フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月23日(日) 晴れのち曇り

2015-08-24 02:34:22 | Weblog

7時、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、牛乳、紅茶の朝食。

午後、散歩に出る。朝方は晴れていたが、文字通り、雲行きが怪しくなってきた。

8月も残り一週間。ゆく夏を惜しむように駅の周辺はけっこうな人出である。

『カフェドコバ』に入る。

ロースハムと野菜のサンドウィッチ、ブレンドコーヒーを注文。遅い昼食なので、軽めにした。

原稿を書きながら、必要があって、池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮文庫)を読み返す。

池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(平凡社)は雑誌『太陽』一九七六年新年号から七七年六月号に連載され、連載が終了した年の十二月に単行本として出版された。私が新潮文庫に入ったこの本を読んだのは、一九八一年の冬のことだった。私は本を読み終わると、そしてそれが面白い本であった場合、裏表紙の隅に小さな字でそのときの私の年齢と季節を記入しておく習慣がある。この文庫本の裏表紙には「27才 冬」と記されている。そのとき私は大学院の博士課程の2年生だった。

池波正太郎の本を読んだのはそのときが初めてだった。彼の時代小説のファンというわけではなかった私がこの本を手に取ったのは、軽妙洒脱なタイトルと著者自身が描いた表紙の絵に惹かれたからであるが、実際に読み始めて、たちまちその文章に魅了された。

私は散歩が好きで、食べることも好きだったので、よくこの本をポケットに入れて散歩に出た。実際に本で紹介されている店(高いレストランや鮨屋や天ぷら屋は無理だったので、蕎麦屋やカフェに限られたが)に行ってみたりもした。しかし、すぐに気がついた。この本はそういうグルメ本(おいしい店の紹介本)のように利用すべき本ではないと。この本に書かれているのは、いや、描かれているのは、著者と馴染みの店との関係なのである。「馴染みの店」という場所で展開される、美味しい料理とそれを作る人とそれを食べる著者との交流、そしてその背景にある著者の人生の記憶が描かれているのだ。『散歩のとき何か食べたくなって』はそうした広がりと厚みのある物語、一種のユートピアの物語なのである。

30年以上も前に読んだこの本はいまでも私の座右の書である。ライフスタイルの指南書といってもよい。

カフェの梯子で、本日をもって閉店する「シャノアール」に行く。

中央のこの広いテーブルは長居しての読書や原稿書きではよくお世話になった。

さようなら、「シャノアール蒲田店」。最後の注文はカフェオレ。

夕食は鶏肉の葱焼き。

デザートは桃。


8月22日(土) 晴れ

2015-08-23 11:44:39 | Weblog

7時半、起床。

 ご飯、カレー、サラダ(ウィンナー、トマト、レタス、冷麦茶)の朝食。

11時半に蒲田駅で卒業生のきょうこさん(論系ゼミ1期生、2011年卒)と待ち合わせ、「まやんち」へ行く。土曜日だけあって、開店早々空席待ちの人たちがいる。もちろんわれわれは予約して来ている。

 

ピーチメルバとポットの紅茶(私は春摘みのダージリン、きょうこさんは東方美人)。

きょうこさんは人生初の、私は今シーズン9個目のピーチメルバ。「PPMって知っているかい?」と私はきょうこさんに尋ねた。「知りません」ときょうこさん。そうか、知らないのか・・・。私は彼女が「ピーター、ポール&マリーですね。父がよく口ずさんでいました」と答えることを期待していた。そうすれば、「いや、パーソン・オブ・ピーチ・メルバ、つまり私のことです」と切り返すつもりだった。1960年代(あるいは少年時代)は遠くなりにけり。

渦巻き状星雲のようである。

「まやんち」には1時間ほど滞在し、「パン日和あをや」へ移動する。

二つあるテーブルの入口手前のテーブルがリザーブされていた。

今日は暑さがぶり返した。乾いた喉をジンジャーエール(8月のドリンク)で潤す。

さて、何を食べようかな。

スモークハムのタルティーヌ。

ビンソワーズ(ジャガイモの冷製スープ)。美味しい。

マシュルームアヒージョ(パン付)。アヒージョはスペイン語で、オリーブオイルとニンニクで煮込んだもののこと。この店でこれを食べるのは二度目。最初は去年のクリスマスディナーに娘と来て食べた。

サーモンのオープンサンド。普通のサンドウィッチはパンを2枚使うが、オープンサンドは1枚。その分たくさん食べられる。

ベーコンのオープンサンド。無添加のベーコンが美味しい。

二階の家族客が返ったので、二階を見学。

下宿で小説を執筆中の樋口一葉のイメージできょうこさんのポートレートを撮る。

このちゃぶ台の前に座ると誰もがちゃぶ台返しの真似をしてみたくなるようである。

一階に戻って、デザートのクリームチーズフラン(今日の果実は林檎)とコーヒー。一昨日来たときは白桃だった。それで変えてくださったのだろう(通常は週替わり)。

テーブルの上にはお店の常連さんが制作されたパンの焼きものと小皿が置かれていた。お店で売っているパンがモデルになっている。手前から時計回りに丸パン、クロワッサン、サルサ(ピザ)パン、食パン、コッペパンですね。「全問正解です!」とご夫妻が拍手をしてくれた。

旦那様にスーショットを撮っていただく。

きょうこさんのほんわかとした雰囲気は「あをや」のご夫妻を和ませたようである。お店の開店の物語を語って下さった。

きょうこさんはこれから友人たちと調布の花火大会を見に行くという。鹿島田駅で、彼女は立川方面行の電車に乗り、私は川崎方面行きの電車に乗った。月末にはバリ旅行に行くそうだ。 

4時過ぎに帰宅。

夕食はカジキマグロのソテー。


8月21日(金) 曇り

2015-08-22 10:20:39 | Weblog

7時半、起床。

トースト、ポトフ、サラダ(トマト、レタス)、紫蘇ジュースの朝食。

11時半に蒲田駅でAさんと待ち合わせて、「まやんち」へ行く。

今日は平日だが、Aさんは夏休みをとってやってきた。ところが、数日前に、急に決まった今日の会議に出てくれないかと上司に言われた。理不尽な話である。Aさんが早くから夏休みを申請して今日がその日であることは知っているはずである。「仕事だから」といえば、何でも通ると思っているのだろう。こういう人間はどこにでもいる。すみません、旅行に行くことになっているので、とAさんはとっさに嘘をついた。大学時代の先生とピーチメルバを食べる約束があるのです。今日を逃すと来年の夏まで食べられないのです。そう正直に言うのは控えた。旅行か、じゃあしかたないな、と上司は言った。・・・というわけで、Aさんの写真をブログに載せるのは控えさせていただきます(笑)。

ピーチメルバと紅茶(私はアイスティー、Aさんは東方美人をポットで)。

Aさんは人生初の(そういう人がほとんどだ)、私は今シーズン8個目のピーチメルバ。自己記録を更新した。

今日は花びら状にスライスした桃は10枚ある。いつもは8枚である。そのことを店主のまゆみさんに言ったら、今日の桃はいつもより小ぶりなので、数を多くしたのです。気付かれるとはさすがに「キング・オブ・ピーチメルバ」ですね、と言われた。なんでも今日の時点で、今シーズンの「キング・オブ・ピーチメルバ」は私に決定したのだそうだ(2位以下を大きく引き離して)。すでに表彰状も出来ていますとのこと。どこまで本当なのはわからない。

焼き菓子の盛り合わせを一皿注文して、残った紅茶を飲む(ポットの紅茶はカップに3杯ほど飲めるのである)。

「phono kafe」は1時に予約してある。Aさんは「phono kafe」も初めて。

私はご飯セット(玄米と味噌汁)、Aさんはパンセット(パンとスープ)を注文し、おかずは6種を全部取ってシェアした。

蕪とオクラの梅肉和え(手前)、長芋と蓮根の竜田揚げ(奥)。

南瓜と胡桃のサラダ(手前)、玄米と豆腐のタルト人参ソース掛け(奥)。

ジャガイモ・ガレットのトマト添え。

揚げ茄子と金糸瓜のマリネ。

食事をしているときに見たことのある人が入って来て、私に挨拶をした。おや、院生のTさんだ。一緒にいるのは、お母様とのこと(最初はお友だちかと思った)。私のブログで「phono kafe」のことを知って、今日初めてやってきたのだそうだ。お二人はかき氷を注文されていた。

店を出て、腹ごなしに駅前の商店街を散歩し、東急プラザの屋上でひと休み。風が心地よい。

昨日のブログで、家族の時間、仕事の時間、社交の時間、孤独の時間のバランスが大切と書いたが、Aさんの現在の悩みは仕事の時間が肥大して、孤独の時間が思うように取れないこと。余暇の時間はもちろんあるのだが、それは優先的に家族の時間に配分しなくてはならいないように思われて、でも、それが苦しいらしい。もっと一人の時間が欲しいのですが、それは自分勝手な考え方でしょうか、とAさんは言う。そんなことはないでしょう、自分を大切にできない人は、家族のことも大切にはできませんよ。自分を犠牲にして家族のために尽くす生活は長続きしません。Aさんがこういう問題で悩むのはそもそも実質一日12時間労働という仕事の時間の肥大が原因なのである。「仕事だから」という論理(仕事至上主義)には断固抗わねばならない。そういう土台の部分の問題には手を付けないで、乏しい余暇時間の配分(家族か自分か)に悩み、自分を責めるのは、問題のすり替えである。だから、今日、Aさんが上司に小さな嘘をついて、貴重な「夏休み」の一日を死守したのはとてもいいことである(笑)。

Aさんを改札で見送ってから、会計事務所に書類を受け取りに行く。会計事務所はビルの4階にあるが、周りに高い建物がないため(住宅街にあるビルなのだ)、蒲田の街を広く見渡すことができる。

帰りに「phono kafe」に寄って(会計事務所の向かいにあるのだ)、梅ジュースを飲む。

梅ジュースを飲みながら大原さんとおしゃべりをしていると、常連客のT氏やS氏がやってきて、話しの輪が広がる。

情報通のS氏によると、現時点で蒲田で一番評判のいいトンカツ屋は「檍」(あおき)で、「ムッシュ・ノンノン」閉店後の蒲田の三大ナポリタンは「テラス・ドルチェ」、「すみっこ」、「グッ・ディー」だそうである。へェ、そうなんだ。

夕食はカレーライス。

デザートは葡萄。一房を妻と分ける。

 


8月20日(木) 雨のち曇り

2015-08-21 11:04:45 | Weblog

9時、起床。

サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)とアイスコーヒーだけの朝食。普段の朝食にはトーストが必須だが、今日は昼食を「パン日和あをや」で食べる予定なので、朝食でパンは食べないのである。

11時半に蒲田駅で卒業生のNさん(論系ゼミ3期生、2013年卒)と待ち合わせ、「まやんち」へ行く。

メニューから消えるのか心配していたピーチメルバだが、予約扱いにしていただいていたので、大丈夫だった。普段は山梨産の桃を使っているのだが、今日は長野産の桃を取り寄せて、なんとか急場を凌ぎましたと店長のまゆみさんが説明してくれた。

Nさんは遠路はるばる川越からやって来てくれたので、これでもしピーチメルバが食べられなかったらどうしようと思っていたが、よかった、よかった。

Nさんは人生初の、私は今シーズン7個目のピーチメルバである。1シーズン7個は自己記録タイである。

ピーチメルバの後は残ったお茶で焼き菓子の盛り合わせ(一皿をシェア)を食べるのが最近の定跡である。

「まやんち」には1時間ほど滞在した。

蒲田から川崎経由で矢向へ。朝方の雨はもう止んでいる。

線路沿いの道を鹿島田の方へ歩く。

踏切を渡る。

「パン日和あをや」に到着(矢向駅から徒歩10分)。

私はジンジャエール(8月のドリンク)、Nさんはレモンスカッシュ(7月のドリンク)でとりあえず喉を潤す。ジンジャエールはツンツンしていなくてとてもやさしい味わい。

さて、何を食べようかな。

スモークハムのタルティーヌ(フランス式オープンサンド)。

本日のスープ(茄子と鶏肉のタイカレー)。

奥さんがカレーと一緒に食べると合いますよと出してくれた胡桃パン。

私はスープのお替り(小カップで)。美味しいスープだった。

サーモンとアボカドとクリームチーズのサンドウィッチ。

Nさんに二階の和室を見せてあげる。

一階のテーブル席とはまた違った雰囲気のちゃぶ台。

Nさんはこの夏、ベトナムを一人旅してきたそうだ。一人旅というところがいい。旅の楽しみは一人旅にある、というのが私の持論である。生活の時間には、家族の時間、仕事の時間、社交の時間、孤独の時間という主要な4つの相(フェーズ)があり、このバランスをとることが大切だ。どれかに偏重するのは精神衛生上よろしくない。そして一人旅は孤独の時間の過ごし方としては最上のものである(日常的には読書が一番)。

ベトナム映画『夏至』(トラン・アン・ユン監督、2000年)のイメージでNさんのポートレートを撮る。

一階に戻り、デザートのクリームチーズフラン(白桃)とコーヒー。

お客はほかにいなかったので、奥さまをまじえておしゃべり。Nさんは奥様に人生相談のようなことをしていた。

女同士の会話には立ち入らないことにしています(笑)。

「先生は何も悩みなんてないんじゃありませんか」と奥様。偏見にもほどがある。

孤独の時間を楽しめる人は社交の時間も楽しめる人でもある。また会いましょう。

「パン日和あをや」の夏休みは8月23日(月)~27日(木)。

9月のドリンクは何ですかと聞いたが、奥様は教えてくれなかった。もしかして何も考えてないんじゃないですか?(笑)

Nさんは川崎から東海道本線に乗って帰って行った。

夕食は豚肉とピーマンと玉ネギの生姜焼き風味。

デザートは葡萄。

Nさんから手土産にいただいた大分名物の「ザビエル」をいただく。以前、一度、どこかで食べたことがある。でも、どこでだったか思い出せない。ゼミのスイーツタイムだったかもしれない。

娘が自分のブログ(field note 02)でブログ論のようなものを書いていたので、その一部を抜粋して紹介しておく。

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そもそも私が日記を書くことに決めたのは祖母の死をきっかけにしている。たくさんの理由の中のたったひとつの小さな理由ではあるものの、それは決して些末な小ささではない。

 私はこのページを、何よりまず私自身が自分の行動のログを確認できるものとして位置付けている。またそれが、第三者が読んでも読解が難くないだけの質を持っているものとして。

 このようなことはTwitterでは不可能だろう。文字数制限の要因が一番大きいが、そもそもTwitterが個人のアーカイブ向きになっていない。Twitterは常にリアルタイムで気軽でインスタントでポップであるものだ。

 Facebookなら十分に日記の機能を満たすだろう。しかしFacebookの記録はそれが友人たちとの繋がりがメインにするところが動機だと思う。つまり、感情や価値観をシェアすることが。しかし私は現在日記に交流は求めていない。ここで使った「交流」の意味合いは、日記にコメントやイイネが付いてそれに返事をする行為やそれを求めるエントリーのことだ。交流は「見る/見られる」だけがあればいい。見ているというアリバイ作りがない緩い交流があればそれで。もっと言えば、書くという行為があれば誰も見ていなくても目的は達成できる。私が重要視する目的とは「書くという行為」そのものだ。

 毎日のことを、その日にあったこと考えたことだけを書くこと。そしてそれらを時間の許す範囲で良質に、それなりにボリュームのある文章で記録すること。最後に、それを継続すること。Twitterの脊髄反射になってしまいがち書き込みや、Facebookの無条件イイネが頻発する現在では、このような取り組み、結構レアなのではないだろうか(古臭いとも言うかもしれないが)。

(2015.8.19の記事より)


8月19日(水) 曇り

2015-08-20 10:01:33 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、ハム、トマト、レタス(、カルピスソーダ(カルピスを炭酸水で割った)、紅茶の朝食。

今日は悪いことが2つ、良いことが3つあった。

早実が準決勝で仙台育英に7対0で大敗した。今夏の甲子園大会で初めてちゃんとTV観戦したというのに・・・。それがいけなかったのかもしれない。期待するから裏切られるのだ。これが悪いことの1つ目。

明日、明後日、明々後日、3日連続で「まやんち」へ行く予定なので、予約の電話をしたら、台風の影響でいい桃が入って来なくてピーチメルバを提供できないかもしれませんと言われた。ガーン。これが悪いことの2つ目。

昼食をメキシコ料理の「ハリスコ」に食べに行ったら、「phono kafe」の大原さん夫婦がいらした。私は「ハリスコ」は一年半ぶりだが、大原さん夫婦はときどき来ていて、「ハリスコ」のお母さん(メキシコ人)と娘さん(日本人とのハーフ)もときどき「phono kafe」に来ているようだ。私も話の輪に加わらせていただく。これが良いことの1つ目。

ハマイカ(ハイビスカスのティー)。

名前を失念したが、メキシカンライスと蒸した鶏肉にチョコレートと辛子をブレンドしたソースを掛けた料理。メキシコではお祝いごとのときによく作るという。お赤飯みたいなものだろうか。お母様が「離婚したときにも作るのよ」と言ったので、「それは妻の側の話ですね」と聞いたら、「そうよ」と言ってニッコリされた。離婚が多くの場合、女性にとっては解放であることは日本もメキシコも同じであることを確認した。

香草入りのコンソメスープが料理によく合う。

デザートはコーヒーゼリー。

娘さんに「これは何ですか?」と聞いたら、「辛子です。右側の2つの瓶はそれほど辛くはありませんが、左側の3つの瓶はとても辛いです。人間が食べるものじゃないと言う人もいます」と言った。

「phno kafe」仲間で「ハリスコ」の常連でもあるS氏は、左の3つの瓶でも一番辛いやつをクラッカーにつけて食べたとき、普段は無口な彼が、目を大きく開いて、「これは美味しい!」と言ったそうである。やっぱり普通の人間ではないのだな(笑)。

夕方、ジムへ行く。軽めの筋トレ1セットとクロストレーナーを40分漕いで、570キロカロリーを消費する。

トレーニングを終えて、ケータイをチェックすると、オーストラリアに留学中のゼミ4年生のHさんからメールが届いていた。シドニーはいまが真冬である。

 「 いい企業に入るとか、ばりばり稼ぐとか、子供を英才教育するとか、そういうことへの情熱は、もうなくなってしまったんですが、だからといってそれに刃向かう情熱もないような気がして。のんびり穏やかに、でも必死に生きていくっていうのは、なかなか難しいんでしょうか。」

のんびりと、一生懸命生きていきたい・・・とても健全な感覚である。日本を離れて、日本での生活とは異なる時間の中に身を置かないと、こういう健全な感覚を取り戻すことは難しいのだろう。

われわれの社会はいま労働市場を中心としてとてもおかしなことになっている。たとえば、夜8時以降の残業を認めないという大手企業が増えている。一見ワークライフバランスを促進しているように見えるが、代わりに朝7時の出社を奨励(強制だろう)していて、しかもその早朝出勤には残業代がつかないのである。時間の搾取以外の何物でもないだろう。羊の皮を被ったオオカミ(ブラック企業)である。たとえば、また、育児休業は取れても、その間、職場にはその人が抜けた穴を埋める人的手当のない場合が多い。これは、経費削減と同時に、自分が育児休暇をとっていることで職場のみんなの負担増になっている、迷惑をかけていると思わせる効果がある。そのため育児休業から自主退職に追い込まれたり、職場に戻っても二人目の出産を断念したりする女性が多いと聞く。さもありなんと思う。こうした職場に「適応」した人間でないと出世はできないのだ。そしてそうした人間が職場の慣習の代理人として若手の「指導」にあたるのである。

Hさん、君の感覚は間違っていない。帰国して、就活を始めても、その健全な感覚を大切にしてください。

Hさんからのこのメールが今日の良かったことの二つ目だ。

7時、帰宅。

夕食は鯖の塩焼き。

デザートは梨。

深夜、『6才のボクが大人になるまで』をDVDで視た。

6歳の男の子が18歳になって高校を卒業し大学に入学するために親元を離れるまでの12年間を描いた映画だ。こういう場合、子供の成長に合わせて役者を何度か替え、大人たちは少しずつ加齢を感じさせるメイクをする。というのが普通だが、この映画はそうではない。12年間かけて同じ出演者たちが成長・老化していく様子を撮って、それを一本の映画にしたのだ。『北の国から』をすぐに思い浮かべるが、あれは連続ドラマとしては1年2カ月、スペシャルドラマ群としては20年をかけて、その都度作品を撮った。時系列上に位置するたくさんの作品の集合体だ。『6才のボクが大人になるまで』はそうではない。12年間かけてたった1本の作品を撮ったのだ。それも市井の人が自分の家族をホームビデオに撮って編集したわけではなくて、プロのスタッフや俳優たちがそれをやったのだ。このアイデアを思い付いた人もすごいが、このアイデアに付き合った人たちもすごい。

これが今日良かったことの3つ目だ。

総じてよい一日だった。明日もそうであってほしい。