フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月25日(水) 晴れのち曇り

2012-01-26 01:19:39 | Weblog

  8時、起床。ウィンナーとキャベツの炒め、トースト、紅茶の朝食。

  昼から大学へ。昨日に続いて「たかはし」で昼食。今日は肉豆腐定食を注文。スプーンが付いてくるが、直接スプーンで口に運ぶのではなく、いったんご飯の上にのせて、箸で食べる。豚丼のイメージ。肉豆腐のよさは、汁の甘味と温かさ、豚肉の脂と豆腐の淡白さ。

  3時から教授会。5時半ごろまで。

  7時半から教務戦略会議。お弁当を食べながら。今日のお弁当は変わっている。まい泉の弁当なのだが、カツサンドとお稲荷さん・海苔巻きが同居している。行楽用の弁当のようである。会議は10時過ぎまで続いた。

  帰りの電車の中で、小島信夫「アメリカン・スクール」を読む。

  11時半、帰宅。風呂から出て、「ラーメンですかい」(ミニサイズのカップラーメン)を食べ、ブログを更新し、『孤独のグルメ』を観る。今日の『孤独のグルメ』は新浦安のカフェレストランの静岡おでん。静岡おでんというものを初めて知った。へぇ、黒いんだ。鎌倉駅前の「茶寮いの上」のおでん定食が食べたくなった。明日行こうかな・・・というわけにはいかない。


1月24日(火) 晴れのち曇り

2012-01-25 08:28:25 | Weblog

  8時、起床。久しぶりの青空。雪の降った翌日は穏やかな晴天となることが多い。「雪晴れ」という季語があったなと思う。歳時記をめくってみる。

    雪晴れのひざしまともに机かな  五百木瓢亭

  でも、残念ながら、昼前にはまた雲が出てきた。束の間の雪晴れだった。ウィンナーとパン、紅茶の朝食。

  午後から大学へ。「たかはし」で昼食。お刺身定食は寒鰤の一点盛り。これが実に美味しかった。下手なトロなど足元にも及ばない。

  食後のコーヒーはミルクホールで調達。昨日と今日の二日間は補講日で、通常の授業はなし。ミルクホールの営業も3時までだ。私は一度も休講はしていないので、補講もなし。教務室で仕事。

  6時半ごろ、夕食をとりに「maruharu」へ。カツサンドとスープ。食事の前に柚子とオレンジのゼリー。食後にガトーショコラと紅茶。

 

 

  9時半まで仕事をして大学を出る。電車の中で小沼丹「白孔雀のいるホテル」を読了。ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』のような上質のユーモア小説の味わいがある。変てこな人間ばかり登場するが、みなどこか憎めないところがある。読者がそう思うのは、そういうなまざしで作者が登場人物を描いているからである。ここには確かに小沼丹の世界がある。

  蒲田駅から家に帰る途中で、石焼芋を買う。前を歩いていた女性が買うのを見て、自分も買いたくなったのだ。たぶん電車の中で「白孔雀のいるホテル」を読んだ直後だったからかもしれない。石焼芋を買うのはずいぶんとひさしぶりで、前がいつのことだったか思い出せない。帰宅して妻と息子にもわけてやる。ほっこりといい塩梅に火の通った美味しい石焼芋だった。

  風呂を浴びてから、録画したおいた『ハングリー!』第三話を観る。チームに新しいメンバーが加わった。特技は接客時の笑顔だ。

  今日、一文の社会学の卒業生のTさんが、ブログを再開していることに気づいた。去年の7月に在学中から6年間続けていたブログを止めると宣言して、私を淋しい気持ちにさせてくれたが、9月の終わりに別のブログを立てて再開したのだ。私が毎日チェックするブログは7つだが、これで8つになった。さっそく最初のブログに「祝新装開店」のコメントをした。仲間が戻ってきてくれたようで嬉しい。


1月23日(月) 雨のち雪

2012-01-24 00:35:05 | Weblog

  7時半、起床。ハム、レタス、トースト、紅茶の朝食。

  9時前に家を出て、大学へ。

  午前中は面接の仕事。午後も面接の仕事。その合間に弁当を食べ、教務的打ち合わせを行う。やっかいな問題、呆れた問題、あれこれ起こってくれます。

  6時半頃、大学を出る。地下鉄から妻にメールを出す。「遅いじゃない」と返事が来る。

  7時半、帰宅。夕食は鶏鍋。

  外が妙に静かなので、雨戸を開けてみると、雪が降っていた。積もり始めている。明日は母を病院に連れて行かねば成らないが、滑って転んだら大変だ。キャンセルしたほうがいいかもしれない。

  深夜、『第三の新人名作選』から小沼丹「白孔雀のいるホテル」を読む。


1月22日(日) 雨のち晴れ

2012-01-23 00:57:45 | Weblog

  8時、起床。焼きハム、レタス、トースト、紅茶の朝食。

  10時少し前に妻と家を出る。妻の母親が肺炎で先週の木曜日に鴨居の病院に入院したので、お見舞いに行くためである。病院にはちょうど1時間で着いた。日曜日で外来患者がいないこともあり、病院内はとても静かだ。入院患者は老人が多いようで、みんな病室に引きこもっている。義母は朝の検温で37度5分あったとかで、退院にはもう少しかかりそうだ。

  鴨居の駅に戻る途中、「丸源」というラーメン家で昼食をとる。看板メニューの肉そばを注文。餃子(3ヶ)とご飯(中)もつけてもらう。広い店内はほぼ満席で、これは期待できると思った。実際、なかなか美味しかった。スープは醤油ベースで、豚肉の脂は浮いているものの、豚骨スープのようなこってり感はない。豚肉の脂も、柚子胡椒おろしがサッパリしているので、うまく中和されている。またお見舞いに来ることがあれば、またこの店で食事をしようと思う。「どろだれラー油」をお土産に買って帰る。

 
中央のオレンジ色のものは、生卵ではなく、柚子胡椒おろし

  蒲田に着いて、その足で床屋(理髪一番)に行く。うとうとしているうちに散髪終了。

  蒲田宝塚で『ALWAYS三丁目の夕日'64』を観る。この老朽化の進んだ場末の映画館にしてはかなりの観客である。シリーズ三作目(たぶんこれで終りだと思うが)の今回の目玉となる出来事は、六子(掘北真希)の恋愛と結婚、淳之介(須賀健太)の自立である。これに加えて、竜之介の父親(米倉斉加年)の死、ヒロミの出産も大きな出来事である。そうした出来事を通して描かれるのは「本当の幸せとは何か」ということである。 すなわち幸福の物語。60年代の幸福の物語は家族を舞台にして展開するが、注意すべきは、鈴木家も茶川家も血のつながりのない成員を含んでいるということだ。六子は鈴木オートの社長夫婦(堤真一と薬師丸ひろ子)の娘ではなく、6年前に集団就職で東京に出てきた使用人である。淳之介は竜之介とヒロミの実子ではなく、ある会社の社長(小日向文世)が愛人(奥貫薫)に産ませた子供で、その女性が他の男と結婚するにあたって邪魔になって知り合いだったヒロミに預けて出て行ったのである。つまり鈴木家も茶川家も内部に血のつながりのない他者を含む、一種の擬似家族なのである。しかし、この擬似家族は本当の家族よりも家族らしい。いや、擬似家族であるにもかかわらずではなく、擬似家族であるがゆえに、本当の家族以上に家族らしいのである。本当の家族は家族であるという事実の上に胡坐をかいて、家族であることに努力しない。しかし、擬似家族は、自分たちが擬似家族であることを知っているから、本当の家族たらんとして努力するのである。家族であることに意識的なのである。血のつながりのある家族は、竜之介とその父親の関係がそうであるように、一筋縄では行かないやっかいなものである。屈折したものである。擬似家族にはそうした屈折がない。大澤真幸の「他者性のない他者」という表現を借用するならば、擬似家族は「家族性のない家族」になりがちなのである。「家族性のない家族」においては、親は子供の幸せのみを考え、子は親の恩に報いることのみを考える。本当の家族はそうではない。親は子の幸せのみを考えているようでいて、実際は、子が親の期待の範囲内で幸せになってくれることを期待している、だから子は親の期待を拘束として感じ、親の期待をいかに裏切るか、そこからいかに自由になるかを考える。思えば、60年代とは教育家族(子供に教育的投資をして、子供の成功の物語による代理的な自己実現をめざす親たち)が台頭した時代であった。『ALWAYS三丁目の夕日』シリーズの成功は、高度成長期の現実の家族ではなく理想の家族を描いたことに起因すると考えるが、そのためには擬似家族を舞台にする必要があったのである。


次に来るのはこの映画を観るときだろう(テアトル蒲田)。


1月21日(土) 小雨

2012-01-22 01:34:31 | Weblog

  8時、起床。今日も寒い。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。

  昼から大学へ。王子駅付近で起こった火事の影響で京浜東北線が朝から止まっていたが、私が駅に着いたタイミングで運転再開。しかし、すぐに普通通りというわけにはいかず、ホームでだいぶ待たされた。

  昼食は、東京駅から大手町駅への乗り換えの途中、「屏南」で。担担麺を注文。やはりここの担担麺は美味しい。担担麺の美味しさ自体から来る満足と、それをチョイスしたことが正解であったという満足と、二重の満足を味わう。

  1時から大学院の社会学コースの博士論文中間報告会。2名が報告。2人目の報告が終わって、質疑応答をしているところへ事務所の人がやってきて、私を呼ぶ。緊急の問題が発生したようである。報告会を中座して対処にあたる。

  その後は夕方まで教務室で仕事。6時半に大学を出る。

  地下鉄の駅のホームに毛糸の手袋が片方落ちていた。冬場にはよくあることだが、切ない情景だ。「ごめんね」と落とし主に代わって言ってあげたい気持ちになる。耳を澄ますと、手袋も「私の方こそ、ごめんね」と言っているような気がする。「もっとあなたの手をあたためてあげたかった。ごめんね」と。・・・明らかに、昨日、教室で観た『ワンピース』の映像、ゴーイング・メリー号とルフィーたちとの別れのシーンの影響である。

  帰りの電車の中で、『第三の新人名作選』(講談社文芸文庫)の中から、遠藤周作「アデンまで」を読む。志賀直哉の「網走まで」を連想させるタイトルだが、志賀が列車の中で乗り合わせた母子の身の上を考えるようには、主人公はフランスから日本に帰る船の四等船室で一緒になった病気の黒人女の身の上について考えてはいない。ただ、女が黒人であること、自分が黄色人種であること、そのことだけがすべてだった。白人と同じ知性を持った人間としてフランスに留学した主人公は、自分が黄色人種であることをいやというほど思い知らされて日本に帰るのである。最後の場面、死んだ黒人女を水葬にするとき、修道女は低い声でミサ典書を読み上げる。

  「修道女の読むそれらの白人の祈祷、俺がヨーロッパでたえまなく聞きつづけた人間の慟哭と祈りとは、もはや俺の耳には乾いた意味のない音としか聞えなかった。今の俺は死んだ黒人女がそれら白い世界とはもう無縁であること、死の後にも裁きや悦びも苦しみもないこの大いなる砂漠と海との一点となることを知っていた。」

  不思議なことだが、この場面には一種のやすららぎがある。救済がある。それは遠藤がその後の作家生活で追求しつづけたものであるように思う。

  7時半、帰宅。夕食はモツ鍋。

  録画しておいた『恋愛ニート』の初回を観る。途中までイマイチの展開だったが、終盤、登場人物それぞれのかかえる人生の問題が垣間見えるあたりから面白くなった。