フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月21日(土) 晴れ

2009-03-22 03:14:58 | Weblog
  9時、起床。メールのチェックを済ませてから、ツタヤにDVDを返却しに行く。開店時刻(10時)までに返却しないと追加料金をとられしまう。ぎりぎりセーフ。駅ビルのパン屋のカフェで朝食(サンドウィッチと珈琲)をとってから、母と妻と一緒に鶯谷の菩提寺に墓参りに出かける。現地で妹夫婦と甥っ子(次男)と合流。

         

         

  墓参りをすませて「錦華楼」で昼食。、銘々違うものを注文。私は天津飯。安くて美味い。6人で食べて5千円でおつりがきた。腹ごなしにアメ横を歩く。

         

                  

  皆とはここで別れ、私は大学へ。途中、丸善丸の内店に立ち寄る。ラウル・デュフィの素描・水彩・版画展を見物するつもりだったのだが、私の勘違いで、それは丸善日本橋店で開催中のものだった。しかし、代わりに丸の内店では恒例の「チャリティー丸善絵画入札会」をやっていた。出品作品には最低落札価格が表示されていて、購入を希望する者は入札をして、一番高い金額を提示した者が落札をするというシステム。有名作家の作品ばかりだが、リトグラフが中心なので、お小遣いの範囲でなんとかなる。最低落札価格にどのくらい上乗せするかが勝負で、倍まではいかないだろう(それなら相場の価格だからいまここで購入する必要はない)。とても気に入った作品が2点あったので、運試しのつもりで、それぞれの最低落札価格に○万100円を上乗せして入札をした。100円というところがミソで、○万では同一トップで抽選というケースが考えられる。もっともこれは誰もが考えそうなことだから、101円にすべきだったかもしれない。2点とも落札できるか、2点とも落札できないかのいずれではないかと予想する。結果がわかるのは3月末。運よく落札できたら写真入りでご報告します。
  研究室で学生(あと数日で卒業生)の面談。少々冷えてきたので、途中から場所を「カフェ・ゴトー」に移す。土曜日の「カフェ・ゴトー」はいつも混んでいる。私はココアをOさん(というのだ)はパイナップルジュースを注文した。私は何度も「カフェ・ゴトー」に来ているが、パイナップルジュースを注文した人は初めてだ。手土産をいただいてしまったので、自分が使うつもりで丸善で購入した小型のノート(コクヨの測量野帳)をお礼に進呈する。200円もしないものなので、失礼かと思ったが、喜んでいただけたようである。
  夜、NTTの代理店からフレッツ光へ乗り換えませんかという電話があった。インターネットはこれまでADSLでやってきたが、ケーブテレビも先月アナログからデジタルに切り替えたことだし、そろそろこちらも光ファイバーに切り替えてもよい頃かと思い、話に乗る。先日、同じ話を別の代理店から受けたときには「とくに必要を感じていないから」と断ったばかりなのだが、ちょっとしたタイミングの違いで考えは変わるものである。

3月20日(金) 雨のち晴れ

2009-03-21 02:14:42 | Weblog
  8時、起床。ポークソテーとオニオンスープ、トーストの朝食。机周りの整理。頭の中と机周りは相似形を成している。頭の中がゴチャゴチャしてくると机周りもゴチャゴチャしてくる。逆もまた真なり。
  午後、サントリーホールに早稲田交響楽団の演奏会を聴きに行く。蒲田駅前のキシフォトの店頭に人だかりができている。WBCの日本対韓国戦をやっているのだ。2-1で日本がリードしている。電車の中でケータイのワンセグで野球中継を観始めた途端に韓国の選手がホームランを打ち、同点に追いつかれたので、観るのを止める。
  
         

  カストロがWBCにおける母国の敗退について談話を発表した。要点は2つ。第一に、キューバがアジアの2強と同じグループに入れられたのは革命国家キューバへの嫌がらせであるということ。第二に、キューバは日本の緻密で練習熱心な野球に学ばねばならないということ。第一の点はあながちカストロの被害妄想ともいえない気がする。われわれの観点からも、一次予選は日本・韓国・台湾・中国が同じグループというのは合理的だが、二次予選で日韓が同じグループでなくてはならない理由はないように思う。同じグループにされることによって、必然的に同一カードが続き、WBCよりも日韓対決シリーズの方が前面に出てしまっている。第二の点は、80年代の世界経済における「日本に学べ」を思い出す。「野球」が「ベースボール」を脅かすようになったということだ。もっともカストロは日本の野球について誤解をしているようで、「日本のピッチャーは毎日400球も投球練習をする」なんて言っている。どんな肩してるんだ。「エコノミック・アニマル」ならぬ「ベースボール・マシーン」じゃないか。

         
                 サントリーホール前の「カラヤン広場」
  
  演奏会は2時から。開場(1時半)から開演までの間の時間、ケータイのワンセグで野球の実況を観る。日本がリードしている。開演5分前に試合が終ってくれたおかげで、心安らかに演奏が聴けた。今回のプログラムは、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」と、R.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。ワセオケはこの2月22日から3月14日までヨーロッパ公演(ドイツ、オーストリア、フランス)を行って帰ってきたばかりである。いわば凱旋公演だ。「英雄」にはやや平板な印象(可もなく不可もなく)を受けたが、「英雄の生涯」は何度も何度も研鑽を積んで細部まで自分たちのものにしたなという感想をもった。英雄の若き日から老いて死ぬまでを、さまざまな楽器がそれぞれの役所で見せ場を作る、いかにもオーケストラのための曲である。演奏後、指揮者が楽器ごとに奏者を立たせて観客の拍手を受けさせていたが、観客はお義理ではなく、心から彼らに拍手を贈った。
  帰宅は夕方。家を出るときは暖かかったが、午後から徐々に風が冷たくなってきていた。上空も風が強いのだろう、昨日よりも空が澄んでいる。

         
                 いよいよバベルの塔の建築が始まる

         
                  今日もベランダから夕日を見る

  夜、去年のアカデミー賞作品賞を受賞した、コーエン兄弟監督の『ノーカントリー』を遅ればせながらDVDで観た。この緊迫感は尋常ではない。観終わってからしばらくして音楽がまったく使われていなかったことに気づく。音楽を一切使わないことで、アメリカ西部の風景から抒情が排除されて、観客は喉がカラカラに乾くほどの緊張の2時間を体験するのだ。『コレラの時代の愛』、『宮廷画家ゴヤは見た』に続いて、三度のバビエル・バミエルである。彼は本作でアカデミー賞助演男優賞を獲得したが、作品に漂う尋常でない緊迫感の主たる源泉が彼の演じる殺し屋シガーであることを考えれば、実に納得の授賞である。ところで『ノーカントリー』ってどういう意味だ? 原題は『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』。それなら意味はわかる。中高年には住みにくい世の中になってしまったものであると。でも、それはいまに始まったことじゃないと。しかし、個人の老いは個人の人生において初めての経験であるから、住みにくい世の中、わけのわからない世の中にになったのは近年のことのように感じるのだと。缶珈琲の「BOSS」のCMでわれわれにはお馴染みのトミー・リー・ジョーンズが老保安官を演じている。その淡々として引き際は、日本の刑事ドラマ(老刑事はだいたい執念の人である)を見慣れているわれわれには、宇宙人のように見える。

3月19日(木) 晴れ

2009-03-20 02:34:21 | Weblog
  7時半、起床。ブログの更新をしてから、卵焼き、トースト、紅茶の朝食。横浜の三ツ沢墓地に妻の家の墓参りに行く。陽射しが暖かい。というより蒸し暑いくらいだ。風が湿気を含んでいる。昼食は横浜の駅ビルの食堂街で天せいろ。冷たい蕎麦がちょうどいい。

         

  妻、義姉、義母とは横浜で別れ、蒲田に帰ってくる。この陽気と寝不足のせいでとても眠い。電車の中で少しウトウトしたら多少頭がすっきりしたので、「シャノアール」でアイスココアを飲みながら、1時間ほど読書。店を出ると、目の前の電器屋の店先に人だかりができている。WBCの日本対キューバ戦をやっているのだ。2-0で日本がリードしている。帰宅して居間のソファーでうたた寝をしながら試合の続きを観る。コツコツと追加点を重ねて、5-0で勝った。日本が勝ったことはもちろん嬉しいが、キューバがここで敗退するとは驚いた。カストロの激怒が目に見えるようである。明日は今大会4度目の日韓戦か。可能性として5度目もあるわけだ。いくなんでも同一カード多すぎないか。仮に明日日本が負けて、本選決勝(5度目)で勝つと、日本は優勝したけれども韓国には2勝3敗の負け越しとなるわけで、複雑な気分だろう。つまり、明日は勝ってほしいということです。

         

         

  大学から電話が入る。至急対応しないとならない案件の連絡。今月は大小の案件が続けて発生して、その処理で忙しいが(ブログには書けないことばかり)、今日のはちょっと大きめ。関係者と連絡をとって対処の方針を決める。方針が決まれば問題は半分解決したのに等しい。ベランダで夕日を眺める。「ライ麦畑のキャッチャー」の気分。

         

  夜、『ありふれた奇跡』の最終回を観る。山田太一らしい大団円。そして人生は続く。

3月18日(水) 晴れ

2009-03-19 08:06:56 | Weblog
  7時半、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートの更新。
  お昼に家を出て大学へ。駅ビルで昼食用の「万かつサンド」と、会合のお八つ用に「ビアードパパ」のパリブレスト(ストロベリー)を購入。「お持ち帰りのお時間」を聞かれ、「1時間」と大学までの時間を答えてしまったが、「3時間」と会合までの時間を答えるべきだった。電車を待つホームの陽だまりの暖かさ。コートを着ている人はもういない。
  大学に着いて、研究室で郵便物をチェックしながら、昼食(かつサンドと冷たい缶珈琲)。某私立大学から私の『日常生活の社会学』の一部を入試問題(国語)として使った旨の報告あり。当然のことながらこの種の通知は事後承諾である。使用料とかもなし。ただし、入試問題集に載ったりすると印税が入る。数年前のことだが、中高生向きに書いた『きみたちの今いる場所』(数研出版)が某有名中学の入試問題に使われ、翌年、複数の出版社や予備校から問題集に掲載してもよいかの問い合わせがあった(これは入試とは違って事前に著者の許可が必要)。問題集であるから問題の「正解」も載っているわけだが、それが間違っている場合がある。「正解」は出題校が発表するわけではなく、それぞれの出版社や予備校が独自に考えたものだが、ある予備校の問題集の「正解」の1つが間違っていた。著者が言おうとしたのはそういうことではない。著者本人がいうのだから確かである。「正解」には「カリスマ講師」による解説が付いていたが、「アホちゃうか」と思わず関西弁でツッコミを入れたくなるような内容であった。その予備校に対しては、問題の掲載は認めるが「正解」に誤りがある旨を書いて(誤りである理由を説明して)送ったが、何とも言ってこないので、掲載を取りやめたのかもしれない。まさかあの「正解」で通しているのじゃなかろうな。
  教員ロビーで先日の学士入試で合格した受験生との面談(所属ゼミについての相談)をすませてから、3時から5時まで、論系室で助教のK君、助手のAさん、S君と来週の科目登録ガイダンスの打ち合わせ。余談だが、K君もS君も「ナイツ」のことを知らないのには驚いた。
  生協で以下の本を購入。紙袋に入れて自宅に運ぶ。重かった。

  牧原憲夫『日本の歴史13・幕末から明治時代前期 文明国をめざして』(小学館)
  小松裕『日本の歴史14・明治中期から1920年代 「いのち」と帝国日本』(小学館)
  大門正克『日本の歴史15・1930年代から1955年 戦争と戦後を生きる』(小学館)
  崔文衡『日露戦争の世界史』(藤原書店)
  山田朗『戦争の日本史20・世界史の中の日露戦争』(吉川弘文館)
  市川昭午監修・編集『資料で読む戦後日本の愛国心2 繁栄と忘却の時代 1961~1985』(日本図書センター)
  市川昭午監修・編集『資料で読む戦後日本の愛国心3 停滞と閉塞の時代 1986~2006』(日本図書センター)
  伊藤守編『よくわかるメディア・スタディーズ』(ミネルヴァ書房)

3月17日(火) 晴れ

2009-03-18 10:28:15 | Weblog
  9時、起床。ウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、里芋の味噌汁の朝食。今日も暖かなよい天気だ。
  午後、散歩に出る。山種美術館で開催中の「桜さくらサクラ―さようなら、千鳥ヶ淵―」を観に行く。山種美術館が日本橋兜町から千代田区三番町に引っ越して11年目になる。毎年、この時期には、隣接する桜の名所である千鳥ヶ淵にちなんで桜を描いた絵画(日本画)の展示会を開いていたが、それが今回で最終回。本年、10月に広尾に引っ越すからである。
  九段下の駅を降りると(地上に出ると)、目の前の昭和館で「ワーナー・ビショップ写真展 ~新しい日本と永遠なるもの 1951-52年~」と題した特別企画展をやっていた。しかも入場無料である。山種美術館へ行く前にまずこちらから。昭和館に入るのは初めてである。

         

         
               昭和館の隣は九段会館(旧軍人会館)

  ビショップは、ロパート・キャパの発案で生まれた写真家集団「マグナム」のメンバーの一人で、世界各地を回って、日々刻々変化する世界の様子をカメラに収めることを仕事にしていた。ビショップが日本にやってきたのは1951年の夏で、1年余りを過ごした。しかし、1954年5月、ビショップはペルーを取材中にアンデスの谷間に自動車が転落して亡くなる。享年38歳。没後、写真集『Japon』が刊行された。今回の写真展は、『Japon』に掲載された作品と未発表作品から構成されている。とりわけ興味深かったのは、ビショップが任意に選んだ二人の若い世代(ジェネレーションX)の男女の日常を追ったシリーズ。男性はスマ・ゴローという京都の大学生。女性はミチコという東京の洋裁学校の学生。二人の姿勢や表情がいい。大学のラウンジで、下宿で、友人たちと一緒にいるスマ・ゴロー。自宅の台所で調理をしている、電話を掛けている、学校でデッサンの勉強をしている、神田のホームで電車を待っている、銀座を歩いているミチコ。二人に共通するのは未来を信じていることだ。スマ・ゴローは仮名で、本名は成田洋一。当時、京都大学大学院の国文科の学生だった。2008年10月に亡くなっている。一方、ミチコは本名飯沼道子。目黒のドレスメーカー学院(現在の杉野学園ドレスメーカー学院)のデザイナー養成科の3年生だった。自宅は浦和にあり、父親は裁判官だった。しかし、卒業後の消息は不明(今回の企画にあたって徹底したリサーチが行われたはずだが、それでも不明なのだから、ちっとやそっとのことではわからないと思うが、万一、お心当たりの方は昭和館の方へご一報下さい)。台所で調理をしながらこちらを振り返った一瞬の表情が印象的だ。私にはミチコが結婚前のサザエさんのように見える。後に皇太子の妻となる女性と同じ名前をもった彼女のその後の人生がとても気になる。それは1つの事例でありながら、同世代の女性たちの典型のように思えるのだ。写真展は4月19日まで。通勤・通学に地下鉄東西線、新宿線、半蔵門線を使っている方は、ぜひ九段下で下車して立ち寄ってみてください。定期券を利用しているなら電車賃もかからない。入場料も無料。絶対損はさせません。千鳥ヶ淵や靖国神社の桜もこれから見ごろになります(広報担当か)。

         
                  台所に立つミチコ、浦和、1951年

  山種美術館は、九段坂を登り、千鳥ヶ淵の桜並木を歩き、途中で鍋割坂を上がって内堀通りに出たところにある三番町KSビルの1階にある。さほど広い美術館ではないが、内容は充実している。桜は日本画の題材としては富士山に並ぶものであろう。接写してもよし、遠望してもよし。一本桜を描いてもよし、群生する桜を描いてもよし。真昼の桜もよし、夜桜もよし。今回、一番心惹かれたのは、奥村土牛の「醍醐」(1972年)。京都の醍醐寺の枝垂桜を描いたもので、土牛83歳のときの作品である。うっとりしてしまう。売店で絵葉書を30枚購入(全部違う作品)。一枚100円とはいえ、30枚となるとそれなりの出費である。「醍醐」の複製画(ミニチュア)が額付きで1万円で売っており、あやうくそれも購入しそうになったが、かろうじて思いとどまる。観たくなったらまた実物を観にくればいい。            

         

         

         

          

  近くまできたついでなので、竹橋の東京国立近代美術館にも行ってみる。常設展だが3月14日に展示作品の入れ替えがあり、1月2日に来たときには展示されていなかったお気に入りの和田三造「南風」(1907年)と久しぶりに対面することができた。いつものように申し出て、写真撮影許可のワッペンを肩に貼ってもらう。写真撮影OKの件はあまり知られていないようで、同じような人と一緒になったことがない。盗み撮りをしていると勘違いされないように、構図を定めて、堂々と撮る。

         

  売店で買物をしてから、併設されているレストラン「クイーン・アリス アクア」で遅い遅い昼食(スパゲッティ・ナポリタンと珈琲)をとる。出品作品リストとデジカメの写真を照合して対応関係を記録しておく(時間が経つとわからなくなってしまうので)。ナポリタンは美味しかった。700円と値段もリーズナブル。ただし珈琲(400円)を一緒に注文しても喫茶店では当たり前のセット料金サービスはない。目の前は皇居。これからの桜のシーズンは混むだろうな。帰りは銀座へ出て、伊東屋で買物(イートンペンシルを赤白各18本購入)。夕方の銀ブラももう寒くはない。