8時半、起床。
トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
トーストの上に置いたバターは一片(左下隅に置いた)がちょっと目を離したすきにチャイに食べられたようだ。
「はい、私が食べました」
いつもであれば女子バスケットボールの「銀」がトップ記事になるところだろうが、トップは閉会式の写真で、「銀」はスポーツ欄か・・・と思ったら、一面が2頁使っていた。(テレビ欄は中に)。
本日の『おかえりモネ』。相合傘(菅波が傘を持っていなくて、モネが差し掛けた傘を菅波が「僕が持ちます」と)。初々しすぎるだろう。私にもこんな頃が・・・なかったな。
晴れているが、風が強い。強風といっていい。ナツの墓の水入れにいつもより大量の百日紅の花が散っている。
昨日のブログを書いてアップする。
今日は祝日だが、私にとっては8月第一週が「夏休みの中の夏休み」で、今日は「夏休みの中の平日」の始まりである。「学期中の平日」との違いは授業(および授業の準備)がないことだが、仕事の時間はルーティンとして一日のタイムテーブルの中に組み込まれている。当面は原稿書き、その後は秋学期の授業の仕込みが中心だ。
3時を回った頃、遅い昼食を食べに出る。
専門学校のキャンパスの桜の木が強風にたわんでいる。
消防車が数台駐車していたが、火災ではなさそうである。風で何かが折れたり壊れたり飛んだりしたのかもしれない。
しばらくご無沙汰している「燈日」に顔を出そうかと思う。
多摩川線で一つ隣の矢口渡(やぐちのわたし)で下車。
「リヨン モアール」で朝食用の食パン(ボンジュール)を購入。
「燈日」は閉まっていた。お店のインスタをちゃんと確認して来なかったのはミスだった。今日と明日はお休みになっていた。
駅に戻る途中の商店街にある「リーラウンジ」というカフェに入る。
ビーフシチュー(ドリンクはアイスティー)を注文し、鞄から本を取り出す。
「道について」という一篇を読む。「道」という言葉に惹かれたのだ。
「知っている道に出るとほっとしますね」
どんな会話の成り行きだったか、相手がそんなことを言ったとき、ほんとうにそうだ、と思ったのと同時に、なにか深いところに思い当たるようなものがあった。それがなんであるのかわからないまま、その言葉が運んできたものの気配を抱いて、わたしは黙り、会話に不自然な間があった。
小池は江東区の生まれで、江東区の町は関東大震災後に区画整理がされて道は碁盤の目のようになっている。だからその内部のどこへ行くにも真っすぐ進み、直角に曲がることによって行き着くことができた。
やがてわたしは生まれた町を出て世田谷や渋谷で暮らすようになったが、そのときまず、とまどったのは曲がりくねった道のつくる土地の構造だった。道の曲線に混乱させられて、自分が今、どの方角に向かって進んでいるのか、皆目わからない。実際いつも思ってもみないところへ運ばれてしまうのだ、それを楽しむ余裕もなく、わたしはほとんど、山の手の地の、道という道を憎んでいた。
私が住む蒲田という町は、駅の周辺は区画整理がされているが、そこを離れるにつれ互いに平行でない直線の道や、弧を描くような道が増えてくる。だから小さい時はときどき迷子になった。駅前の広場で母にはぐれて迷子になったときは、お巡りさんに肩車をされて、家まで帰ったことがある。そのとき私は、肩車をされながら、折々「こっち」「あっち」とお巡りさんに道を指示していたから、本当は道に迷っていたのではなく、たんに母親と離れてしまったことに動揺していただけなのだろう。
町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」という概念も入ってきた。目印だけを頼りに通っていた道が、案外、遠回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。道を歩くことは、こうした全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。
知らない道が見知らぬ場所へ人を誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。
ちょうど一週間前、池上の猫の里親カフェに行った帰り道、知らない道を歩いていたら、妻が「この道は知っている」という場所に出た。その道を歩いていくと池上線の踏切を越えて、私もよく知っている道につながった。その道をさらに道なりに歩いていくと、JRを踏み切を越え、梅屋敷通りとなり、そこのペットショップで「チャイ」と数日後に名前の決まる子猫と出会うことになった。
「道について」を読み終わっても、まだ注文したビーフシチューは運ばれてこなかった。見ると、私の後から注文した二組の客たちは食事をしている。これはあきらかに忘れられていると思い、店員さんにそのことを言った。「すみませんでした」と彼女は言って、それから少しして、ビーフシチューが運ばれてきた。「ご飯は軽めで」という注文は忘れていなかったが、「アイスティーは一緒に持ってきて」という注文は忘れているようだった。
ビーフシチューは美味しく食べたが、味わいとしてはビーフシチューというよりはハッシュドビーフだった。
蒲田に戻ってくる。写真では伝わらないが、雲の動きが早い。まさに「風雲急を告げる」という感じだ。
私がリビングの扉を開けると、その一瞬を狙っていたかのように(実際、狙っていたのだ)、チャイが廊下へ飛び出していった。そして階段を駆け下りた。リビングという空間は子猫にとってもはや閉塞的な場所になっているのだろう。
我が家は三階建てなので、階段の駆け上がり、駆け下りは子猫にとってはよい運動になるだろう。
夕食まで一仕事。
夕食は卵とアスパラとパプリカの炒め、笹かまぼこ、サラダ、玉ねぎの味噌汁、ごはん。
夕食の食卓には上がってはいけないということはわかってきたようである。
食事をしながら『TOKYO-MER』第6話(録画)を観る。喜多見(鈴木亮平)の患者への語りかけ(「もう大丈夫ですよ」「ちょっとチクッとしますよ」などなど)や手術中のスタッフへの応答(「・・・お願いします」「ありがとう」などなど)、何かの時に真似してみようかと思うが、そんな機会があるだろうか。たとえば演習の発表のときとか。「発表ごくろうさま。コメント、ちょっとチクッとしますよ~」とか(笑)。
一仕事終えてから、風呂に入る。風呂から出て、ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ(構成)。
2時、就寝。