8時、起床。
庭の桜(熱海桜?)が満開だ。
熱川桜の一種と思われる赤味の濃い桜だ。
トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
午後2時半を回った頃、散歩がてら「HITONAMI」に昼食を食べに行く。「HITONAMI」の近くの団地の桜が見頃を迎えている。
「HITONAMI」に到着。中を暖簾越しに女性客が二人いるのが見えた。でも、それは客ではなく、店長のオガサワラさんと店員のクドウさんが食事をしているところだった。私に気づくと、「あら、ちょうどいま先生のお話をしていたところだったんです。先週は見えなかったねって」。たしかに前回来たのは先々週の木曜日(14日)である。先週末はいろいろな行事が続いたからね。それにしても一週抜けると話題にされるのか(笑)。
ストーブの周りの囲いがなくなった。常時点けるものではなくなったのだ。
メイン料理+惣菜3品を注文。
メイン料理は霧島鶏の胸肉を使った酢鶏。酢豚ではなく酢鶏。低カロリーの「酢豚」だ。これはいける。もう一人前頼んで持って帰ることにする(夕食で妻に食べさせよう)。
さつま芋のコロッケ。甘口のコロッケである。
焼き野菜のバルサミコ酢マリネ。こういう調理の仕方もあるんですね。
コブ高菜と人参と菊芋の胡麻炒め。今日は野菜をいろいろな調理法で味わえた。シャキシャキした菊芋は妻が好きなので買っていく(調理されていない菊芋を)。
食後に豆乳カフェオレ。
帰り来たときとは別のルートで。公園の桜がそろそろ見ごろを迎える。
花屋に注文しておいた花を受け取りに行く。
ミニ胡蝶蘭の一種。世間では色々と行事のある時期だから(とくに学校関係)贈答用の花は品薄で、注文し取り寄せる必要があるのだ。
いったん帰宅して(酢鶏や菊芋は鞄から出して)、すぐに大井町の「ポッタリー」へ向かう。線路に沿った土手の上の道は「さくら通り」とかいう名前が付いている(記憶が不確かです)。並木の桜はこの週末に見頃を迎えるかな。
店内に先客はいなかった。
「30周年おめでとうございます」と言って花を渡すと、マダムはとても喜んでくださった。
平成元年に開業して、平成という時代とともに歩んできたカフェである。
最初は「チャップリン」という店名にするつもりだったが(そう開店予告の広告も出した)、商標登録の問題がありそうだったので、急遽、「ポッタリー」(陶器)という名前に変えたそうである。
開店したその年に夫が肝硬変から肝癌になり、年末に亡くなった。 その間、マダムはカフェの仕事を終えてから、ホカ弁(自分の分)と夫が電話でリクエストするデザート(ヨーグルトとか)を買って、毎日病院に通った。新棟が建つ前の聖路加病院だった。
夫は亡くなったとき60歳だった。マダムとは20歳も離れていた。一緒に始めたカフェだが、一緒に店にいたのはほんの数か月だった。一人でカフェを続けていく自信はまったくなかったが、でも、せっかく始めたのだからと頑張って続けていたら30年が経った。決してあっという間というではなかった。「いろいろなことがありました」とマダムは言ってから、「あらやだ、私、身の上話みたいなこと話している」と言って笑った。間もなく平成という時代は終わるが、これを機に店を閉めようなんて気はさらさらないようだ。「生涯現役でありたいと思ってます」とのこと。これまで身内の忌引き以外で店を休んだことはないそうだ。
新しい客が入ってきたのを潮時に私は店を出た。日が沈んだばかりの西の空がほのかに赤かった。
「蒲田屋」は本日をもって閉店である。ショーケースは空っぽだが、まだ暖簾は出たままである。
夕食はハンバーグ、酢鶏、サラダ、味噌汁、ご飯。
ご飯をちょっとだけお替りして、いただきおものの山椒シラスで食べる。口直しにはピッタリ。
デザートはいただきものの草餅。
昨日から(ブログには書き忘れたが)、4夜連続(一回30分)で『ひよっこ2』が始まった。『ひよっこ』の登場人物のその後(2年後)が語られる。「あの人どうしているだろう」と思う人たちはみんな何らかの形で登場する。さすがに気配りは万全の岡田恵和の脚本である。どうせなら一週間やってくれてもよかったのに。
2時半、就寝。