8時半、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日は都議選の投票日。近所の投票所(相生小学校)に行く。
投票をすませる。
お隣の女塚神社にお参りをする。選挙とは無関係。
その足で、神楽坂で。今日は2カ月に一度の句会の日。
投票に行くので早めに家を出たせいで、定刻15分前に「SKIPA」の到着。
私が一番乗りだ。
私の声を聴きつけたのか、お隣の「トンボロ」からヴェルデ(常連さんのペット)がやってきた。
膝の上に乗せてやったらしばらくそこにいた。
シークワーサー(ソーダ)を注文。
あゆみさん、こかよさんがやってきた。
そして全員集合。本日の出席者は7名(紀本さん、萬笑さん、恵美子さん、蚕豆さん、こかよさん、あゆみさん、私)。加えて投句のみさんかの東子さん。
8名×3句の24作品を紀本さんが詠み上げてから、選考スタート。一人が序列(天地人)を付けて三句を選ぶ(天=5点、地=3点、人=1点)。
私が選んだのは次の三句。
天 旱梅雨(ひでりづゆ)バナナの黒点数へけり
地 生ビール過剰な相づち兜町
人 曇天を好天と言ふ夏のあり
全員の選句が終わり、集計した結果は、入選は以下の14作品。作者は選評の後に明らかにされる。
11点(特選) 旱梅雨バナナの黒点数へけり 恵美子
私が天、紀本さんとこかよさんが地を付けた。「旱梅雨」と「バナナ」と夏の季語が2つ入っている。季重なりは避けるべきとされているが、「旱梅雨」がジリジリとした夏の暑さを表し、「バナナの黒点」が夏の色彩を表している。この組み合わせの妙がこの句の見どころである。もしセオリー通り、季語を1つにするとすれば、残すのは「バナナの黒点」の方だろうが、バナナの皮の黒い変色それ自体には暑さの感覚は希薄であるから、ジリジリとした暑さを感じさせる表現を、しかし季語を用いずにしなくてはならなくなり、それはなかなか難しいだろう。
10点 縦書きの字の立ち込めり五月雨 あゆみ
萬笑さんと蚕豆さんが天を付けた。絶え間な降り注ぐ五月雨を「縦書きの字」に喩えたところが見どころである。ただ、「立ち込めり」はどうだったか。「立ち込める」というのは霧や煙によく使う言葉で、一定の空間の中に充満し漂っている感覚である。しかし、五月雨は霧雨とは違って不断に落下するものだから、「立ち込めり」という表現はなじまない。
6点 夕立の潜入捜査永田町 紀本直美
恵美子さんが天、あゆみさんが人を付けた。今回、紀本さんは三作品とも町の名前を読み込んだ。「町シリーズ」である。面白い趣向である。私は「町シリーズ」の他の作品を選んだが、もし「潜入捜査」が「強制捜査」であったらこの句を選んだかもしれない。「夕立」には「強制捜査」あるいは「立入調査」の方がマッチしていると思うからである。
5点 夏至の日の晩夏の如き決意あり たかじ
私の句。紀本さんから天をいただいた。「夏至」と「晩夏」、二つの夏の季語が入っている。もちろんうっかりでははない。現実の時間は夏至(夏のピーク)だが、心理的な時間は晩夏(夏の終り)である。人生の夏(朱夏)の終りを感じつつも、ここでもうひと頑張りしてみようという強い思いを詠んだものである。
5点 ヤドカリの野望の果ての夏の浜 たかじ
私の句。こかよさんから天をいただいた。ヤドカリの野心とはマイホーム的立身出世である。より大きな家(貝)を求めて頑張ってきたが、それほどの結果を出せず、「私の人生、こんなものだろう」と夏の浜辺で空を見上げるヤドカリ(死んではいませんよ)を詠んだ句である。芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」が頭の片隅にあったが、虚しさではなく、愛すべき小市民を描きたかった。
5点 歌舞伎町マイクロミニのサーフィン 紀本直美
あゆみさんが天を付けた。「町シリーズ」の一句。私は「マイクロミニ」という言葉を知らなかった。丈の非常に短いワンピースのことだという。そうか、いいね(笑)。
4点 生ビール過剰な相づち兜町 紀本直美
私が地、萬笑さんが人を付けた。「町シリーズ」ではこれが一番出来がよいと思った。仕事終わりの証券マンたちが生ビールを飲みながら、上司か先輩社員の話に過剰に相槌をうっている姿が浮かんでくる。彼らにとって仕事の時間はまだ続いているのである。
4点 昼寝猫耳ふと動く春の潮 萬笑
恵美子さんが地、蚕豆さんが人を付けた。蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」を意識した句だろう。作意はわかるのだが、「昼寝」が夏の季語であることをうっかりしたのではないか。この季重なりはマイナスポイントである。寝ている猫が小さな物音に耳をピクリとさせる姿はよく見かけるが、「ふと動く」はもう一工夫ほしかった。
3点 点滴がほろほろと落つ夏休み 蚕豆
萬笑さんが地を付けた。点滴を受けているのは少年だろうか。楽しいはずの夏休みを病院のベッドで過ごすことになるなんて・・・「ほろほろと」という表現から「点滴」が少年の涙のように見える。
3点 雨だれの心地よき朝歳を知る 東子
あゆみさんが地を付けた。「歳を知る」というのはどういう意味だろう。二つ考えられる。一つは「今日は私の誕生日だ」と気づくということである。もう一つは「私ももう歳だわ」と感じることである。「心地よき朝」という言葉は後者とは結びつきにくい気がするので(たとえば歳を取ると熟睡したという感じがなかなか得られなくなるのである)、前者かと思うのだが、でも、誕生日が嬉しいというのはある年齢までですよね。
3点 紫陽花のころ実印をもらひけり あゆみ
蚕豆さんが地を付けた。意味の分かりにくい句だが、作者の解説によれば、結婚して(6月頃だったのだろう)自分の実印を作ってもらったときの気持ちを詠んだものとのこと。自費で作ったのだが、判子屋のおじいさんが心を込めて作ってくれたので、「もらいけり」という表現になったようである。
2点 葛餅に蜜かけすぎし老紳士 たかじ
こかよさんと紀本さんから人をいただいた。「葛餅に蜜かけすぎし」まではすぐに決まったのだが、誰を主人公にするかで迷った。「乙女たち」とすればにぎやかな句にだろうだろう。しかし、ここは女性でなく男性、それも老人に登場してもらうことにした。イメージは今年の1月に亡くなった「おヒョイ」こと藤村俊二さん。うっかり蜜を掛け過ぎてしまって、「オッ」という小さな声を出している姿を想像した。寺町の静かな午後の風景である。
1点 青時雨ペトリコールとジオスミン こかよ
恵美子さんが人を付けた。私は(多くの人も)「ペトリコール」や「ジオスミン」が何かを知らなかった。作者も最近まで知らなかったのだが、知って、この言葉を使って句を作って見たかったとのこと。「ペトリコール」は雨の降る前の土の匂いで、「ジオスミン」は雨の降った後の土の匂いであるとのこと。そうなのか、私は何かの薬の名前かと思った。ただし、私の想像もあながち間違いでないのは、両方とも匂いの成分を指す言葉であるからである。
1点 曇天を好天と言ふ夏のあり 恵美子
私が人を付けた。作者の解説によれば、晴れの日だから好天ではなく、曇りの日も、雨の日も、好天と感じることがあるということである。私が卒業生の結婚披露宴のスピーチでしばしば引用するジョン・ラスキンの「雲」という詩と言わんとすることろは同じだろう。「世の人々は今日はよい天気だ また、悪い天気だ、などというが、天気によいも悪いもありはしない みなよい天気ばかりである 種類が違うだけなのだ 晴れたよい天気 雨の降るよい天気 風の吹くよい天気 という違いがあるだけ」。
全体としての印象は、キーワードになる語句の選択に多くのエネルギーが注がれ、句全体の推敲が十分とはいえない作品が目立った気がする。大胆であろうとすれば、繊細な心くばりが必要だろう。
選評を終えて食事を注文する。
萬笑さんがヴェルデをだっこした。黄色のボーダーがお似合いである。
あゆみさんが恵美子さんにTシャルをプレゼントした。たまたま街で見つけたものだが、二人で作っているバンドの名前と同じである。
私はチキンカレーを注文。
食後にセットのアイスチャイ。
次回の句会の兼題は「まる」と決まった。本日の特選句の作者である恵美子さんがそう決めた。「丸」の意味とは限らず、「まる」という音が入っていること。つまり「マルクス」でも「まる儲け」でも「謝る」でもよいわけである。変わった趣向である。
では、2か月後にまたお会いしましょう。みなさん、夏バテにはご用心!
「梅花亭」に寄って行く。
麩饅頭とみたらし団子を購入。
帰宅してしばらくしてJ:COMの人が来て、スマホのもろもろの設定してくれる。ラインは限られた範囲でのみ使用し、当分、ケータイも並行して使うので、メールや電話での連絡にはこれまで通りで大丈夫です。
夕食は「マーボ屋」に食べに行く。
いつもの酢豚(黒酢)。
初めて注文した鶏肉の唐辛子スパイシー炒め。たしかに辛い。酢豚と一緒に注文してちょうどよかった。
帰宅してデザートに麩饅頭とみたらし団子。
藤井四段の連勝記録がついにストップした。竜王戦決勝トーナメント2回戦で佐々木五段に敗れた。序盤から終始リードされての「完敗」(本人談)だったとのこと。
欲を言えば切りよく30連勝まで行ってほしかったが、記録を更新できたことでもう十分だろう。持続する緊張感は常人の想像を超えたものだったはずである。心身に反動がでないようにしてほしい。
ただいま1時。今夜も夜更かしが続くだろう。