8時、起床。
昨夜、母からおすそ分けしてもらった本マグロの赤身を一晩醤油に漬け込んで、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、ご飯の朝食。もちろんお茶漬けで食べる。
昼食は母がレトルトの鰻の蒲焼(国産)を食べるというので、母が4分の一を食べ、私が4分の3をもらって鰻重、とろろ芋、味噌汁、奈良漬。
午後から大学へ。
一文の卒業生(社会学専修、2000年卒)のまゆみさんが、二人の娘さんを連れて研究室にやってくる。かよちゃん(8)ときみちゃん(5)。かよちゃんは小学校2年生。これまで赤ん坊や幼児を連れてきた卒業生は何人かいるが、小学生のお子さんは初めて。
二人ともお母さんが大好きで、まゆみさん曰く、「いま、人生最大のモテ期です。でも、あと何年続くかしら・・・」。これまで会ったまゆみさんとは違って、今日はお母さんの顔をしている。
校内をぶらぶらする。
きみちゃんはお絵かきが大好き。私の研究室にいるときも私のあげたメモ用紙に一生懸命絵を描いていたが、教室でもホワイトボードに絵を描いていた。自画像のようである。絵を描くことも、自分のことも好きなのだろう。一般に幼児とはナルシシストがあるが、それは幼児にとっての重要な他者である母親が自分の子どものことを好きだからである。「大好きなお母さんが大好きな自分のことが大好き」なのである。
ケーキを食べにカフェへ。
スロープを駆け下りる娘たちを写真に撮るまゆみさん。自分の子どもが自分の母校のキャンパスに来ているということに感無量のようだった。
そのまゆみさんを写真にと撮る私。自分の教え子が親になって子連れで研究室にやって来るということに感無量である。
最初、「カフェゴト―」に行くつもりだったが、お子さんたちはフルーツ系のケーキが苦手(チョコレートケーキが好き)ということだったので、「ディースタイル・トーキョー」に行く。しかしイートインスペースが埋まっていたので、テイクアウトして、研究室で食べることにした。
二人きょうだいの中でも女の子二人のきょうだいには独特のものがある。姉-妹という上下関係にいわゆる「女子的人間関係」が加味される。とくに二人ともお母さんのことが大好きという場合、愛情の争奪戦が展開され、ジェラシーが生まれる。総じて、妹はあからさまに母親の愛情を求めることを許容され、姉は「お姉ちゃんなんだから」と我慢を強いられる。その結果、姉の側にフラストレーションが溜まって、それがさまざまな形で表出されることになる(怒る、泣く、拗ねる・・・)。実際、かよちゃんはまゆみさんが自分のことを「お姉ちゃん」と呼ぶと、「私はお母さんのお姉ちゃんじゃない。名前で呼んで」というそうだ(それもクールな口調で)。「お姉ちゃんなんだから・・・」ということで忍従を強いられるのは理不尽なことなのだろう。
自由奔放なきみちゃん。「飲み物は紅茶でいいかな?」と尋ねたら、「ブラックコーヒーがいい」と言った。ごめん、コーヒーは切らしているんだ。
姉妹それぞれの理由でちょっと機嫌が悪くなったので、事態の転換を図ろうと、私は勝負手を打った。プレゼント作戦である。木製の猫のブローチと花柄の紙の手提げ袋。それぞれ1つずつしかないので、二人が同じものを欲しがった場合は、事態はますますこじれることなる。リスキーだが、ここは一か八かだ。「君たちにプレゼントがあるんだ」と言って、テーブルの上にブローチと手提げ袋を置いた。二人の目が輝いた。「どっちがいいかな?」と聞くが早いか、二人は「こっちがいい!」と叫んで、かよちゃんはブローチ、きみちゃんは手提げ袋を指さした。よ、よかった。
あとからまゆみさんからメールが届いた。「最後のプレゼント作戦が効き、長女は鼻歌を歌いながら自転車でご機嫌に、次女は先生やさしいね~とにこにこして帰りました」。
帰宅してからきみちゃんが描いたという家族4人の絵がメールに添付されていた(研究室では時間切れで最後まで描けなかったのだ)。どうぞ家族4人お幸せに。
家族円満のカギは夫婦関係である。子どもはお母さんのことが好きなので、お母さんがお父さん(夫)を好きだと、子どももお父さんが好きになる。たとえ直接言葉にしなくても、子どもはお母さんがお父さんのことを好きなのか嫌いなのか(はたまた関心がないのか)に敏感である。
夕方、ゼミ4年生の男子3人が研究室にやって来た。これから渋谷のカフェを貸し切って卒業パーティーをやるのだが、そのとき完成したゼミ論集を配布するので、人数分(16名)を運んでもらう。
午後6時の渋谷(ハチ公前の交差点)。
カフェ「ジローナ」の店員さん・・・ではなくてPさん。
さっそく乾杯。
左から、A君、Nさん、Kさん、Mさん、もう一人のMさん。
左から、Sさん、もう一人のSさん、Pさん、Uさん、Hさん。
左から、Aさん、Tさん、Yさん、Kさん、N君、もう一人のN君。
余興として(結婚披露宴のときみたいに)ゼミ生一人一人の成長記録が壁に投影された。各自が選んだ、(1)小さい頃、(2)青春時代、(3)最近、の3枚の写真がスライドショー的に映され、「これは誰でしょう?」という趣向である。あとから全員の写真を収めたCDをいただいたが、そういう趣向だとは知らなかった私は最初の一枚ですでに正体がばれるような写真を担当のSさんに贈っていた。
小さい頃(祖母の入院している病院を見舞いに行ったとき)。 青年時代(大学院の先輩の結婚披露宴の司会を務めたとき)。
最近(12月に夫婦で箱根を旅行したとき)
今日はこのCDのほかにも花束、ペアのカップ、みんなのコメントの描かれたアルバムをいただいた。
カップは研究室に置いて、君たちが訪ねてきてくれたときに使いましょう。
たくさん書いていただいたメッセージは帰りの電車の中で読ませてもらいました。あたたかなスープのようにあたたかなメッセージ、どうもありがとう。
みんなと過ごした時間は忘れません。私の人生の大切な2年間です。
お店の方に集合写真を撮ってもらう。
店を出たところで一人一人の写真を撮る。
駅に向かう道で。
先を歩く二人(SさんとHさん)に声をかける。
この道は、渋谷駅経由で、「明日」へと続いている。(方向性を失っている人がいる。あわあわ・・・)。
では、明日、卒業式で会いましょう。