フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月24日(日) 晴れ

2019-03-26 14:06:24 | Weblog

8時半、起床。

トースト、カレー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

10時半に妻と出かける。近所の専門学校の桜はまだ一部咲き程度。 

江古田(西武池袋線)に行く。今日は「ソルティー・ロック」という劇団の芝居を観るのだ。「獣の仕業」と親交のある劇団で、立夏と小林龍二が客演で出るのだ。

 駅の北口前には浅間神社がある。

江古田市場通りという昔からの商店街がある。 

「マザーグース」という名前の手作りパンの店。

なんだか懐かしいものを見かけた。あんこ+バターのつけコッペパンとカレーパンを購入。甘辛の組み合わせだが、買ってから朝食にカレーを食べたことに気づく。つけコッペは街を見物しながら食べた。

会場は「フライング・ティーポット」というカフェ。 

地下にある。 今日は貸切だ。

 私たちが一番乗りの客だった。

このカウンターとその前のスペースが舞台になる。われわれが座ったテーブルはおそらく特等席だ。 

 開演前の時間に昼食を食べる。まい泉の「玉手箱」という和洋折衷のお弁当。

珈琲を注文。 

アイスジンジャエールも。 

12時15分開演。今回の公演のタイトルは「Life's Like a Lovestory」。30分から45分程度の芝居5本立てだ。途中での出入りは自由だが、われわれは5本を通しで観た。

「邂逅」 潤職・演出:松本真菜美 出演:神野剛志・松本真菜美

サン・デグジュベリの『星の王子様』は王子様がいくつもの星を旅して地球にやってくる話だが、「邂逅」は王子様が尋ねた5番目の星の話が元になっている(「潤色」とは原作=犬井ねここの脚色にさらなるアレンジを加えたということだろう)。そこは小さな星で住民は一人しかいない。彼はガス灯の点灯夫、日暮れにガス灯を点け、夜明けにガス灯を消すという作業を毎日繰り返している。一体、何のために、ということは深く考えないようにしているようだ。何しろ彼は点灯夫なのだから。その星に少年がやってくる。少年は自分の星の話を点灯夫にする。少年はガス灯のことを「街灯」と呼ぶ。点灯夫はそれは街灯ではなくガス灯だという。なぜならここには自分の他に住人はいない(街はない)からだという。少年は「でも、いまは僕もいるから街灯だ」と言う。少年との会話は点灯夫の心にポッと火を点した。ハートウォーミングなそういう話。朗読劇で、目を閉じて聞いていると、ラジオドラマのようである。しかし、目を開けると、そこに2人の俳優がテーブルを挟んで向かい合って座って、台本を読んでいる。アニメの録音現場に立ち会っているような感じだ。私の横にいる点灯夫役の神野剛志の表情はわからないが、斜め向かいにいる少年役の松本真菜美の生き生きとした表情はよく見える。彼女は今日はこの他に二本の芝居に出ていたが、この少年役が一番のハマり役に思えた。

「Life's Like a Lovestory」 演出:犬井ねここ 出演:三好康司・小林カナ・伊織夏生・松本真奈美・野崎涼子

今回の公演の表題作に当たる芝居。自殺サイトで知り合った5人の女たち。その1人の結婚式が今日あった。結婚式に出た3人の女たちが、式には仕事の都合で出られなかった女が雇われ店長をしているカフェバーにやってくる。4人には墓場まで持って行くべき秘密があった。それは結婚した女のどうしようもない元カレを4人がチームプレーで殺害したことである(結婚した女はそのことを知らない。元カレはある日を境に自分の前から突然姿を消したのだ)。4人の中の悪酔いした女の言動から、結婚した女はその秘密を知ってしまう。しかし、彼女は元カレが失踪前に自分にくれたメールがあるという。「お前の友だちたちはみんないかれている。もう二度と俺に近づくな」という内容のメールだった。彼は死んではいなかったのだ。殺人という呪縛から解放された女たち。しかし、3人の女が酔いつぶれて寝た後に、雇われ店長の女は結婚した女に言う。あのメールは殺した男のケータイから私が送ったものだと。そういうサスペンスタッチの女の友情物語。「女」の一人を演じていた客演の三好康司(劇団MAHOROBA+α)の演技が光っていた。

「カフェ・石焼芋」 演出:犬井ねここ  出演:あンな邦祐・神野剛志・まついゆか・小林龍二

そこはあまり客の来ないカフェだった。終日、オーナーの「ボス」とマスターの「板長」とメイドの3人が口喧嘩のような無駄話をしている。店の前を通ったサラリーマンがメイドに店内に引っ張り込まれる。彼は彼女の住んでいたアパートのところまで行ってみようと、途中下車をして、商店街を歩いていたところだった。彼女との思い出を語るサラリーマン。実は、彼、ついその先の交差点で車にはねられて病院に運ばれ、いま、生死の境をさまよっているところなのである。そう、このカフェは、この世とあの世の間にあって、ちょと一服しながら、人生を振り返る場所なのである。是枝裕和監督の映画『ワンダフルライフ』を思わせる仕掛けである。あの映画では死者は人生の一番素晴らしい思い出を語り、それだけを記憶にとどめて、あの世へ旅立つのであるが、ここでは、生と死の間をさまよう人がどちらかを選ぶのである。メイドは戻ることを選ばなかった人なのである(ボスと板長もそうなのかもしれない)。しかしサラリーマンは戻ることを選ぶ。「いま来た道をちゃんと戻るんだよ」と彼らはサラリーマンを送り出す。そしてまた口喧嘩のような無駄なばしに興じるのである。そういうファンタジックな物語。サラリーマンを演じた客演の小林龍二(劇団獣の仕業)は、昨年12月の劇団獣の仕業の公演「THE BEAST」でもサラリーマンを演じていたが、すっかりサラリーマン役が板に付いてきた。サラリーマンとは現代の都市生活者の典型である。salty rockの男優たち(ボスと板長)の濃い顔の間で、その頼りなさげな表情が一層際立っていた。

「まなづるとダアリヤ」 原作:宮沢賢治 演出:犬井ねここ 出演:まついゆか

フリーの役者まついっゆかの一人芝居。ひとつ前の芝居でメイドを演じた彼女が、一転して、美貌の衰えに怯える女の心情を熱演していた。スッピンからケバイ化粧まで、いかにも「女優」という感じだった。 

「キツネ」 原案・漫画:戸田誠二 演出:立夏 出演:小林カナ・松本真奈美・立夏・野崎涼子

売れない漫画家志望の女を主人公にした原作コミックを、設定を役者志望の女にして、立夏(劇団獣の仕業)が脚本と演出をした作品。彼女は「THE BEAST」で10年の間に自身が主催する劇団を去って行った者たちへのレクイエムのような物語を書いたが、「キツネ」でも演劇をやめようかどうしようかと悩みながら頑張っている役者を主人公にした物語を書いた(エンディングで俳優たちが踊りながら舞台からはける演出はsalty rockの流儀にならったものかしら。ちょっと恥ずかしかった)。主役の小林カナはそのギリギリ感を見事に演じ得ていた。彼女の守護神のようなキツネを演じた野崎涼子はとてもキュートだったが、彼女は終演後、ツイッターでつぶやいていた、「私が「可愛い」のは、もう私は知っているので、そろそろ本気で「可愛い」以外のものを装備したいのです。 「(あざと)可愛い」「可愛い(幼い)」「可愛い(違うとは言わせない)」は持ち玉としてあるのです。それだけになるのはゴメンなのです。 「強い」とか「エグい」とか「やばい」とか何か。

*後記:私は勘違いをしていた。「キツネ」の脚本は犬井ねここで、立夏は演出だけだった。エンディングで俳優たちが踊りながらはけるのがsalty dog流なのは犬井作品だから当然である。消え入りそうな小さな声で会話するところは立夏流の演出である。演劇人の苦悩というテーマで犬井が脚本を書いたのは、「THE BEAST」への返歌のようなものなのかもしれない。

salty rockという劇団は面白い。また機会が合ったら観てみたい。 

写真は小林龍二のツイッターから拝借した。後列左から、伊織夏生(犬井ねここ)、(一人おいて)小林龍二、三好康司、小林カナ、松本真奈美、野崎涼子。前列左から、立夏、あンな邦祐、(一人おいて)神野剛志、まついゆか。

 江古田に来たときは必ず立ち寄る「ぐすたふ珈琲」。

 午後6時閉店だが、最後の客として立ち寄って行こう。

客はわれわれだけだった。カウンターに座る。 

お冷が美味しい。 

ロアブレンド(浅炒り)を注文。

私たちの後にもう一組、常連らしい客が入ってきた。 

蒲田に戻ってきて、「Zoot」で食事をしてから帰ることにする。 

チャーシューと味玉付 とろりとした魚介系のスープ。 

 8時前に帰宅。近くの外灯でわが家の桜がライトアップされている。

卒業生のサキさん(論系ゼミ3期生)から無事出産の知らせて届いた。20日に出産、今日退院とのこと。一週間くらいは入院するものと思っていたが、すこぶる安産だったようである。女の子で名前は「美桜」(みお)。お誕生おめでとう。

 

これからしばらく教え子の出産が続く。平成最後の子どもたちであり、新元号最初の子どもたちである。

2時半、就寝。


3月23日(土) 曇り

2019-03-24 21:56:47 | Weblog

昼近くになってようやく起きる。春眠暁を覚えずというよりも、春愁で不活発になっているのである。もし午後から那須先生の最終講義がなかったら昼過ぎまで寝ていたかもしれない。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食兼昼食。

1時半に家を出て、大学へ。今日は冷える。 

キャンパスの入口に那須先生の最終講義の掲示が出ている。

教員ロビーに印刷・製本されたゼミ論集が届いていた。文化構想学部のゼミの9冊目(9期生)のゼミ論集だ。

 

今回の表紙の色は「ぎんねず」。銀色がかったグレー。落ち着いて品のある色である。最近の3冊(左から7期生、8期生、9期生)を並べてみる。いいんじゃないだろうか。ゼミ生たちには明後日の現代人間論系の学位記授与式(11:30、36号館382教室)のときに渡す。

第二研究棟前の桜はまだ一分、二分咲きくらいだ。

 

桜の木の下の八重椿は満開である。 

那須先生の最終講義が始まった。

卒業生で満席状態である。

私が那須先生と初めて会ったのは、私が大学院の修士課程に入った年(1978年)である。社会学の院生のコンパの席上であったと思う。そのとき那須先生は博士課程の3年生であったが、翌年から新潟大学の 専任講師になることが決まっていた。「とてもできる人」なのだとみんな言っていた。俳優の原田芳雄に似ているなと私は思いながら、少し離れた席に座っている那須先生を見ていた。

私が那須先生と再会するのは、それから10年後(1988年)、那須先生が新潟大学から早稲田大学に移ってこられたときである。私はそのとき社会学教室の助手をしていた。前の年に翌年の時間割の資料の準備をしているとき、翌年から着任される先生が「新人1」「新人2」と表記されていて(実名はぎりぎりまで公表されなかったのだ)、一体、どんな先生が来るのだろうと思っていたら、那須先生と(昨年定年退職された)和田先生だった。お二人とも40代になったばかりだった。

その次に私が那須先生と会うのは、私が放送大学から早稲田大学に移ってきたとき(1994年)であるが、正確にいうと、そのとき那須先生は在外研究でボストン大学にいらしていたから、翌年、先生が帰国されたときである。以後、那須先生とは同じ職場の同僚としてお付き合いさせていただいてきた。 

那須先生のご専門の現象学的社会学は、人間の日常生活世界の成り立ちの研究である。私も講義で「日常生活の社会学」というのをやっているが、両者は似て非なるものである。どちらも「当たり前」を疑うという点は共通なのだが、 「当たり前」を疑う仕方が違うのだ。一言で言えば、私が「暗黙の規範」とか「社会化」とか「役割理論」といった社会学のカテゴリーやセオリーを使って考察するのに対して、那須先生はそうした社会学的思考の「当たり前」も疑ってかかるのである。

例えて言えば、私が海の浅いところでサーフィンやシュノーケリングを楽しんでいたときに、那須先生は深海探索船に乗り込んで、海の最深部で探求活動をされていたのでる。那須先生の講義は「難しい」ことで定評があり、学生は「わかりやすい」私の講義に集まったが、社会学の面白さをより深く味わったのは那須先生の講義に出ていた学生たちだったと思う。私にしても、一種の役割分担のような意識があり、深いところは那須先生にお任せして、自分はサーフィンやシュノーケリングを楽しませてもらっていたのだ。

しかし、那須先生が定年退職をされると、急に足元か頼りないような気分になる。

 

最終講義が終わり、教室で来聴者との懇談の時間の後、場所を第一会議に移してパーティーとなる。当初、染谷記念館を予定していたのだが、出席者が予想を越えてしまい、場所を変更することになったのである。

最初に那須先生の指導教授であった佐藤先生(名誉教授)から祝辞があった。佐藤先生は那須先生より15歳年長である。

続いて私が祝辞を述べ、乾杯の発声をした。

そして那須先生の挨拶。(宮崎駿ではありません)

以下、歓談の合間に、花束の贈呈や全体記念撮影や祝辞などが続いた。

出席者のほとんどが那須先生の教え子たち(新潟大学・早稲田大学・早稲田大学大学院)で、その中には私の授業を受けた卒業生も多数いて、私も歓談のおこぼれにあずかった。 20年振りくらいに会う卒業生もけっこういたが、みな学生時代の面影を残していた。中には、私のゼミの教え子の配偶者という方も2人ほどいた。

  

これは記念のケーキ。

 

小さくカットしてみんなに供された。

私は畏れ多くも先生のお名前の「那」の文字のところをいただいた。

祝辞のところでは述べなかったが(いい話なのだが長くなるので)、先生のお名前についてはわが大久保家に伝わるエピソードがある。或る夜、那須先生から我が家に電話がかかってきた。その電話を当時まだ小学校に上がる前の息子が取った。私はそばでそれを見ていたが、すぐに「お父さんに替わってください」と言われて、こっちに受話器が渡されるものと思っていた。ところが、息子は受話器を握りしめたまま固まっているのである。そして「ほんとに?」と受話器に問いかけているのである。何が一体「ほんとに?」なのか。謎はすぐに解けた。息子はこう言ったのである。「ほんとにナスって名前なの?」。おそらくそのときの息子の頭の中は「アンパンマン」的な世界が展開されていたのだと思う。なにしろナス(茄子)おじさんから電話がかかってきたのだ。そこにはキャベツおばさんや、ジャガイモじいいさんもいるに違いないのだ。息子の苦手なトマトねえさんもいるに違いない。息子は何度も「ほんとに?」「ほんとにナスって名前なの?」と問いかけた。私は笑いをこらえながら、しばしそれを放置した。たぶんナスおじさん、いや、那須先生は「そうです、ナスです」「お父さんをお願いします」と辛抱強くお答えになられていたに違いない。決して、「このおたんこなす、さっさとお父さんに替わりやがれ!」などとは言わなかったのである。那須先生、その節は失礼いたしました。そして、息子の情操教育にご協力いただきありがとうございました。

おそらく卒業生たちは、那須先生のやさしく辛抱強いお人柄に惹かれて、今日ここに集まったのに違いない。私はそう確信している。

パーティーは2時間ほどでお開きになった。

私は研究室に戻って雑用を片付けてから、大学を出た。途中で社会学コースの助手で那須先生のお弟子さんのK君と遭った。諸々の後始末をしていた。今回の最終講義・パーティーの準備にはこの半年間ほどかかったはずである。ご苦労様でした。

「カフェ・ゴトー」で一服。ココアでホッとする。

研究室の棚にあった那須先生の著書に改めて目を通す。学位論文の『現象学的社会学への道』(恒星社厚生閣)と教科書として広く読まれれている『クロニクル社会学』(有斐閣)である。

先生が職場を去られても先生の本はいつもそこある。

 11時、帰宅。パーティーの引き出物の袋の中に那須先生の定年退職を機に先生の教え子たちを中心にして編まれた論文集が入っていた。

栗原亘・関水徹平・大黒屋貴稔編『知の社会学の可能性』(学文社)

那須先生が職場を去られても中堅・若手の優秀な研究者たちが先生のされてきた知的探求を続けていくだろう。

2時半、就寝。 


3月22日(金) 晴れ

2019-03-23 13:37:50 | Weblog

10時、起床。

一度、8時に起きたのだが、だまだま眠くて(春愁なのだ)、もう一度布団に逃げ込んだのである。

ブランチのような時間なので、久しぶりにベーコン&エッグを焼き、トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

 昨日今日の陽気で、庭先の桜がソメイヨシノよりも一足、いや、二足くらい早く見ごろを迎え始めている。メジロの夫婦が蜜を飲みにやってきている。

花屋に仏花を買いに行ったついでに、「ポッタリー」に持って行く花を注文する。大井町のカフェ「ポッタリー」は今度の土曜日で開店30周年を迎えるのだ。馴染みのカフェの中では一番長い(「カフェゴト―」がそれに次ぐ)。週末から月曜にかけて行事が立て込んでいるので、それらが済んだらお祝いに出かけていこう。 

午後1時に予約してある「ほけんの窓口」へ行き、新規に医療保険を申し込む。がん保険に三大疾病を付加したタイプで、月の掛け金は7000円ほど。死亡保険金はなく、掛け捨てなので、安いのである。これが通ったら、いま入っている保険は大幅に減額し、3年後の更新時にはさらなる更新はしない。いまのままでいて、3年後に切り替えるというやり方もあるのだが、もしもこの3年間の間に入院・手術をするような病気になってしまうと新たな保険には入れなくなるので、元気なときに、新規の医療保険に入っておくことにしたのである。

さっそく初回の入金をコンビニから行う(2回目以降は銀行口座から毎月引き落とされる)。保険会社からスマホにメールで送られてきたバーコードをコンビニのレジに呈示すればよいのだが、私はこういうことをやるのは初めてで、ちょっと緊張した。レジの人は南米あたりから来た女性で、大丈夫かなと思ったが、全然問題なかった。

2時間ほどで申請が終わり、「喜多方坂内ラーメン」で昼食をとる。 

ここではたいていネギラーメンを注文する。 

あっさりした透明なスープに辛口のドレッシングのかかったネギが合う。 「メルシー」ではたいていチャーシューメンを注文するチャーシュー好きの私だが、ここのチャーシューラーメンはチャーシューが入り過ぎていている。普通のラーメンで十分なのである。

「夕食はまた麺でいい?」と妻が聞いて来た。蕎麦なら構わない。

というわけで、夕食はぶっかけ蕎麦。鶏のササミと茄子と緑の野菜がのっている。 

だいぶ冷え込んできた。

2時半、就寝。 


3月21日(木) 曇り

2019-03-22 20:17:00 | Weblog

8時半、起床。

サラダと紅茶の朝食。今日は普段より早い時間に昼食を食べる予定なので。

庭先の桜の開花が一気に進んだ。 

今日はお彼岸の中日。妻と墓参りに出かける。写真は菩提寺の最寄駅の鶯谷の陸橋から。 

鶯谷駅の界隈は昔からの雰囲気を残している。 

言問通りからスカイツリーを望む。 

 菩提寺は下谷にある。 

 住職の息子さんが線香に火をつけて渡してくれる。4月から中学生だそうだ。

 お寺で妹と合流。

縁側でお茶をいただいて、ご住職の御母堂と少しおしゃべりをしてから、失礼する。 

日比谷線で入谷から仲御徒町へ出て、上野広小路の方へ。 

昼食は「人形町今半」(上野広小路店)を11時半に予約しておいた。 お彼岸の中日は予約しておいかないとまず入れない。

お彼岸の墓参りの後はたいていここで食事をする。 

3人とも同じ今半御膳を注文。 

お造りはマグロとハマチ。 

小鉢は水菜のおひたし。 

茶碗蒸し。 

 ミニすき焼き(+生卵)、香の物、味噌汁、ご飯。

 三人とも今半御膳と書いたが、正しくは、私はミニすき焼きの肉のランクが上の「厳選」を注文した。私はすき焼きが大好物で、しかし、家ですき焼きが出るのは年に二度、年末30日と誕生日(4月11日)だけである。なので春と秋のお彼岸の墓参りの後の「今半」での昼食を楽しみにしているのである。 

デザートは、アイスクリームのほかに、おはぎがおまけで付いてくる。これはお彼岸の中日だけのサービスである。 

「今半」では、秋の彼岸のときは「おはぎ」と呼び、春の彼岸のときは「ぼたもち」(牡丹餅)と呼ぶが、実態は同じものである。 

食事を1時間ほで終え、私は銀座線で上野広小路から溜池山王へ出て、サントリーホールへ。 

2時から早稲田交響楽団(ワセオケ)の定期演奏会があるのだ。 

開演の1時間前に到着。開場はしているが、外のベンチでしばらく時間をつぶす。 

30分前になったので会場に入る。 

自分の席を確認してから(1階 18列の27)、ラウンジでコーヒーを飲む。

以前はコンサート会員プラス(年会費5000円ですべての演奏会にフリーパス)に入っていた時期もあったのだが、ここしばらくワセオケはご無沙汰していた。今回はゼミ3年生でワセオケでホルンを吹いているHさんからチケットをいただいたのである。

 

今回の演奏会のプログラムは以下の通り。

 ウェーバー 歌劇「オイリアンテ」序曲作品81(10分)

 モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551(38分)

   休憩

 ブラームス 交響曲第3番ヘ長調作品90(35分)

 R.シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28(17分))

 作品の特徴や時間配分がよく考えられた構成であると思う。

 ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲は今回の演奏会全体の「序曲」にもなっている。たくさんの楽器が一斉に音を出して演奏する祝祭的な音楽は時間も手ごろで、演奏会気分を高めてくれた。

 続くモーツァルトの交響曲第41番ハ長調は、彼の最後の交響曲であり、彼の三大交響曲の1つに数えられる、文字通り有名な(「ジュピター」=最高神)作品である。演奏は少々硬かった。頑張って楽譜通りに演奏している感じであった。ウェーバーの序曲と同じ楽団員で引き続いて演奏すればもっと硬さがとれた演奏が期待できたのではないかと想像するのだが、序曲が終わってメンバーの半分以上が交代していたから、「ジュピター」から壇上に上がった楽団員は幕開けの緊張感から解放されていなかったのだろう。

 20分ほどの休憩を挟んで、おそらく今回の演奏会のメインの作品として演奏されたであろう、ブラームスの交響曲第3番へ長調。これはよかった。今回のプログラムは全曲が長調の作品で構成されていて、それは早春のコンサートとして相応しい感じもするが、実は、春というものには「春愁」という言葉があるように、どこかしらもの憂げな気分が潜んでいるものである。たとえば万葉の歌人、大友家持は「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」と歌ってる。私自身、いまプチ鬱気味なので(毎年いまの時期はそうなのだ)、能天気に明るく威勢のいい曲ばかり聴かされるのはつらい。しかし、ブラームスの交響曲第3番は、長調の作品とはいっても、多分に短調的なムードを含んでいる作品で、「春愁」の気分にぴったりなのだ。もう少し文学的ではなく、音楽的に言えば、弦楽器の作り出す草原の上を管楽器が奏でる風が吹いているような曲なのである。その風は、快活でありつつも、ときに茫洋として、もの憂げな風でもある(これは各種管楽器の音色を反映している)。

 最後に演奏されたR.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。これもよかった。楽しかった。幕開けの「序曲」が全部の楽器が一斉に音を出す総奏であったのに対して、この作品は個々の楽器が単独で(あるいはグループで)音を出す場面が多かった。オーケストラという全体(組織)の中に埋没するのではなく、それぞれの音色をはっきりと出していた。それはある意味「逸脱」であるのだが、全体はそれを「いたずら」として容認しているのである。つまり一種の「無礼講」である。「逸脱」も度が過ぎれば全体の秩序を脅かすものにながるが、もちろんこの作品ではそういうことにはならず、個々の「逸脱」はしだいに「協奏」へと変わり、秩序あるフィナーレを迎える。 

演奏会の後、日比谷線の神保町から中目黒へ出る。今日はもう1つ寄るところがあるのだ。駅前商店街にある「おかしのまちおか」、その建物の二階に入っている手作り雑貨店「ハイジ」。 

ここで今日からカフェ仲間で陶芸作家の清水直子さんの作品展が始まるのだ。彼女の作品展にはたいてい初日に来ている。 

中央の大皿はDMで使われていたものだが、すでに売約済みになっていた。これが欲しければ朝一番に来なければならない。両サイドの角皿も売約済みだった。どちらも有名な絵画のパロディーである。

でも、まだまだ魅力的な作品がたくさん残っている。 

私が選んだのは彼女の作品にしては珍しい(おそらく初めて見た)急須だった。 

猫の図柄をあしらった急須。ひと目見て気に入った。研究室で使うことにしよう。

作品展は今月31日(日)まで。ただし水曜日(27日)はお店の定休日。 購入意欲の高い方はお早めに!

蒲田に戻ってきたのは午後6時近かった。「ノザワBAKE」は6時閉店だが、テイクアウトしていくことにしよう。 

レモンパウンドケーキとメープルケーキを1つずつ購入。ビスケットをおまけにちょうだいした。 

夕食はカマス、ひじきと大豆の煮物、サラダ、菜の花の味噌汁、ご飯。 

ふっくらとして美味しいカマスの干物。 

ハルが狙っている。 

 食後に「ノザワBAKE」で買ってきたパウンドケーキ(2種)とおまけにいただいたビスケットを紅茶でいただく。

2時半、就寝。


3月20日(水) 晴れ

2019-03-21 23:52:39 | Weblog

8時、起床。

稲荷、甘団子、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

パンが切れたので、「蒲田屋」へ行って、稲荷と甘団子を買ってきた。最近は名残を惜しんで買いに来る客(私もその一人だ)が増えて午後の早い段階で完売になってしまうのだ。女将さんに「そうですよね」と確認したら、それもあるけれど、材料の在庫が少なくなってきたので、作る量も減っているのだそうだ。月末(31日)まで営業をするものと思っていたら、25日か26日あたりで材料がなくなりそうなので、そこで閉店しますとのこと。そうか、本当に残りわずかなんですね。

今日は放送大学時代の同僚の坂井素思さんと春カフェの約束がある。12時に「パン日和あをや」で待ち合わせなのだが、私が忘れ物を家にとりに帰って、20分ほど遅刻した。坂井さんはビールを飲んで待っていた。「飲めない人を前にビールを飲むのは気が引けるのでちょうどよかったですよ」と言ってくれる。 

今日は暖かい。というよりも暑いくらいだ。ゴールデンウィークあたりの気温だそうである。アップルタイザーで喉を潤す。 

二階には子連れのママ友たち、一階のもう一つのテーブルも同じく子連れのママ友たちで占められていた。

さて、何を注文しようかな。 

本日のスープはジャガイモとキノコのポタージュ。 

春色コッペ。これは初めて注文した。サーモンとアボガドとブロッコリーをコッペパンに挟んだもの。 

オムレツサンド。 

フランスコッペ(林檎とチーズに蜂蜜をかけて)。 

放送大学の近況や、年金の話や、レヴィ=ストロースの話などをして、1時間半ほど(坂井さんは2時間近く)滞在した。 

 腹ごなしに歩きましょうということで、夢見ケ崎動物公園をめざす。途中、鹿島田駅と新川崎駅の間くらいにある「新川崎タウンカフェ」というところに立ち寄る。 

ハイタワーマンションの1階にある一種のコミュニティーカフェである。

 マンションの住民同士、マンションの住民と地域の住民の交流といううことを目的に、ボランティア団体が運営にあたっているとのこと。われわれはマンションの住民でも近隣住民でもないが、この街を訪れた者にももちろん開かれたカフェである。

ラックには住民の手作りの雑貨やアクセサリーなどが並べられ 、販売されている。

「パン日和あをや」ではスイーツを食べなかったので、私はお汁粉(ほうじ茶付)を注文。坂井さんはハーブティーだったかしら。 

夢見ケ崎動物公園にはたくさんの親子連れがいた。 

桜はまだだが木蓮とか、 

菜の花が咲いている。 

暖かい日差しに動物たちも活動的である。 

  

シマウマ。カメラを向けていたら、こちらに駆け寄ってきた。 

ち、近い。 

 この図柄は動物を人間に見立てたもので、サファリパークみたいに檻の外に動物がいるわけではありません。

 公園内には神社やお寺もある。安産祈願!

 坂井さんは動物よりもベンチの方に関心があるようである。ベンチ・ウォーマーズ・ソサエティ(BWS)というものを立ち上げる構想をもっておられる。詳しくは→こちら 

 

 これも彼には一種のベンチに見えるらしい。私には大きな食卓か、舞台のように見えますけど。桜の季節になると人々はこの上にシートを引いて、お花見をするのである。

 閉園の時間を知らせるアナウンスが流れた。ここはなんと午後4時に閉園なのである。冬ならわかるが、これからの季節、ちょっと早すぎるのではないかしら。

鹿島田駅から一つ電車に乗り、お隣の矢向駅で下車。 

「ノチハレ珈琲店」に入る。 


私はパン+イチゴジャム+ノチハレブレンド。 坂井さんはガトーショコラとモカブレンド。

ガンマンが拳銃を構えるように、われわれはときどき互いにカメラを向け合う。

 閉店時間の午後6時近くまで、われわれはおしゃべりをした。図書館での過ごし方とか、定年後の生き方とか。

太陽が真西に沈む季節になった。坂井さんとは川崎の駅で別れた。次回は夏カフェですね。 

蒲田に返ってきて、「有隣堂」で雑誌を2冊購入。

『NHK俳句』4月号

表紙の一句が面白い。

 三椏(みつまた)の花三三(さざん)が九(く)三三が九 稲畑汀子

三椏は三つに分かれた枝の先に花が咲く。枝が3本あれば花の数は3×3=9である。

「三椏」の画像検索結果

『すばる』4月号(集英社)

先日、送別カフェをしたトミヤマユキコさんの名前が表紙にあったので手に取ったのだが、パラパラと頁をめくってみると、面白そうな文章が並んでいたので購入する。 

夕食は焼肉(ジンギスカン風)、チーズ入り笹かまぼこ、サラダ、味噌汁、ご飯。

付け合せはキャベツ、菜の花、人参のソテー。 

 澤田瞳子さんから『落花』の単行本(中央公論新社)が送られてきた。読売新聞の夕刊に2017年2月3日から11月18日まで連載された小説がついに(やっと)単行本化されたのである。澤田さんにお礼のメッセージをラインで送る。

新聞の連載が終わってから単行本化まで1年4か月かかったのは、文章に手を入れておられたからである。もちろん私の知らない事情もあるのであろうが、新聞連載時の文章と単行本の文章を比べれば(私は全部切り抜いて保存してあるのだ)、加筆修正に相当の時間をかけたことはあきらかである。たとえば、書き出しの一文から違っている。

(新聞連載時)

「湿っぽい風が、粗削りな蔀戸(しとみど)をきしませている。どこからともなく聞こえてくる笛の音が、激しく揺れる客館の悲鳴のようだ。」(カッコ内は振り仮名)

(単行本)

「湿気を孕(はら)んだ暴風が、古びた蔀戸(しとみど)をきしませている。どこからともなく聞こえてくる調子はずれの笛の音が、まるで激しく揺れる客館の悲鳴のようだ。」

加筆修正は4か所。

 「湿っぽい風」→「湿気を孕んだ暴風

 「荒削りな蔀戸」→「古びた蔀戸」

 「どこからともなく聞こえてくる笛の音」→「どこからともなく聞こえてくる調子はずれの笛の音」

 「激しく揺れる客館の悲鳴のようだ」→「まるで激しく揺れる客館の悲鳴のようだ」

一言でいえば、細かい直しである。元のままでもかまわないようにも思えるが、しかし、元の文と加筆修正後の文を比べれば、たしかにニュアンスが違ってくるということがわかる。この調子で全体(単行本で400頁)を見直したならば1年4か月かかっても不思議ではない。こうした細かい(そしてたくさんの)直しの意味するところは、この作品に対する著者の思い入れが並々ならぬものであるということだ。新聞連載というのは、短いサイクルで締め切りがやってくるので、必ずしも文章の洗練が十分でないままにストーリー中心に文章を書いていかなくてはならにところがあるだろう(と素人の私は想像する)。そしてそれでもいい(しかたがない)と割り切れる作家と割り切れない作家がいて、澤田さんは後者だということだ。それはこの作品が自身の代表作になるだろうという予感というか自負というか、そうしたものと結びついていることは間違いない。心して読ませていただきます。

2時半、就寝。