8時、起床。
トースト、カレー、サラダ(ゆで卵)、紅茶の朝食。
昼から大学へ。
スロープ上の桜は見頃にはまだ遠い。
一方、八重椿は満開である。
はちきれそうに膨らんだ蕾。
開花が始まったばかりの蕾。
セミの脱皮の過程を見るようである。
「桃から生まれた桃太郎」みたいな。
十分に開き切った八重椿。
「咲き乱れる」とはこういう状態をいうのだろう。乱れて、淫らでさえある。
武蔵野大学の上岡先生と、卒業生のサチコさん(2001年、二文卒)が研究室にやってきた。
上岡先生は一昨年の夏以来、2年ぶり2度目のブログ登場である。
彼はいま教育学部長の要職にあり、とてもえらいのだが、どうも「先生」と呼ぶのはしっくりこない。「上岡君」である。というのも、彼は私が学生時代、近所の学習塾で講師をしていてときの生徒(中学生)だったからである。さらに彼は私と同じ高校(都立小山台高校)に進学し、私と同じバドミントン班に入り、そこでときおりOBとしてコーチに行っていた私の指導を受けていたからである。つまり彼にとって私は「先生」であり、「先輩」なのである。
一方、サチコさんは、数年前から武蔵野大学の職員をされている。何かの折に、彼女が早稲田の二文の出身で、社会学を勉強していたことが話題になり、上岡君が「大久保先生って知ってる?」と尋ねたところ、「はい、大久保先生の授業を受けていました!」と彼女が答え、私の話題で大いに盛り上がったそうである。そのとき、その場で、上岡君が私に「〇〇サチコさんってご存知ですか?」とメールを送ってきた。たった一行の、「早稲田の卒業生で」とかの注釈も何もないメールで、私はすぐに誰のことかわからなかった。続くメールで事情がわかり、おぼろげながら彼女の顔を浮かんできた。「サチコ」といのは私の妻と同じ名前であり、それが記憶の糸に繋がっていた。
私が上岡君に「今度カフェでもご一緒に」とメールを返すと、「善は急げといいましから、3月のどこかでいかかでしょう?」と帰ってきた。私は内心、「善は急げ」よりも「思い立ったが吉日」の方が用法としては適切ではないかと思ったが(私は塾で国語を教えていたのだ)、それには触れず、「そうしましょう」と返事をし、スケジュールを調整し、今日の約束が決まった。
という不思議な縁のスリーショット。
サチコさんは「たぶんあの人だろう」と思っていた人だった。卒業以来、16年ぶりの再会である。「先生もお変わりありませんね」と彼女が言ったのはたぶんお世辞ではないだろう。
研究室で少しおしゃべりをしてから、昼食を食べに出る。
「たかはし」に行く。
上岡君は豚肉生姜焼き定食、サチコさんは焼き魚(サバ)定食を注文。
私は煮魚(銀むつ)定食(ご飯に軽めで)。
普段、あまり魚の定食は注文しないのだが、たまにはいいものである。
食後のお茶は「カフェゴト―」で。
私と上岡君はシナモンミルクティー。サチコさんはセイロン風ミルクティー。
3人ともお腹いっぱいであったが、私とサチコさんは1個のあんずのフランを2つにカットして食べた。
これで半分。デザートにはこれくらいがちょうどいい。
学部長としての仕事がある上岡君は一足先に席を立った(「ここは私が」と言ってレシートを持って行った)。
その後、サチコさんとはもうしばらくおしゃべりをした。彼女は早稲田を卒業した後、埼玉大学の大学院に進学し、いまの職場は3つ目だそうである。今日はお休みではなく、中抜けしてやってきてくれたのである。「朋あり遠方より来る。また楽しからずや」と昔の中国の詩人は言った。「教え子についてもまた然り」と私は思う。
どうぞお元気で。また会いましょう。
大学に戻り、戸山図書館でに本を借りに行く。
図書館前の桜はスロープ上の桜より開花が進んでいる。
現代のエスプリ別冊生活文化シリーズ3 藤竹暁編『現代人の居場所』(2000年)。
2017年度に新設を考えている科目の参考書として。先行してゼミで読んでみようかしら。
夕方から現代人現論系の教員懇親会。26号館15階の「森の風」。以前、「西北の風」という名前であったが、運営会社が変わったのである。
非常勤の先生方も多数出席いただいた。
論系の教員でもあり、文学学術院長でもある大藪先生は挨拶を終えられると風のごとく去られた。会議、会議の日々なのだ。お疲れ様です。
岡部先生(右)はずいぶん痩せられたのでそのことを尋ねると、この1年間、計画的なダイエットに取り組まれたそうである(ライザップではありません)。
森山先生(左)は就任1年目を無事終えられた。私のブログの愛読者だそうで、そのうちカフェをご一緒する約束をした。
懇親会は2時間ほど続いた。
9時、帰宅。
本日の日記を付ける。これで2016年度版のほぼ日手帳カズンはお役目ごめんである。
3時、就寝。