミさんのお宅はここから自転車で5分。坂の多い街に住む小さな子どものいる女性には電動自転車が欠かせない。

さようなら。また、会いましょう。いい笑顔だ。

マユミさんを見送った後、私にはもう一人、見送るべき人(?)がいる。今年の夏だ。

去りゆく夏を見送ることは、毎年、この時期(9月中旬)の重要なミッションだ。

東京駅から横須賀線に乗って、いざ、鎌倉。

若宮大路を南に下る。ひたすら歩く。

そろそろ海岸(由比ヶ浜)だ。

砂浜では海の家の解体工事が終盤にさしかかっていた。そう、このタイミングなのだ。営業中の海の家があってはダメ(まだ夏は居座っている)。海の家が影も形もなくなっていてもダメ(もうすっかり秋だ)。解体中の海の家、それが夏を見送る舞台装置だ。

そして、行く夏を惜しむ人々。

若者たちが夏を引きとめようとしてはしゃいでいる。

由比ヶ浜は、海に向かって、滑川の右側が由比ヶ浜海岸、左側が材木座海岸である。夏の間だけ、二つの海岸をつなぐ仮設の木造の橋がかかる。まもなくこれも撤去される。

行く夏を惜しみつつ渡ろう。

外国人の女性サーファーに追い越される。

サーファーはけっこういる。

ウィンド・サーフィンをしている人も多い。

海水浴をする人もいないことはない。

カラスやトンビもたくさんいる。

一人でたたずむ(女)。

一人でたたずむ(男)。

2人でたたずむ(カップル)。

2人でたたずむ(母と子)。

3人でたたずむ(女友達)。

たくさんでたたずむ(仲間たち)。

 人がいるのは波打ち際で、砂浜全体を見渡すと人は少ない。 

 入道雲。

空の波頭のようだ。

 

 そろそろ帰ろうか。

さようなら、今年の夏。

 海岸沿いのレストラン2階の窓ガラスに海が写っている。

あっ、あなたを撮っているのでありません。海を撮っているんです。

由比ヶ浜通りの「こすず」で一服していく。

 

わらび餅。

この外国人の女性は常連さんのようで、わらび餅を蜜なし(黄な粉のみ)で食べていた。

 ところ天。誰も真似をしないが、わらび餅の後で食べるところ天(醤油と辛子)が最高に美味しいのだ。

鎌倉に行ったときのお土産はこれに決まっている。

6時半、帰宅。鳩サブレーを見た妻は、「鎌倉に行っていたのね」と言った。

夕食は松茸ご飯、鮎の塩焼き、焼き茄子、サラダ、味噌汁。

今年初めての松茸ご飯。先日の秋刀魚の塩焼きに続いて、秋の三大味覚を食す。残るはカキフライだ。

鮎の塩焼きは両手で持ってかぶりつく。美味い。

焼き茄子も美味しい。今夜の献立は星3つです。

明日から青森旅行に出かける(ブログの更新はお休みします)。