フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月19日(木) 晴れ

2021-08-20 11:55:47 | Weblog

8時45分、起床。

トースト、サラダ、牛乳、コーヒーの朝食。

本日の『おかえりモネ』。いささか無理やりな理由(祖父の養殖したカキがコンクールで第一位となり、その授賞式に出席する)で東京に父(内田聖陽)がやってきたのは、一つは、モネと菅波の関係を家族公認のものとするため(と同時に、勇み足的な父の言動によって、二人の関係を促進するため)であり、もう一つは、父と朝岡を引き合わせて「離れられないもの」をめぐる二人の思いを語らせ、かつその語りをモネに聞かせる(立ち聞きさせる)ことであった。このあたりは脚本家(安達奈緒子)の腕の見せ所である。でも、「立ち聞き」って、ドラマでは多用される手法だが、実際の生活ではそうそうあることではない。私たちにとって他者の内面は基本的にブラックボックスである。だから自己開示というものが親密な関係性の証になるのである。

今日も甲子園は雨が降っている。

昨日のブログを書いてアップする。

今日は家でビーズの講習会がある日。妻がリビングの床に掃除機をかけているとチャイが吸い取り口にしがみつく。埃を吸い取りながら、猫モップで掃除しているようなものである。

講習会が始まる前に私は家を出る。

久しぶりの木漏れ日の舗道。

近所の眼科にアレルギー性結膜炎の目薬を出しにもらいに行く。

入口の傘立てに二日前に来て(混んでいたので出直すことにした)、そのとき忘れて帰った折り畳み傘があった。

今日は空いていて、診察はすぐに終わった。

床屋に行く。しかし、シャッターが下りていた。

そうか、夏休みか。

というわけで、予定していたよりもだいぶ早く、「パン日和あをや」に昼食をとりに出かけることになった。駅ビルの文具店で買い物をすませてから、お店に電話をして、あと30分くらいしたら伺いますと伝える(食パンをキープしておいてくれるようお願いする)。

矢向駅で降りる。お隣の鹿島田駅と違って、素朴な風情の駅である。

線路脇の道を鹿島田方向へ10分ほど歩く。

日差しは強いが、雲は夏の雲とは違う。とはいっても秋の雲とも違う。季節の移り変わりの雲である。

「パン日和あをや」に到着。

ちょうど先客が出たところで、店内に客は私だけ。

さて、何を注文しようかな。

まずは自家製ジンジャエールで喉を潤す。

ベーコン・レタス・トマトサンド(B.L.T)を注文する。

本日のスープはビシソワーズ。

デザート代わりにチョコクロワッサンとほうじ茶ミルクティー。

二日前(お店の夏休み明けの前日)、奥様がお店のツイッターでつぶやいていた。

朝から仕込みでお店に来てますが、ラジオから流れるコロナ関連ニュース…緊急事態宣言が9/12まで延長だって そんなニュースを聞くたび、お店を休むべき?と揺らぐ。 夏休み前も、夏休み中もずっと考えてる。 悩ましい。

これに私はこうコメントした。

「パン日和あをや」さんは一番安心できるカフェです。しっかり続けて下さい。

コロナの時代の日常は、思っていたより長期化するものになっている。「ステイホーム」一辺倒で日常生活を持続していくことは難しい。「ステイホーム」は閉塞感と(同居人がいる場合は)密になるが故のストレスを増幅させる。「不要不急の外出自粛」というとき、不要と不急を連動させる(イコールで繋げる)ことは間違いである。不急かもしれないが、不要ではないものが人間の生活にはある。人と人とが会って、会話を交わすというのはその一つである。カフェはそのための場所でもある。誰かと行くときに限らず、一人でふらりと出かけて行くときも、そこにはお店の方との会話がある。

1時間ちょっと滞在して、店を出る。また伺いますね。

来た道を戻る。

矢向駅前の風景。

帰宅して、シャワーを浴びて、しばらく昼寝をする。夏の太陽の下を歩くというのはそれだけで体力を消耗するものである。

夕食は豚肉の砂糖醤油焼き、隠元の胡麻和え、玉子の味噌汁、ごはん。

本来は生姜焼きにするつもりだったが、生姜を忘れてしまったそうである。私にはそれでよかった。昨日のランチ(テラスドルチェ)が生姜焼きだったからだ。

デザートは葡萄(シャインマスカット)。「今年はこれで終わりよ」と妻が言った。

食事をしながら『プレバト』(おっかけ再生)を観る。

 今日も空蝉を拾らふだけの朝か 立川志らく

尾崎放哉を思わせる自由律の一句である。これで一年ぶりの昇段(名人四段)を果たした。お見事。

箸置きの魚を狙うチャイ。

風呂から出て、「あをや」で買ってきたメイプルケーキを食べる。

1時過ぎに就寝。