フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月15日(火) 曇り

2020-09-16 09:13:51 | Weblog

9時半、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今週から朝ドラ『エール』の放送が再開した。朝食を取りながら録画で観る。15分という長さがちょうどよい。

食後に新聞に目を通す。

若い芸能人の訃報(自殺らしい)は痛ましい。ご冥福をお祈りします。

コロナ対策はインフルエンザ対策にもなっているということ。それにしても昨年の千分の1とはすごいな。

ベネチア映画祭で黒沢清監督の『スパイの妻』(主演・蒼井優・高橋一生)が監督賞(銀獅子賞)を受賞した。北野武監督の『座頭市』以来17年ぶりの受賞とのこと。「世界のクロサワ」だが、黒沢明の息子だと誤解している人もいるのではないかしら。

昼食は矢口渡の「燈日」に食べに行く。

駅前の商店街は商店街らしさがある。

「たま書房」で『ザ・テビジョン』を買おうとしたら、店主さんが「明日最新号が出るから一日待った方がいいですよ」と教えてくれる。良心的な本屋さんだ。

3週間ぶりの「燈日」。前回は卒業生のミサさんと来た。

お店のインスタを見て、今日はこれを注文しようと家を出るときから決めていた。燈日定食(海老春巻き)。揚げたてのパリパリをいただく。

食後に、コーヒーゼリー(アイスクリームのせのブラウニー添え)とブレンドコーヒー。

今日も娘さん(店主)とお父様の共演を味わった。ごちそうさまでした。

「リヨン」で朝食用の食パンとお八つの用のクリームパンを購入。

矢口渡の蒲田方面行きのホームには私のお気に入りのものがある。

作り付けの木製の長いベンチだ。おそらく池上の旧駅舎にあったものが最長と思うが、それはいまはない。他にどの駅に残っているのかしら。

駅ビル(東館)の「くまざわ書店」で本を買ってから帰宅。

空には雨雲が広がってきた。

国勢調査にオンラインで回答する。ある年代以下の人であれば、サクサクと完了するだろう。

夕食はピカタ風ポークソテー、蕪となめ茸、蕪の葉と油揚げの味噌汁、ごはん。

ピカタ風と言ったのは、本来のピカタは下味をつけた豚肉に小麦粉を付け、チーズを混ぜた溶き卵をからませてソテーするのだが、これはチーズ抜きなので。

デザートはマスカット。

食後のコーヒー。

『キワドい2人ーK2ー』の初回を録画で観る。『MIU404』と同じ時間枠で同じ刑事のバディものだが、明らかに見劣りがする。『キワドい2人ーK2―』が悪いわけではない。『MIU404』がよすぎたのだ。

今日、「くまざわ書店」で購入した本は5冊。

沢木耕太郎『旅のつばくろ』(新潮社)

 数年前、ふと、こんなことを考えた。これまで自分は、ずいぶん異国への旅を繰り返してきた。しかし、日本国内への旅をほとんどしてこなかった。もちろん、日本国内へもさまざまなところへは行っている。だが、それは、何らかの用事を携え、用事を片付けるための旅だった。高校生や大学生の頃のように、ただその土地を歩きたいために行くという旅とは決定的に違っていた。これからはもう少し、日本国内を旅してみようか・・・(「あとがき」より

吉見俊哉『東京裏返し―社会学的街歩きガイド』(集英社新書)

 私たちこれから、ちょうど一週間の東京都心歩きをしていきます。都心といっても、本書で焦点を当てるのは都心北部、つまり千代田区北部、文京区、台東区を中心とする地域です。北は都電荒川線、東は隅田川、日本橋川、西は飯田橋から王子までの地下鉄南北線で囲われたあたりを、これからの街歩きのメインターゲットとします。(中略)明治・大正期まで、この都心北部地域は東京の文化的中心でした。(「はじめに」より)

萩原魚雷『中年の本棚』(紀伊國屋書店)

 中年期を迎えるにあたり事前に知っておけばよかったとおもうことがいろいろあった。わたしは中年は起承転結の“転”の時期だと考えている。この本も中年期の転ばぬ先の杖たる指南書を目指した。(「あとがき」より)

益田ミリ『47都道府県女ひとりで行ってみよう』(幻冬舎文庫) 単行本は2008年刊

 若者でも中年でもない。33歳の終りから37歳まで、毎月毎月、出かけて行った47都道府県ひとり旅だった。旅を始めたばかりの頃は、名物を食べなければという焦りとか、しゃべる相手がいない淋しさがのしかかっていたけれど、回数を重ねていくうちに少しずつ気軽になった。(「あとがき」より)

益田ミリ『美しいものを見に行くツアーひとり参加』(幻冬舎文庫) 単行本は2017年刊

 美しいものを見ておきたい。40歳になったとき、なぜか急き立てられるような気持ちになりました。(中略)「ひとり参加はさみしそうに見られてしまうのかな」あれこれ考えているうちに、気づけば41歳に。そろそろお出かけの時間になっていたのでした。(「はじめに」より)

深夜、近所をウォーキング&ウォーキング(2キロほど)。

風呂から出て、「ジェットストリーム」をradikoで聴きながら、今日のブログを書く。

2時15分、就寝。


9月14日(月) 曇りのち晴れ

2020-09-15 12:12:24 | Weblog

8時半、起床。

トースト、カレー(無印良品のバターチキンカレー)、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書き上げてアップする。句会のあった日のブログは、入選句(今回は20句)の一つ一つにコメントを付けるので時間がかかる。

昼食はカップヌードルで済ませる。生協版のカップヌードルは通常のカップヌードルの8割の容量である。

4時を回った頃、散歩に出る。お隣のNさんの家の夏ミカンが育ち始めた。

専門学校のキャンパスの周りの桜並木の葉がチラホラと散っている。

植物たちは季節の移ろいに正直だ。

電車に乗って、お隣の大森で降りてジャーマン通りを歩く。

久しぶりの「sanno2198」。

前回、8月11日に来たときは満席で入れなかったので、7月6日以来となる。

カウンターの先客は常連の方である。「お久しぶりです」と挨拶をすると、「最近は『きりん珈琲』によく行かれているようですね」と言われる。私のブログを見ておられるのである。「先生の行動はみなさん知ってらっしゃるのよ」とマダムが言ってクスリとされた。

かぼちゃのプリンを注文。コーヒーはマダムお勧めのモカ・マタリ。

マダムお手製のプリンである。しっとりとしてコクがある。美味しい。

「マダム、髪型が変わりましたね」と言うと、「気づいてくださったのね。誰も言ってくれないのよ」と言われた。まさか!

常連客に混じって、カウンターの端の席に初めてお見かけする女性客がいた(実際、今日初めてこのカフェに来た方だった)。分厚い文庫本を読んでいる。カヴァーがかかっているので、本のタイトルはわからない。カウンター席だと声が掛けやすい。「ずいぶん厚い本をお読みですね。失礼ですが、何の本をお読みなのかうかがってもよろしいでしょうか」と尋ねると、一瞬驚いたような顔をされて、「ローマ史の本です」とのこと。「塩野七生さんの本ですか」と重ねて尋ねると、「塩野さんの本ではありませんが、塩野さんの本からのつながりで」と言いながら、カヴァーを外して見せてくれた。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』のダイジェスト版であった。若い女性がカフェのカウンターで『ローマ帝国衰亡史』を読んでいるとは驚いた。しかも栞を挟んでいる場所をみるとあと数頁で読み終わりそうである。たぶんここで最後まで読み切るつもりであろう。私と彼女の間には2席あって、常連さんたちが座っていたのだが、席をずれて私を彼女の隣に座らせてくれた。お気遣いありがとうございます。

読書タイムを中断してしまって申し訳なかったが、しばらくわれわれはおしゃべりをした。彼女は私立大学の文学部の日本文学科の出身で、卒論では漱石を取り上げたが、いまは外国文学(とくにヨーロッパのもの)をよく読んでおられるようである。「初めて来たカフェでこんなに本のお話ができるとは思ってもいませんでした。楽しい時間でした。ありがとうございました」と席を立つときに彼女は言った。それは私も同じです。

常連客のお一人が注文したコーヒートニック。私はまだ飲んだことがない。

その後もうしばらく私は常連さんたちと映画やコミックの話をした。

今日はもう一軒、ジャーマン通りで寄りたい店があった。古書店「あんず文庫」である。

今日が開店一周年の日なのだ。

おめでとうございます、加賀谷さん。私の後から来た女性の常連さんからいただいた花を手にして、カメラを向けると、わざと怖い顔をされた。照れ屋なのである。

最近、舞浜からこの近所に引っ越して来られた。念願の職住接近生活の実現である。ここでやっていけるという目途が立ったのだろう。

カウンターではドリンクが飲める。アイスコーヒーを注文。カウンターには近所にお住いの男性がいて、たまたま今日、開店1周年とは知らず、初めて訪れたそうである。飲んでいたビールを店主さんにもすすめた。われわれは、当然のように、本の話をした。

穂村弘の歌集『シンジケート』(沖積社)を購入。30年間に出た彼の第一歌集だ。そのとき穂村は28歳だった。いまの加賀谷さんと同じだ。

巻頭の十二首。

 風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月

 停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月

 九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月

 フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月

 郵便配達夫(メールマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月

 「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月

 泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月

 限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月

 プードルの首根っ子押さえてトリミング種痘の痕なき肩よ八月

 錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月

 水薬の表面張力ゆれやまず空に電線鳴る十一月

才能と気負いにあふれている。そして彼は「ニューウエーブ短歌」運動の担い手の一人になった。

二周年、三周年・・・と長く続く店となるだろう。

ジャーマン通りにはいいカフェと古本屋がある。申し分ない。

7時過ぎに帰宅。

夕食はカジキのソテー、ブロッコリーとエノキとマシュルームのチーズ焼き、味噌汁、ごはん。

デザートは桃。

今日は本をめぐるおしゃべりがたくさんできた。いい一日だった。

2時半、就寝。


9月13日(日) 曇り、一時雨

2020-09-14 14:26:50 | Weblog

8時半、起床。

妻が起きてスマホを始める前に無線LANルーターを新しいものと交換する。

トースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

昼食は焼うどん。

午後2時からオンライン句会。参加者は画面左上から恵美子さん、私(たかじ)、あやこさん、犬茶房さん、月白さん、さやかさん(選句のみ)、渺さん、紀本直美さん。ライブ参加ではなく、投句およびあとからLINEでの選句は蚕豆さん、港さん、立夏さん。

今回(39回目)の作品は30句(一人3句。3句中1句は兼題句「恋」、2句は自由句)。

各自が5句選ぶ(天=5点を1句、地=3点を2句、人=1点を2句)。

私が選んだ5句は次の通り。

天 夜濯ぎの義足の妻の口遊む

物語を多分に含んだ句である。蕪村の名句「お手打ちの夫婦なりしを衣更え」を彷彿とさせる。「夜濯ぎ(よすすぎ)」とは夜にする洗濯のこと。全自動の洗濯機にお任せの洗濯ではない。手でゴシゴシ洗っているのである。しゃがんでいる妻の着物の裾からのぞく足は義足である。事故なのか病気なのかはわからない。夫はそれを不憫に思っている。しかし妻はそれを不幸とは思っていない(あるいは思ってもしかたがないと思っている)ようで、何か口遊(くちずさ)んでいる。そんな妻を夫は愛おしく思っている。そういう夫婦の物語。

地 恋犬の背を撫でている秋の暮

恋犬とはさかりのついた犬の意。猫の恋は春の季語だが、犬の恋は季語として認定されていない。犬だって年中さかっているわけではないから、これは不公平である。そういう「日陰の恋」の存在を取り上げたところがよい。

地 昼月の浮かぶあたりで恋をせん

「昼月(ひるづき)の浮かぶあたり」とは、空の位置そのものというよりも、そのちょっと宙ぶらりんな感じを表現したものであろう。一途に突進するような恋ではない。相手も自分も傷つかないような、相手の家庭も自分の家庭も壊さないような、一定の距離を保ちながら持続する恋を志向しているのである。中庸を心得た、あるいは臆病な、ちょっとずるいところのある、大人の恋である。

人 隣室の工事に負けじ生姜擦る

兼題の「恋」が日常の中の非日常であるのに対して、これは日常の中の日常を詠んだ句。ストレスフルでもあり、コミカルでもある。「生姜」というところがリアリティがあってよい。

人 山抜けてソーラーパネルの夏畑

映像がパッと広がる句。中句が8音になっているところは、「ソーラパネルの」と7音にしたらよかったのではないかしら。

全員の選句の結果は以下の通り。今回は得点が分散した。

13点 隣室の工事に負けじ生姜擦る 恵美子

今回の特選は恵美子さんの句。犬茶房さんが「天」を付けた。実体験だが、そのとき擦っていたのは大根だったそうだ。生姜に変えて正解。「大根(だいこ)」とすれば3音でリズムは整うが、「生姜」ほどの強さはない。それでは工事の音に対抗できなうだろう。ちなみにその日の夕飯は秋刀魚の塩焼きだったのだろうか。

12点 蝉の殻恋のゆくへを問うて落つ 蚕豆

月白さん、渺さん夫妻がそろって「天」を付けた。印象に残る句ではあるが、難解な句である。私は雰囲気で選句をすることを好まず、自分なりの解釈を試みる。この句のポイントは、恋のゆくえへを問うているのが蝉の死骸ではなく、蝉の抜け殻であるところにある。蝉の抜け殻が「私の恋のどうなったのか?」「思いは遂げられたのか?」と分身である蝉本体に問いかけて地面に落ちるのである。土の中で何年も生きてきて、生涯の最後の一週間、恋の相手を求めて地上に出てきたのである。恋の結末はそれはそれは気になるであろう。

12点 夜濯ぎの義足の妻の口遊む 蚕豆

私が「天」を付けた。選句の理由はすでに述べた。

10点 台風の目は天空を射抜く青 渺

恵美子さんとさやかさんが「天」を付けた。衛星からの映像で台風の目を目にする機会が最近あったので、それと結びついて生まれた(選ばれた)句であろう。ただし、この句は天上からの視点ではなく、台風の目の中心に入った地上からの視点で詠まれた句であるように思う。「青」は海の青ではなく、空の青であろうから。そう考えると、衛星からの映像を地上からの映像に転換する作業を経て生まれた句ということになる。コペルニクス的転換が必要なのだ。

8点 波音も人恋し浜花火跡 あやこ

港さんが「天」を付けた。人気のなくなった秋の海辺ににぎやかだった夏の名残を探し求める句である。しかし、今年の夏はいつもの夏ではなかったから(海の家もなかった)、「にぎやかだった夏」それ自体が一種の幻なのである。

8点 せがまれてすりへらしてくかき氷 立夏

あやこさんが「天」を付けた。母親と幼児のいる情景が目に浮かぶ。「すりへらしてく」という言葉を選んだのがポイントで、育児の大変さ、育児の負の部分(「母親」=「女性」のアイデンティティの問題)を感じさせる。しかし、作者が立夏さんと知って、これは母子関係の話ではないのかもしれないと思った。作者が不在だったので聞けなかったけれど。

8点 体温と人を数えて夏の果て 犬茶房

紀本さんが「天」を付けた。何かのイベントが行われる会場の入口で人数制限や入場者の体温を測定している様子が目に浮かぶ。今年の夏を象徴する風景である。細かい点ことだが、「人」を「数える」とは言うが、「体温」は「数える」とは言わないだろう。「測る」である。なので「体温と人を数えて」という表現には難がある。

7点 廃工場色なき風に父の影 恵美子

私はこの句を「センチメンタルな言葉が過剰である」と感じて採らなかった。しかし、作者が恵美子さんとわかって、これは実体験を句にしたものだと理解した。彼女の亡くなった父親は自動車関連の工場を経営していたのである。。

6点 水澄んで新しき日を始めたし 月白

猛暑とコロナの日々に終わりを告げて、心機一転、すっきりとした気持ちで秋を迎えたい。そういう思いを素直に読んだ句と解釈したが、作者によると、これは施設に入られたお母様が春先まで住まわれていたマンションに通って、家財の整理をしているときの気持ちを詠んだものだそうである。

4点 この道や恋々として曼珠沙華 たかじ

私の句。渺さんから「地」、あやこさんから「人」をいただいた。「恋々(れんれん)として」は「諦めきれない」様子を表す言葉。「この恋は諦めねばならぬ」と思いつつも、諦めきれない女の情念を「曼珠沙華」で表している。紀本さんの解釈では、「この道」の先には思いを寄せる人の家があり、彼女は懐に包丁を忍ばせているのだそうである。怖い、怖い。

4点 切り捨てた恋のシッポよ秋暑し 月白

今回の兼題「恋」は月白さんの出題である。閉塞的なコロナの日常に風穴を開けたかったのだろう。作者は恋のシッポを切り捨てる側に立っているが、「切り捨てられた経験はないのですか?」と聞いたところ、「どちらもあります(笑)」とのことだった。恋多き人生だったようである。いや、完了形で語るのは早すぎるかもしれない。傍らで、切り捨てられずに残った渺さんが苦笑している。

4点 原稿と驟雨はためく十三階 港

「十三階」という数字に不穏なものを読み取る人が多かったようである。高層だが、タマーマンションという程ではないから、実際、作者は十三階の住人なのだろう。むしろ私が気になったのは、「驟雨はためく」という表現である。「原稿」の方に重心を置いて「はためく」という動詞を選んだのだと思うが、「驟雨」にも掛けるのは無理がある。「体温と人を数えて」と同じである。

4点 猛暑日や恋の行方は西東 たかじ

私の句。紀本さんから「地」、月白さんから「人」をいただいた。後にもう一句で出て来るが、今回は兼題「恋」で三句投句した。この夏は、「Go To」の対象から東京が外されて、東京の恋人たちは遠出をすることがしずらかったが、心理的には西に東に迷走する恋も多かったのではないだろうか、という句。

4点 缶チューハイ凹ます夏夜「だから何」 犬茶房

「缶チューハイ」と聞けば、「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの、という俵万智の『サラダ記念日』の中の短歌がすぐに頭に浮かぶが、作者はそれを知らなかったようである。「それって何」という顔をしていた。世代の違いを感じてちょっと凹んだ。

3点 恋犬の背を撫でてている秋の暮 犬茶房

私が「地」を付けた。選句の理由はすべに述べた。「先生に研究よりも俳句でほめていただけたことが嬉しいです」と彼女は言った。ただし「秋の暮」は凡庸で、ここはもう一工夫必要。

3点 昼月の浮かぶあたりで恋をせん 渺

私が「地」を付けた。選句の理由はすでに述べたが、渺さんの句でしたか。恋に対するこの距離感が月白さんから切り捨てられずに勝ち残った所以でしょうか(笑)。 

3点 十五から恋を重ねて鳳仙花 たかじ

私の句。港さんから「地」をいただいた。松尾芭蕉の高弟、宝井其角(きかく)に「十五から酒を呑み出て今日の月」という句がある。これをモチーフに、酒好きの男を恋多き女に置き換えて詠んでみた。鳳仙花は黒く熟した実に触れると種が弾け飛ぶ。実を結ぶ頃に弾けるのである。花言葉は「私に触れないで」。

2点 山抜けてソーラーパネルの夏畑 港

私と恵美子さんが「人」を付けた。選句の理由はすべに述べた。

1点 恋しさのつみきゆうらり天高し 港

あやこさんが「人」を付けた。恋しさが積み重なって積み木のように高くなっている。しかしその思いは不安定で、いつガラガラと崩れ落ちるかわからない。

1点 遠方の供養は郵便施餓鬼米 あやこ

帰省の自粛で墓参りやお施餓鬼(せがき)法要にも行けない。お布施や供物代は郵便で送ることになった。施餓鬼米は供物代の意味である。

以上、20句が今回の入選句。選外句の中では、立夏さんの「いとけなし浴衣消ななむ恋やまひ」と「雪降らし腹のない蝉春日部に」がその解釈をめぐって話題になった。

また、夜になって、蚕豆さんと立夏さんがLINEで選句を送ってきた(得点としては参考記録扱い)。

蚕豆選

 天 水澄んで新しき日を始めたし

 地 廃工場色なき風に父の影

 地 オーボエの旋律のごと秋時雨

 人 せがまれてすりへらしてくかき氷。

 人 十五から恋を重ねて鳳仙花

立夏選

 天 切り捨てた恋のシッポよ秋暑し

 地 隣室の工事に負けじ生姜擦る

 地 月赤し地球の悲鳴聞こえしか

 人 恋犬の背を撫でている秋の暮

 人 原稿と驟雨はためく十三階

次回の句会(オンライン)は11月11日(日)14時から

兼題は「ぽ」(ひらがな、カタカナ、漢字を問わず「ぽ」の音が入ればOK)*恵美子さんの出題

おそらく「ポッキーの日」にちなんだ兼題であろう。

夕方、散歩に出る。

「スリック」でシフォンケーキ(ブラウンシュガー&ナッツ)と紅茶(キームン)。

マダムの話では、今日の昼間は目が回るほどの忙しかったそうだが、閉店30分前のこの時間は、私と先客の若い女性が一人だけである。その女性は本を読んでいる。それも文庫本でなく単行本である。スマホを触っている人が多い中でこれは珍しい光景である。「失礼ですが、何の本をお読みなのですか?」と聞いてみたい気がしたが、我慢した。

閉店時間(6時)になったので、私は席を立った。私が支払いを済ませると、先客の女性も席を立った。晴れていればまだ明るさが残っている時刻だが、とはいえ、来週はもうお彼岸である。

「スリック」は来週はケーキ教室で平日・週末ともにカフェ営業はお休み。次回は9月23日(水)になる。「氷」の旗は27日(日)までは出ていることだろう。はたして食べる機会はやってくるだろうか。

宮の橋から下流(次の橋は御成り橋)を眺める。

自転車の一群が橋を上を通る。

JRの線路の下のトンネルをくぐって西蒲田方面へ。

夕食は焼き魚、大根と挽肉のピリ辛炒め、サラダ、ジャガイモとワカメの味噌汁、栗おこわ。

焼き魚は赤魚の粕漬け。身がしまっていて美味しい。

栗おこわは赤飯。胡麻塩を振りかけて。

食事をしながら『モヤモヤさま~ず2』を追っかけ再生で観る。今日は越谷。「レイクタウン」と呼ばれていることは知らなかった。

『半沢直樹』第8話をリアルタイムで観てから、近所をウォーキング&ジョギング(2キロほど)。もう全然蒸し暑くない。

風呂を浴びてから、『山下達郎のサンデー。ソングブック』(今日の昼間に放送)をradikoで聴きながら、今日の日記とブログ。

クラッカーと紅茶の夜食。

2時半、就寝。


9月12日(土) 雨のち曇り

2020-09-13 12:58:35 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

コロナをめぐる規制が緩和される方向に動いている。

こういう記事を目にして、「自分は該当者である」ということに驚かなくなった。

今朝は雨が降っている。これまでの「晴れ、一時雨」とは違う、秋雨の空である。

1時に蒲田駅で卒業生のキミヒロ君(論系ゼミ3期生)と待ち合わせる。彼は子どものころ糀谷(京急線)の辺りに住んでいたそうで、何かにつけけ蒲田には来ていたそうである。だから土地勘はある。

ランチはベトナム料理の「ティティ」で。人気店で、開店前から人が並ぶが、1時過ぎに行くと最初の客たちがぼちぼち席を立つので、すんなり入れることが多い。今日もそうだった。

とりあえず注文するものは決まっている。春巻き二種である。

生春巻き(エビ入り)。味噌で食べる。

揚げ春巻き。甘酢で食べる。

どちらもビールが合う(私は飲みませんけどね)。

五目フーテュ。汁そばのつもりだったが、汁なしそばだった。そうか、よく注文しているのはサイゴン風フーテュだった。まぁ、これはこれでいいか。

付いて来たスープをかけて食べるとちょうどいい。

鶏おこわ。

私のブログの読者であれば、私が卒業生とよく会っていることはご存知と思うが、男性が登場することは珍しい。登場するときは女性とペアであるか、男性複数であるか、仮に男性単数の場合は研究室を訪ねてくるかであって、男性単数が私の地元の蒲田を訪ねてきたのは初めてのことである。

実は8月に卒業生のミサさんと会ったとき、ゼミ同期のキミヒロ君も一緒にという案が出たのだが、私の行きつけのカフェの多くが「相席は2人様まで」という制限があるので、その案は実現しなかった。そのとき彼とは後日単独で会いましょうということになったのである。

ゼミ3期生とは、卒業後、一番よく会っている。そもそも卒業後に会うというパターンが定着したのがゼミ3期生からであった。1期生、2期生とも会ってはいたが、それはポツポツという感じだった。しかし、3期生は先輩たちが私とカフェをしている様子を(私のブログを通して)見ていたために、一種の予期的社会化が行われたのであろう。

3期生はまとまりのよい代であったが、しかし最初からそうであったわけではない。それが3年生の12月の合宿のときに、キミヒロ君が女子たちの部屋を訪ねて行って、「俺たちこのままではいけないような気がする」というような趣旨の発言をして、それは実はみんなが思っていたことであったので、その日をきっかけに打ち解けた会話ができるようになったというエピソードがある。彼はゼミの功労者なのだ。

缶ビール2本のせいか、彼の語りはしだいに熱を帯びてきた(笑)。

「ティティ」を出て「スリック」へ移動。2時半に予約を入れておいたのだ。

ドリンクは二人ともグレープフルーツのセパレートティーを注文。

シフォンケーキは私はラムレーズン。巨峰とマスカットを添えて。

彼は無花果のシフォンをチョイス。

「ティティ」では学生時代の話が多かったが、ここでは将来の話(人生設計)の話を中心に。

途中からマダムも話の輪に加わり、結局、「スリック」には3時間ほど滞在することになった。

ミサさんによろしくね。

彼と一緒に京浜東北線に乗り、私は大井町で下車して、ヤマダ電機で新しい無線LANルーターを買う。

夕食は肉ジャガ、蓮根と挽肉のピリ辛炒め、玉子焼き、ワカメと麩の味噌汁、ごはん。

キミヒロ君からいただいたお土産を開ける。

それを摘まみながら、句会LINEで送られてきた明日のオンライン句会の作品(30句)に目を通す。兼題の「恋」の句が目立つのはそれをテーマとして正面から詠んだ句が多いからだろう。「天」一句、「地」二句、「人」二句、すんなりとはいかなかったが、一応、選句はできた。

風呂から出て、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』をradikoで聴きながら、今日の日記とブログ。

2時15分、就寝。


9月11日(金) 晴れ

2020-09-12 12:32:20 | Weblog

8時半、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、紅茶。

朝の体重で、朝食の構成は変化する。「トースト、サラダ、牛乳、紅茶」というのはミニマムで、そこに玉子料理(目玉焼き)と肉料理(ベーコン、ハム、ウィンナーなど)の両方が加わるのがマキシマム。今日はその中間で、玉子料理のみ加わる。

春学期の学生授業評価のアンケート結果が出たという通知が事務所から来たので見てみる。総合的な評価(6点満点)で、1年生対象の「必修基礎演習」(ライブ)は4.84、講義「日常生活の社会学」(オンデマンド)は5.35、演習「現代人と社交」(ライブ)は5.60だった。自由回答の部分も読んだが、好評な部分はこちらの狙い通りいったところ。改善してほしい点はごもっともと納得。秋学期の授業の参考にさせていただきます。授業評価アンケートは毎年やられているが、今回はコロナ騒動の中での全科目オンライン化という初めての事態の中での試行錯誤、暗中模索の日々だったので、授業評価アンケートがいつも以上に意味をもつものになった。

今日も日差しはきつい。昼食は近所の「吉岡家」に食べに行く。

冷えた麦茶がまだまだ美味しい。

でも、壁には曼珠沙華の図柄の手拭いが掛けられている。和名は彼岸花だが、赤い彼岸花(白い彼岸花もある)は曼珠沙華という梵語で呼びたい。「天界に咲く赤い花」という意味である。

稲庭うどんと蛸の唐揚げ。

私としては絶妙な組み合わせと思っているが、いまだ他のテーブルで同じ注文をしている人と居合わせたことがない。

昨日、娘から家族LINEが来て、「ドコモ口座」の被害(不正な引出し)にあっていないか記帳してチェックした方がよいと言って来た。私は最初、「ドコモ・口座」ではなく、「ドコモロ・座」に見えて、そういう名前の劇場で芝居をやる知らせかと思った。妻は昨日、自分が管理している口座(私名義のものも含めて)は昨日のうちに銀行を回ってチェックをすませた(被害なし)。私は今日、みずほ銀行の口座(財布代わりにしている)とゆうちょ銀行の口座(年金の振込と介護保険の引き落とし用)をチェックしたが、問題はなかった。

銀行を回った帰りに、東急プラザの「神戸屋キッチン」で朝食用の食パンを購入し、屋上(かまたえん)に上ってみる。

夕焼けにはまだ早い時間帯である。

北の方の低いところ(つまり遠い場所)に入道雲が並んでいた。

ずっと先延ばしにしてきたコースナビのオンデマンド講座「セルフマネジメントセミナー」を受講する。「情報セキュティセミナー」「学術研究倫理セミナー」「ハラスメント防止セミナー」の3つである。それぞれ20分、20分、10分程度のものだが、視聴した後に確認テストがあり、満点でないと合格とならない。最初に視聴した「情報セキュリティーセミナー」は著作権の問題のところが少々複雑で一回の視聴では合格できにのではないかと思われたが、確認テストそのものは簡単なもので(ほぼ常識のレベル)、一発で合格となった。やれやれ。

妻がスマホの機種変更をして、その設定にJ:COMの人がやってきて(予定の時間よりだいぶ遅かった)、夕飯の支度が遅れそうだったので、「マーボ屋」に食べに行く。

注文を済ませてから、カメラを忘れてしまったことに気づき、私だけ取りに戻る(徒歩1分)。

サラダ。

私がいない間に店主さんと妻が私のウォーキング&ジョギングのことを話していたい。店を閉めて、自宅に帰る途中で、ときどき工学院通りを走っている私を見かけることがあるそうだ。「かなりのスピードで走ってますよね。私も何か運動をしないといけないなと思いました」と言う。あぁ、見られてましたか。ただし、ずっとあのスピードでキャンパスの周りを走っているわけではありません。インターバル走法でやっていて、四角形の一辺を走ったら、次の一片はウォーキングと交互にやっているのですと妻が説明していた。その通りです。その方がトータルで長い距離をやれるのです。

海老のサクサクフリッター(ハーフ)。

黒酢を使った酢豚(レギュラー)。

イカのクリーム煮。

帰宅して、コーヒーとスイーツ。『アンサング・シンデラレ』第9話(録画)を観る。

風呂から出て、『ジェットストリーム』をradikoで聴きながら、今日の日記とブログ。

2時15分、就寝。