フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月23日(月) 晴れ

2019-09-24 21:43:32 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『なつぞら』。なつの娘の小学校入学のお祝いに千遥が祝い膳をもってやってきた。夜、仕事から帰ったなつがそれを食べる場面で、一瞬だけ、お重の中身が映った。ほんの一瞬だ。番組に出てくる料理はそれ専門の担当の人がいて、作ったのか、買ってきてお重に詰めたのかはわからないが、もし作ったのなら、もう少しだけ見せてほしかった。見せてあげたかった。美味しそうじゃありませんか。料理人千遥が心を込めて作った(という設定の)祝い善ですよ。でも、あまり減っていないな。富士子と優は先に食べたんだよね。赤飯がちょっと減っているくらいじゃないですか。

今日はお彼岸の中日だ。墓参り日和である。10時半頃、妻と家を出る。

東急プラザ1階の花屋で墓に備える花を買っていく。 

妹夫婦とは11時20分にお寺で待ち合わせの約束だったが、電車が遅れて、鶯谷の駅に着いたのが11時20分だった。妹に電話して少し遅れる旨を伝える。 

菩提寺は下町の小さな寺である。戦前まで父の両親は浅草で商いをしていて、戦争で焼け出されて、蒲田に移ったのである。だからこの寺には親戚筋の家の墓がいくつかある。

小さな寺だが、家から近いのがよいところで、春秋の彼岸、盆暮れ正月、5月のお施餓鬼法要、10月のお十夜法要と年に7回ほど足を運んでいる。 

住職ご一家と親しくさせていただいているのも小さな寺ならではのことだろう。 

お寺に滞在する時間は10分くらいだろうか。墓参りをすませ、縁側でお茶をいただいて、失礼する。 

墓参りの後は、寺の近所の入谷の駅から地下鉄(日比谷線)に乗って、仲御徒町まで行き、そこから上野広小路まで歩いて、鈴乃屋本店ビル6階の「今半」(上野広小路店)で昼食をとるというのが恒例になっている。

 

お彼岸の中日はとくに混むので、今月の初め頃に予約(12時に4名)を入れておいた。 

 妻は松花堂弁当、他の3人はすき焼き弁当を注文。 

すき焼き弁当は、以前は並と上(厳選という)があったが、ある時期から、上しかなくなった。2500円。 

昼食で食べるなら過不足ない肉の量である。ごはんは軽めにお替りをして、贅沢な卵かけご飯にして食べた。 

食後に出されるおはぎは彼岸の中日だけのサービス。 

妹夫婦は川越の近くに住んでいる。私はまだ川越に行ったことがないので、11月の平日に妻と川越散歩に出かけ、妹に案内してもらう約束をしてから、御徒町の駅のところで別れた。妹夫婦はあめ横で買い物をしていくらしい。

 風の中、赤とんぼが飛んでいた。そして石垣の上で羽根を休めた。私が近づいても、逃げずに、じっとしている。赤とんぼと一口に言っても、種類があるらしいが、赤とんぼでよかろう。

帰宅して、近所の花屋で仏壇用の花を買う。古くなった花は、まだ捨てるにはもったいないので、庭のナツの墓に供えた。

7時過ぎに夕食。 

茄子と挽肉と葱の炒め。香ばしい味がしたので、何かと思ったら、焦がし醤油というのを使ったそうだ。 

食事の一部として、黄粉のおはぎ。 

デザートは葡萄。 

 先日、卒業生のミサキさんからお土産にいただいた「芋ぽて」というのを食べる。和風スイートポテトである。

実は、今日、妹夫婦からも川越のポテトのお菓子をいただいたのだが、それとは別のお店のものだった。川越って、お芋が名産なのかな。

 

アマゾンで注文した本が届いた。

 栃折久美子『森有正先生のこと』(筑摩書房、2003)。

先日、江古田に芝居を観に行ったとき、娘の友人のキムチョビさんが来ていて、「一度、蒲田の家に遊びに来て、泊まってらしたことがありますよね。いつのことだったかな」と聞いたら、「中学生のときです」というので、そんな昔のことだったかと驚いた。夕食に秋刀魚を出したのだが、それをとてもきれいに食べられたことがとても印象に残っている。お仕事は何をされているのかを聞いたら、図書館の司書と本の製本の仕事を半々くらいの割合でされているという。本の製本と言うのは、傷んだ本の直しのことで、皮の表紙の本などを直しているという。「それって昔、栃折久美子さんの本で読んだことがあるけど(『モロッコ皮の本』1975)、そういう仕事?」と確認したら、彼女はびっくりして、「栃折先生が立ち上げた学校で勉強したんです!」と言った。

そんなことがあって、栃折さんの本が読みたくなった。これはエッセーで、哲学者の森有正との出会いと恋愛について書かれている。表紙のデザインは栃折自身の手になるもの。 

 2時、就寝。


9月22日(日) 晴れのち曇り、夕方から雨

2019-09-24 10:41:37 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼過ぎに家を出て、大学へ。 

日曜日に大学に来たのは、ドイツ現代史学会の大会に出るためではない。 

卒業生のサヨさん(論系ゼミ7期生)に会うためである。彼女は神戸在住だが、この3連休を東京で過ごしているのだ。 

サヨさんは今年の3月から神戸の方へ家族と引越、職場は同じ会社の大阪支社(本社?)に異動となった。6月の始めに私が卒業生の結婚式に出るため神戸に行ったとき、サヨさんと現地で会った。だから4か月ぶりくらいである。

今日聞いて驚いたのだが、来年の4月に再び東京に戻ってくることになったそうだ。 

 戸山の丘(新記念会堂=早稲田アリーナの屋上庭園)に登ってみたいという。そうね、卒業生はみんなそう思うよね。お付き合いしますよ。

 中央に小さく盛り上がった芝生のスペースがあり、その周囲に人工の池(掘?)があり、ベンチが配置され、草木が植わっている。

ベンチの形には何種類かある。ここはテーブルも兼ねているのだろうか。

 池には数輪の蓮の花が咲いている。

戸山の丘に登頂! 右手のコンビニの袋が非ドラマチックである。

 

満足の微笑みを浮かべる。

屋上庭園に隣接した「スタバ」のテラスに座って。 「キャンパすにスタバがあるなんて!」と感慨深げな彼女。卒業生はみんなそう思うよね。私の学生時代の学食(いまの生協戸山店のある場所にあった)と比べると、その垢ぬけた雰囲気は、隔世の感がある。

戸山の丘から33号館高層棟を望む。 

ジャンプしてみる。 

早稲田アリーナ―の内部にも入ってみる。 

体育館兼講堂は卒業式や入学式にも使われる。 来年のオリンピックの何かの協議の予選会場にも使われるのかもしれない。

「私、3と4という数字が好きなんです」と彼女が言った。yサ(3)ヨ(4)だから。実際、彼女は4月3日が誕生日である。ならば「黄泉さん」でもよかったのかしら。怖いか(笑)。 

彼女(7期生)は今年で25歳。私が早稲田で教え始めたのが25年前だから、その頃に生まれたわけだ。あのときの赤ちゃんが(どの赤ちゃんだ)といまこうしてここにいる、と思うと、感慨深い。 

ランチは「タビビトの木」で食べようと思っていたのだが、店の前まで行ってみると、臨時休業だった。しかたなく(といういい方は失礼だが)「ごんべえ」にする。日曜日の大学周辺のお店はお休みのところがほとんどなのだ。 

私は忍者うどん(かやくご飯付)、彼女は梅干しうどん(かやくご飯付)。

 

忍者うどんという名前の由来は、当時の店長の息子さんがこれを見て、「あっ、忍者の顔をしている」と言ったのが由来とか。一種の都市伝説かもしれない。

食後のお茶は「カフェゴト―」で。日曜日も営業しているのでこういうときは助かります。お腹は大分よかったので(かやくご飯を付けちゃったから)、タルトタタンを半分個して、私はアップルティー、彼女はブレンドコーヒー。 

この後、彼女は新宿で友人と会う約束があるのだが、まだ少し時間がある。「馬場歩きがしたいです」というのでお付き合いすることにした。

歩き始める前に穴八幡にお参りしましょう。 

朱色の仁王門と彼女のエンジのセーターがお似合いだ。 

しっかりお参りしていく。 

境内から戸山キャンパスが眺められるスポットがある。知ってましたか? 

この石垣はなかなか見事ですね。ブラタモリ風。  

石垣の前でポートレイトを一枚。 

さて、馬場歩き開始。「馬場歩き」とは早稲田大学生用語で早稲田から高田馬場まで歩くこと。20分くらいだろうか。 

早稲田通りと明治通りの交差点で。 

 どこかの小学校の塀だったかな。

名画座「早稲田松竹」の前で。 

高田馬場駅に到着。 

駅前のロータリーは飲み会の待ち合わせ場所である。

彼女とはここでお別れ。どうぞお元気で。また、すぐに会えますね。 

私は大学に戻る。 

夜に一つ用事があったのだが、どうも眠くてしかたがない。疲れが出ているみたいである。今日の疲れではなく、この夏の疲れのような気がする。 

夜の用事はキャンセルした帰宅することにした。 

夕食はおでん。はんぺんの量がはんぺんない、いや、はんぱない。妻の好物なのだ。 

ちなみに私の好物はちくわぶです。 

デザートは梨。 

注文しておいた本が届いた。『ほぼ日手帳公式ガイドブック2020』。もうそういう季節になった。ただし、私の使っているのは4月始まりなので、まだ半分残っている。 

2時、就寝。