フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月2日(土) 雨

2024-11-03 15:12:10 | Weblog

8時50分、起床。

「9時、起床」としないところに起床時刻へのこだわりを感じる(自分で)。

毎朝、仏花の水を替えるたびに花の茎をちょっとずつ切るので(切り口を新しくしてやることで花の持ちがよくなるから)、最初は右の行の「共に」の下くらいの高さにあった花が左の行の「共に」の下くらいになった。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

食事をしながら『ア・ターブル』第9話(録画)を観る。9月で放送が終わっているので、録画のストックはあと3回ほど。

昨日のブログを書いていると、妻が書斎にやって来て、「箪笥の上の衣装ケースを下ろすの手伝って」と言った。衣替えである。

劇団インハイスの公演「空の鼓動」を観に行く。午後2時からだが、余裕をもって12時過ぎに家を出る。電車に乗る前に「ちよだ鮨」で差し入れの助六寿司(海苔巻といなり)を4パック買う。トートバッグがパンパンになった。

劇場の「サブレニアン」は都営三田線の板橋区役所前という即物的な名前の駅のそば(徒歩3分)にある。蒲田からだと田町で三田線に乗り換える。田町駅から三田駅までは離れていて、東京駅からら大手町駅(東西線)までと同じくらいだと思うが、久しぶりだったので長く歩いた気がした。三田から板橋区役所前までは14駅。けっこうある。最初、優先席が空いていたので座ったのだが、座り心地がよくない。心理的な問題ではなく、物理的によくないのだ。一般の席より座面が高く、かつ奥行きがない。なんでこんな意地悪をするのかと思ったが、考えみると、老人や松葉杖を使う人は深く腰掛けてしまうと立ち上がるときに苦労するからだろうと気が付いた。近くの一般の席が空いたので、すぐにそちらに移る。やっぱりこっちの方が座り心地はいい。

車内ではずっとキンドルで村上春樹の紀行エッセイ『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読んでいた。「懐かしいふたつの島で」という章で、ギリシャの島に長期滞在して小説を書いていた頃と、四半世紀ほど後にその場所を再訪したときの話だった。

岬の先端の丘に登ってみた。灯台のまわりの風景は記憶の通りだ。白い灯台を囲む、緑の松林、その間を抜ける未舗装道。でも灯台の柵の中に山羊はいない。海からの風が吹いて下草が揺れ、松の枝が頭上でさわさわというソフトな音を立てる。目を凝らすと、沖合を様々なかたちの船が横切っていくのが見える。漁船やヨットやフェリー。そこには遠くに暮らす人々の営みがある。空はうっすらと切れ目なく灰色に曇り、海面にはたくさんの白い波が立っている。レイモンド・チャンドラーはどこかで「灯台のように孤独だ」という文章を書いていたが、この灯台はそれほど孤独には見えない。でも見るからに物静かだ。灯台のように寡黙。

私は大学3年の夏休みに初めて海外旅行をしたが、最初に訪れたのが、ギリシャのアテネであり、エーゲ海の島々だった。村上春樹が初めてギリシャの島を訪れたときより、さらに10年ほど前のことだ。ある島を散歩しているときに会釈を交わした中学生くらい(たぶん)の女の子は、私に「あたなはドイツ人ですか」と英語で聞いた。「いいえ、違います」「では、ベトナム人ですか」「いいえ違います。私は日本人です」「あたなは私が私の人生で最初に出会った日本人です」と彼女は言った。

板橋区役所前駅から劇場までは徒歩3分のはずだったが、20分くらいかかってしまった。地下鉄の駅を上がって目の前の中山道を渡る・・・とグーグルマップには表示されていたので、そうしたのだが、「出発点」を「現在地」ではなく「板橋区役所前駅」としたのがよくなかったようで、私の出た駅の出口が中山道を挟んで反対側の出口だったため、中山道を渡る必要がなかったのだ。つまり私は反対の方向へ歩いていってしまったので。しばらくしてそのことに気づき、地元の方らしき方に道を尋ねて、正しい道筋を教えてもらうことができた。

しかし、グーグルが「到着しました」と言う場所に劇場らしきものはなく、その周辺をぐるぐる歩いていると、今日の芝居に出演する小林龍二さんによく似た年配の男性がいたので、「小林さん(のお父さん)ですか?」と尋ねると、「違います」と言われた。こんなによく似ているのに・・・と思いつつ、「このあたりに劇場があるはずで、探しているのですが、どうも見あたらなくて・・・」と私がぼやくと、「そこではありませんか」とその男性は地階への階段を指さした。あっ、気付かなかった(気づけよ)。階段を下りていくと、受付に「インハイス」の主宰の左さんがいらした。開演まであと15分ほどだった。席を確保してから、外に出て、自販機でお茶を買い、来る途中のコンビニで買ったおにぎりを食べた。

『The Heartbeats from the Sky 空の鼓動』(作・演出:左観哉子 出演:立夏、小林龍二)

「インハイス」の8年ぶりの公演である(前回は2016年9月の「蛍」@新井薬師スペシャルカラーズだった)。そうか、もうそんな前になるか。それ以前は「吉祥寺スタジオ櫂」や「阿佐ヶ谷アートスペース・プロット」で毎年のように「インハイス」の公演を観ていたものである。しかし、8年ぶりであるのにそんな気がしなかったのは、「インハイス」の養分が立夏を通じて劇団「獣の仕業」の芝居に注入されていたからだろう。

物語の舞台はある島である。われわれの世界の近未来、あるはパラレルワールドかもしれない。世界はパンデミックに襲われていた。感染者らしい女がある日、島にやってくる。本土の街では感染症よりひどい別の感染症が広がっていると女は言う。それは人々が感染者らしき人を探し出しては(咳をうっかりしただけで感染を疑われるのだ)殺すということである。身内を殺された者は怒りから、悲しみから、殺す側に回る。そういう状況の中を、女は逃げて逃げて、逃げまくって、この島に流れ着いたのだ。感染者は赤い涙を流すそうである。

島には男が一人。島には病院がなかった。彼以外の島民はみなワクチンを打つために船に乗って本土に行ってしまったそうである。

世界の果てのような場所で出会った男と女。男には女が光のように見えた。島の灯台はすでに水先案内の役目を失って、それ自体が行く先を見失っているようだった。

女は「私が死ねばよかったのだ」と繰り返し言う。感染を疑われた人々、とくに子供たちが焼き殺される情景が彼女の記憶から消えない。「私は彼らを見捨てた。私が彼らを殺した」のだと。

男も本当のことを話す。島民全員を乗せることのできる船は島にはなかった。船には選ばれたものだけが乗った。残った弱き者たちは島に残り、そして、絶望し、断崖から海へ身を投げて死んだのだ。

心に深い傷を負った男と女。男は本土に渡って女が見たという情景を自分も見てみたいと言う。女はここで静かに暮らしたいと言う。二人がどういう選択をしたのかはわからない。最後に、菩薩のような女とその従者が現れて(これはあの女と男とは別人だと思う)、鐘を鳴らしながら、死んだ子供たちは来世で幸せに暮らすだろうと告げる。

その菩薩のような女と男が持っていた鐘がこれだ(終演後、見せてもらった)

「インハイス」の芝居は、絶望的な状況下に置かれた人々が、「それでも生きてゆく」「それでも生きてゆこうとする」物語である。そのためには何かしらの「希望」や「出口」が必要なわけだが、それは薄明りのようなものとして示されるるにとどまるのが常である。希望とは、大きな光ではなく、薄明りであってもそれを見つめて生きて行こうとする心の動きを指す言葉なのだろう。

二人芝居だが、二人はアイスダンスのペアのように踊り、詩のような台詞を朗読劇のように語る。舞台空間はつねに渚に打ち寄せる波の音が満ちていて、夜明け前の闇の中で二人にだけ照明が当たっている。孤独な二本の灯台にように。

終演後、二人の役者と言葉を交わした。

左さんのパートナーの森田さんとも言葉を交わした。私が劇場の前の道で出会った小林さんによく似た年配の男性は、森田さんの馴染の酒場のご主人で、今日の観客の中にいらしたとのことだった。そうだったのか。でも、よく似てたよなぁ。

外に出ると雨脚が強くなっていた。帰りの電車の中で、劇場を出るときに渡された「終演パンフレット」を読む。インハイスのメンバーで「本をつくる舎」というものを設立したそうで、この「終演パンフレット」はその最初の刊行物とのこと。左の挨拶と、小林と立夏のそれぞれの家族を題材にしたエッセイが載っている。

夕食は鶏鍋。

食事をしながら、『ザ・トラベルナース』第3話(録画)を観る。

デザートは柿。

ちょっと横になってから、レビューシートのチェック。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。