フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月29日(木) 晴れ

2015-10-30 09:02:38 | Weblog

7時半、起床。

明け方、一度、目が覚めたとき、眼が痛かった。眼が痛くて目が覚めたのかもしれない。昔、ウィルス性の結膜炎(流行り目)を患ったことがあるが、そのときの痛みに似ている。しかし、白目は充血していないので、結膜炎ではなさそうである。

眼を使うのがつらい。テキストを読むタイプの授業は休み、聞いたり、話したりするタイプの授業だけやることにする。

朝食はとらず、9時に家を出て、大学へ。

10時からTさんのゼミ論指導。

11時からSさんのゼミ論指導。

昼食は「たかはし」に食べに行く。

鰤(ぶり)の一点盛りにも惹かれたが、朝食抜きで腹ペコだったので、 定食の王道、豚肉生姜焼き定食を注文。しっかり食べる。

スロープと工事現場の間の道が少し広くなって歩きやすくなった。

新しい記念会堂(という名前なのだろうか?)の工事は平成30年11月末までかかるようである。あと3年か・・・。

 現代人間論系の同僚の大藪先生から雑誌『発達』をいただく。併せてゼミの公開講演会のチラシをいただいたので、ご紹介しておく。

  久保田まり氏(東洋英和大学教授)による「子どもの愛着障害とリジエンス」。*「リジエンス」とは「心の回復力」の意味

  11月19日(木)5限(16:30-18:00)

  戸山キャンパス31号館205教室

同じく現代人間論系の同僚の岡部先生から新著をいただいた。

寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治『ズレてる支援!ー知的障害/自閉の人たちの自立生活と重度訪問介護の対象拡大』(生活書院)

以前頂戴した同じメンバーによる『よい支援?-知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』(生活書院、2008)の続編である。寺本が「あとがき」でこう書いている。「『よい支援?』では難しいと言いながらもまだ断定的で明るい前向きな話も多かった。けれども本書は難しい。身も蓋もない話が多く書かれている。/それまでうまくいっていると思っていたことや正しいと思っていたことが、実は誤解の上に成り立っていたのだと気がついたとき、わかったうれしさと同時に深く後悔する。わかったことはほんの少しであって、多くのことを誤解したまま、でも表面上はうまくいっているから、誤解していることに気がつかないままでいる。私たちは、迷い悩み続ける中で、それでも日々の暮らしを廻し続けている。」(371頁)

その通り。私たちはみなズレを抱えて生きている。だからズレがあることそれ自体をあまり深刻に考える必要はない。それは人生の常態なのだ。ただ、問題はそのズレの大きさ、ズレの程度である。ズレから生じるストレスが忍耐の限度を越えて大きいとき、あるいは限度を越えて大きくなりそうだと予感するとき、わたしたちはそのズレをなんとかしようとして行動に移る。多くの場合、そうしたズレは構造的なものだから、ピンセットでつまんでポイというわけにはいかない。生活の(あるいは社会の)構造に手を付けなければならない。それはエネルギーのいる作業である。そうしたエネルギーの源泉の1つは、大切な他者の存在だろう。

岡部先生が書かれた「第3章 亮佑の自立と自律」はあの震災の日のことから始まっている。

「しまった。強い揺れがおさまったときにそう思った。これは電車が止まる。帰らなくちゃ、すぐに、とも。職場の大学で研究会の最中だった。いっしょに記念会堂前まで退避した参加者にそそくさと詫びて別れを告げ、すぐに自宅のある三鷹方面に向かって歩き始めた。/五時前にもかかわらず、帰路につく人たちで歩道はすぐに一杯になった。被災地の様子は皆目わからなかったが、新宿の大ガードにさしかかったとき、家電量販店の壁面ディスプレイが東北の街を巨大な津波が押し流していくさまを映し出すのが見えた。その前で声もなく立ちすくむ人々を押し流すように通り過ぎていく人のうねりが津浪の映像と重なりながら、今でも蘇る。/携帯で連絡がとれて、亮佑が無事に帰っていることがわかった。いつものように特別支援学校に介護者が迎えにいってくれていたのである。でも、亮祐自身よりも、介護者が帰り、彼とふたりで取り残されているつれあいのほうが気がかりだった。亮祐は不安定になっているに違いない。亮祐と添い寝をするのは私の役目なので夜までに帰宅しなければならない。はやく帰らなくちゃ。はやく帰らなくちゃ、はやく三人いっしょになりたい、と気が急いた。/自然と歩みが早まり、職場のある早稲田から自宅まで20キロほどの道程を四時間あまりで歩き尽くしてしまった。帰り着いた街には都心とは異なるおだやかな日常が流れ、亮祐の顔をみて心底ほっとする。つれあいも思いのほか落ち着いていた。痛む足をさすりながら、繰り返し流される津浪の映像を眺めたのち、亮祐に添い寝しながら、これが「世界の終わり」だとしても、今はこうしていたい、なんか『渚にて』みたいだな、とぼんや思いながら眠りについたことを覚えている。」(65-66頁)

そうか、岡部先生もネヴィル・ショートの『渚にて』(創元社SF文庫、1965)の読者であったのかと、妙なところで共感した。

生協戸山店で本を購入。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。よく喋った。

7時に大学を出る。

地下鉄に乗る前に「あゆみブックス」に寄って雑誌と本を購入。

雑誌『MONKEY』7(スウィッチ・パブリッシング)

西村賢太『東京者がたり』(講談社)

松浦弥太郎『ひとりでいること みんなとすること』(PHP研究所)

眼が痛いのによく本なんか買う気になるよなとわれながら呆れる。

老後の不安といってもまだ漠然としたものだが、眼が悪くなって本が読めなくなったら辛いだろうなと思う。ちなみにいまのところ私は眼鏡ともコンタクトレンズとも無縁の生活をしている。

8時、帰宅。

夕食は焼肉(ジンギスカン)。昼食といささかかぶっているが、そのことを妻に告げると、「豚と羊は全然違うじゃない」と言い放った。確かに。豚はブーと鳴き、羊はメ~と鳴く。全然違うよな。ぶーぶー言わずに食べることにする。

デザートはマロンのプチケーキ。