フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月22日(日) 晴れ

2021-08-23 13:25:08 | Weblog

10時、起床。

じゃこと小松菜の釜飯、サラダ、香の物(葉唐きゅうり)、味噌汁。

昨日、「梅Q」で食事をして、残った釜飯を持ち帰ったものである。こういうことでもない限り、私が朝食にごはんを食べることはない。決してごはんが嫌いなわけではない。旅館の朝ごはんは最高である。普段、朝食にご飯を食べないのは、パンの方が「軽い」(そう感じる)のと、準備が簡単だからである。

昨日のブログを書いてアップする。

チャイを赤ちゃん抱っこした写真を妻に撮ってもらう。猫は大きくなると赤ちゃん抱っこをいやがるようになるし、そもそも重くなる。いまでないと撮れない写真である。

片腕で抱っこしながら、片手にカメラを持って撮る。このアングルはなかなかいい。

このまなざしは、もし意識してやっているとしたら、そうとうなぶりっ子である。

遅めの昼食は「ホンズ・キッチン」でバインミーをテイクアウトしてこようと家を出る。

桜の並木の側を通ると蝉の声がたくさん聞こえた。「蝉時雨」という言葉が頭に浮かぶ。

「ホンズ・キッチン」には二週間に一回くらいの頻度で来ている。

レモングラスチキン・バインミーを注文する。

前菜のメニューもできていた。これもテイクアウトできる。お酒のつまにしもなるし、ごはんのおかずにもなりそうだ。

コロナの収束がいつになるか見えない毎日だが、ホンさんは気長に構えている。

帰宅して『孤独のグルメ』第7話(録画)を観ながら、食事をする。

明日が締め切りの来年度のゼミ要項を書く。来春のコロナの状況がどうなっているか誰にもわからない。「アフター・コロナ」の前提で書くか、「ウィズ・コロナ」の前提で書くか。結局、「アフター・コロナ」の前提でゼミの理念型を書き、そこに「ウィズ・コロナ」の場合の対処方針を書くという形にした。

どのゼミでも同じだと思うが、私のゼミを志望する学生は、私の授業を何か履修して内容に興味をもってやってくるわけであろう。それは基礎講義の「自己イメージと他者」かもしれないし、オンデマンド講義の「日常生活の社会学」や「ライフストーリーの社会学」かもしれないし、演習「現代人と社交」かもしれない。どういうルートでやってきても、その興味関心を生かせるように配慮したいと思うのである。ゼミの名前は「現代人のライフストーリー」だが、「ライフストーリーの社会学」経由でないといけないというわけではありません。

ゼミ要項を書き上げてから、夕方の散歩に出る。

「スリック」でかき氷を食べたいのだが、家を出たところでご近所の方と立ち話をしていて、店に着くのがラストオーダー(5時半)ぎりぎりになりそうである。お店に電話をして(娘さんが出た)、「ぎりぎりになりそうなんですが、よろしくお願いします」と伝える。

川面の青空が映っている。

「スリック」到着。さっそくかき氷を注文する。

エスプレッソ&ミルク。エスプレッソはテーブルに持ってきてからマダムが目の前で注いでくれる。

エスプレッソの苦みとミルクの甘さの組み合わせがとてもいい。

ドリンクはゆっくり飲むことができるが、氷はさっさと口に運ばなくてはならない。

閉店の6時に店を出る。西の空に積乱雲が面白い形(ウサギのように見えなくもない)で出ている。

帰宅して『山下達郎のサンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く。

今日は竹内まりやをゲストに迎えての恒例の納涼夫婦放談(次週も)。

かかった曲は6曲で、1曲だけまりやのものでない曲が含まれていた。先月他界した「センチメンタル・シティー・ロマンス」(通称「センチ」)のリードボーカル・ギターの中野督夫が歌う「雨はいつか」である。いまの時期に相応しい歌である。

夕食は卵とベーコンと小松菜の炒め、鮭、トウモロコシ、茄子の味噌汁、ごはん。

デザートは桃。あたりである。

食事をしながら『ハコヅメ』第5話(録画)を観る。撮影中に永野芽郁がコロナに感染して、コロナ前に撮影した部分とコロナ後に撮影した部分が混じっているらしいが、そんなにやつれたと感じた場面はなかった。

ときどきチャイがすごい勢いでリビングと隣接する和室を走り回る。エネルギーは有り余っているのだろう。毛玉で遊んでやる。

以前は毛玉を捕まえると離さず、離そうとすると「ウッ~」と威嚇するような声を立てたものだが、最近は、離さないとさらに遊んでもらえなので、素直に離すようになった。そのうち遠くは放り投げた毛玉をくわえて、もってくるようになるかもしれない。

久しぶりにウォーキング&ジョギングを2キロほど。夜でもまだまだ蒸し暑い。

風呂を浴びてから、今日の日記とブログ(構成)。

2時半、就寝。