フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月16日(日) 晴れ

2017-07-17 21:00:24 | Weblog

9時、起床。

トースト、目玉焼き、ウィンナー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食兼昼食。

午後、西武池袋線の江古田へ行く。「江古田、久しぶりに降りたな」(『孤独のグルメ』の井之頭五郎のナレーション風)。

20年ほど前、武蔵大学で非常勤をしていた頃、毎週来ていた場所だが、駅舎は新しくなっていた。

南口に降りる。

 

文化通りを行く。

「江古田コンパ」という看板には見覚えがある。

どういう店かわからないが、ちょっと入りにく。

開演は4時半で、まだ30分ほどあるので、カフェで時間をつぶそう。脇途に2つのカフェがある。「ぐすたふ珈琲」と「カフェ・アース」、雰囲気はだいぶ違うようだ。

 

「ぐすたふ珈琲」に入る。

長いカウンターは以前この店はスナックであったろうことを物語っている。奥にテーブル席もあったが、この店の特徴はこの長いカウンター席であろうから、ここに座ることにした。

グラスに冷えた水が注がれた。今日の東京は今年一番の暑さである。冷えた水の美味しいこと!

 

アイスコーヒーを飲むつもりで入ったが、お冷が美味しいので、浅炒りのブレンドを注文。ネルドリップで丁寧に淹れられたコーヒーが小ぶりのカップで出てきた。

客は私一人だったので、マスターとあれこれおしゃべりをした。生来のおしゃべり好きというわけでは決してないのだが、カウンターに座るとおのずとそういうことになる。黙ってコーヒーを飲んでいる方が不自然である。「現代人間論系総合講座1」のレポート課題(選択)に「カフェに行ってお店の人とおしゃべりをする」というのを出したのだが、学生たちは上手くおしゃべりができているだろうか。

この店「ぐすたふ珈琲」は今年の5月に開店したばかりだそうで、やぱりその前はスナックだったそうである。

マスターのお名前は「ぐすたふさん」ではなく、「チノネさん」という。私の小学校のときの担任の女の先生と同じ名前である。出身は茨城の水戸のそばだそうだ。水戸といえば「梅」「納豆」・・・三つ目が出てこないが(笑)、梅の話や納豆の話、そして茨城弁の話をする。茅野さんは30代の半ばで、「私くらいの世代で、東京に出てきた者は、昔ながらの茨城弁はもう話せませんね」と言った。「なんちゃって茨城弁ですか」と私が言うと、「はい、そうです」と言って笑った。

「江古田」という地名についても話をした。私は今日「蒲田」から来たが、「蒲田」は「蒲」の生える田んぼ(湿地)ということで意味はわかりやすいが、「江古田」ってどういう意味でしょうと。(この話はここでは割愛)

滞在時間は30分ほどだったが、楽しい時間だった。「また来ます」とは安請け合いできないが、近くに来るときがあったらまた寄らせてもらいます。どうぞ「ぐすたふ珈琲」が軌道に乗りますように。

「シアトロン~密空間演劇市~」の会場「兎亭」。

今日と明日、それぞれ昼の部と夜の部があり、二日間をまたぐ深夜の部がある(私は今日の夜の部:17:00-20:00を観に来た)。 

いくつかの劇団、ユニット、個人が一組15分から45分ほどでさまざまなパフォーマンスを見せる。プログラムから口上を引く。

東京江古田のビルの一室
そのドアを開ければ
そこには無限の可能性と特別な空間が待っている

演じるものと
観るものがいれば
そこに演劇が生まれ
そこが劇場になる

“劇場”の語源である
ギリシャ語の「THEATRON」
そのイメージをもとにして企画された
「シアトロン-密空間演劇市」
場所にとらわれず
創造性に溢れた舞台芸術を
創る歓びと
観る愉しみ
その二つが交わる場所が
舞台になる

 幕開けは「獣の仕業」の主宰立夏と「人体色彩画廊I'NN」代表の中野皓作による2人ユニット「Lorem Ipsum」(ロレン・イプサム)による即興劇。観客からその場でお題(キーワード)を3つもらって、その場で脚本(らしきもの)を書いて、演じる。お題は「肉」「ドライヤー」・・・あと一つが何であったか思い出せない。落語に「三題話」というのがある。寄席の客に適当に3つのお題を言ってもらって、それを織り込んだ噺をするという趣向だ。3つのお題は「人名」「品物」「場所」で、どれか一つを下げ(オチ)に使うという約束がある。この制約は話にストーリー性をもたせるために必要なことである。しかし、「Lorem Ipsum」のお題にはまったく制約がない。それはストーリー性をそれほど重視していないためであろう。実際、演じられた即興劇は、「肉にガラスが入っていた」「ドライヤーが断線していた」「壁に穴が空いている」といった想像力を刺激する台詞(主として立夏が書く)に中野がパフォーマンスで応えるというやりとりで進行した。中野のパフォーマンスは日頃から彼が一人で行っているパフォーマンスを土台にしていて、そこに立夏がからんでいく(「まきこまれていく」という表現の方が近い)。ストーリー性は希薄なので、15分が経過してアラームが鳴った時点で終了である。おそらく15分という時間は緊張感を持続しながらこの種のタイプの即興劇を演じるには適当な時間だろう。また、2人の組み合わせは、言葉と身体の組み合わせといってもよいもので、その二つが共鳴しあえるためには相性の問題が大切だろう。あとから中野に聞いたところでは、立夏の台詞は彼のパフォーマンスを引き出してくれるものであるという。

「ぜん」という舞台俳優が落語の『死神』を高座で披露した(30分)。最初、私は彼が俳優であることを知らず、若手の落語家あるいは落語を趣味とするセミプロなのだろうと思って聞いていた。しかし、聞いているうちに、彼の語り口は落語家のものというよいりも、俳優の一人芝居のそれであることに気がついた。きっと俳優としての修業の一環として落語に取り組んだのではないかと想像する。話の最後、死神との約束をやぶってしまった男が、自分の寿命のロウソクが燃え尽きるのをなんとかしてくれと死神に哀願するが、死神は取り合わず、命尽きていく場面は、まるで新劇の舞台を観ているようであった。

「Lorem Ipsum」(ロレン・イプサム)が再び登場。今度のお題は「人参屋さん」「ペンギン」「だるま」(・・・だったろうと思う)。村上春樹の作品に登場してきそうなキャラたちである。15分の即興劇。ストーリー性たっぷりの落語『死神』の後であるから、その非ストーリー性がいっそう際立つ。そして私たちは気づくのだ。演劇という空間を創り出すためには、ストーリーは絶対に不可欠なものとはいえないということに。

演劇ユニット「DEAR DEER」による演劇「MOON AFTERNOON~5つの小さな物語~」(45分)。前衛性のまったくない、おそらく確信犯的にそれを排除して、思い切り昭和レトロな芝居を見せてくれた。それがかえって倒錯的にポストモダン的であったが、リーダーのドナルド松山が、あとで本人も言っていた通り、今日は台詞を随所で噛んで、客席には「頑張れ」と「やれやれ」という気分が交錯していた。

ここで舞台は地階に移る。観客も靴を脱いで移動。三度、「Lorem Ipsum」(ロレン・イプサム)が登場。今回は即興劇ではなく、最初と二度目の即興劇をドッキングさせた(「DEAR DEER」の上演中に構成を練って)パフォーマンスを披露。三度目となると観客も寛いで観ている。ある意味、非常にテンションの高い休憩時間の余興。お疲れ様です。

ヴォーカリストのリンリのステージ(15分)。オリジナル曲を3曲披露。ストリートミュージシャンかと思いきや、シンセサイザーを駆使した音楽は重層的で、宇宙の広がりを感じさせ、歌姫の降臨を思わせた。

トリを務めたのは、今回の「シアトロン~密空間演劇市~」を企画した、「舞台芸術創造機関SAI」の芝居『無題』(50分)。上田秋成の『雨月物語』的世界を思わせる怪奇譚。麻宮チヒロの脚本は日本語の散文として見事で、俳優たちの台詞回しも堂に入っており、これが劇団としての初の「和モノ」の芝居とはとても見えなかった。実に完成度の高い芝居だった。

「演劇市」の名の通り、さまざまな舞台をみせてもらえて、大いに楽しんだ。

江古田駅の周りは飲み屋ばかりで、昔あったいい蕎麦屋は見つけられず、夕食は蒲田に戻ってから食べることにして電車に乗り込んだ。

蒲田に着いたのは9時半ごろだった。「吉野家」に入る。

ねぎ塩豚丼(アタマ大盛り)+豚汁を注文。今日は一食しか食べていないので、腹ペコである。

ねぎ塩豚丼は初めて注文したが、さっぱりとした塩味が今日のような蒸し暑い日にはいい。豚汁との組み合わせがよいと思う。

3時、就寝。