8時半、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
本日の『なつぞら』。なつの娘の小学校入学のお祝いに千遥が祝い膳をもってやってきた。夜、仕事から帰ったなつがそれを食べる場面で、一瞬だけ、お重の中身が映った。ほんの一瞬だ。番組に出てくる料理はそれ専門の担当の人がいて、作ったのか、買ってきてお重に詰めたのかはわからないが、もし作ったのなら、もう少しだけ見せてほしかった。見せてあげたかった。美味しそうじゃありませんか。料理人千遥が心を込めて作った(という設定の)祝い善ですよ。でも、あまり減っていないな。富士子と優は先に食べたんだよね。赤飯がちょっと減っているくらいじゃないですか。
今日はお彼岸の中日だ。墓参り日和である。10時半頃、妻と家を出る。
東急プラザ1階の花屋で墓に備える花を買っていく。
妹夫婦とは11時20分にお寺で待ち合わせの約束だったが、電車が遅れて、鶯谷の駅に着いたのが11時20分だった。妹に電話して少し遅れる旨を伝える。
菩提寺は下町の小さな寺である。戦前まで父の両親は浅草で商いをしていて、戦争で焼け出されて、蒲田に移ったのである。だからこの寺には親戚筋の家の墓がいくつかある。
小さな寺だが、家から近いのがよいところで、春秋の彼岸、盆暮れ正月、5月のお施餓鬼法要、10月のお十夜法要と年に7回ほど足を運んでいる。
住職ご一家と親しくさせていただいているのも小さな寺ならではのことだろう。
お寺に滞在する時間は10分くらいだろうか。墓参りをすませ、縁側でお茶をいただいて、失礼する。
墓参りの後は、寺の近所の入谷の駅から地下鉄(日比谷線)に乗って、仲御徒町まで行き、そこから上野広小路まで歩いて、鈴乃屋本店ビル6階の「今半」(上野広小路店)で昼食をとるというのが恒例になっている。
お彼岸の中日はとくに混むので、今月の初め頃に予約(12時に4名)を入れておいた。
妻は松花堂弁当、他の3人はすき焼き弁当を注文。
すき焼き弁当は、以前は並と上(厳選という)があったが、ある時期から、上しかなくなった。2500円。
昼食で食べるなら過不足ない肉の量である。ごはんは軽めにお替りをして、贅沢な卵かけご飯にして食べた。
食後に出されるおはぎは彼岸の中日だけのサービス。
妹夫婦は川越の近くに住んでいる。私はまだ川越に行ったことがないので、11月の平日に妻と川越散歩に出かけ、妹に案内してもらう約束をしてから、御徒町の駅のところで別れた。妹夫婦はあめ横で買い物をしていくらしい。
風の中、赤とんぼが飛んでいた。そして石垣の上で羽根を休めた。私が近づいても、逃げずに、じっとしている。赤とんぼと一口に言っても、種類があるらしいが、赤とんぼでよかろう。
帰宅して、近所の花屋で仏壇用の花を買う。古くなった花は、まだ捨てるにはもったいないので、庭のナツの墓に供えた。
7時過ぎに夕食。
茄子と挽肉と葱の炒め。香ばしい味がしたので、何かと思ったら、焦がし醤油というのを使ったそうだ。
食事の一部として、黄粉のおはぎ。
デザートは葡萄。
先日、卒業生のミサキさんからお土産にいただいた「芋ぽて」というのを食べる。和風スイートポテトである。
実は、今日、妹夫婦からも川越のポテトのお菓子をいただいたのだが、それとは別のお店のものだった。川越って、お芋が名産なのかな。
アマゾンで注文した本が届いた。
栃折久美子『森有正先生のこと』(筑摩書房、2003)。
先日、江古田に芝居を観に行ったとき、娘の友人のキムチョビさんが来ていて、「一度、蒲田の家に遊びに来て、泊まってらしたことがありますよね。いつのことだったかな」と聞いたら、「中学生のときです」というので、そんな昔のことだったかと驚いた。夕食に秋刀魚を出したのだが、それをとてもきれいに食べられたことがとても印象に残っている。お仕事は何をされているのかを聞いたら、図書館の司書と本の製本の仕事を半々くらいの割合でされているという。本の製本と言うのは、傷んだ本の直しのことで、皮の表紙の本などを直しているという。「それって昔、栃折久美子さんの本で読んだことがあるけど(『モロッコ皮の本』1975)、そういう仕事?」と確認したら、彼女はびっくりして、「栃折先生が立ち上げた学校で勉強したんです!」と言った。
そんなことがあって、栃折さんの本が読みたくなった。これはエッセーで、哲学者の森有正との出会いと恋愛について書かれている。表紙のデザインは栃折自身の手になるもの。
2時、就寝。