フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月25日(火) 晴れ

2021-05-26 11:09:23 | Weblog

8時、起床。

8時半からの区のコロナワクチン接種予約申し込み(第2回)をする。すでに予約済なのだが、ちょっともたついて6月に予約することができなかったので、改めてのトライである。授業で大学に出る機会が多いので、一日でも早い方がよいのだ。すでに予約している分をキャンセルしてからでないとトライできないのか(その場合、新たな予約がとれなかったら悲惨である)、新たな予約ができてから旧い予約をキャンセルすればよいのか、よくわからなかったが、結果は、一回目の接種を6月7日、二回目の接種を7月5日に予約することができた(旧い予約は新しい予約が確定した時点で自動的にキャンセルされた)。

一仕事終えた気分で、トースト、ソーセージ&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

「まやんち」に電話をして、金曜日のテイクアウトの取り置きをお願いする。フォレノワール2個、タルトシトロン1個、サーモンのキッシュ1個、スコーン2個(一袋)。店主のまゆみさんと少しおしゃべり。

耳鼻科に行って薬を出してもらう。

昼食を「プリミエールカフェ」に食べに行く。

海老ドリアを注文。スパゲティを注文するものと思っていたマスターは「えっ、意外ですね」と言った。

最初にコーヒーが運ばれてくる。砂糖とクリームが2セット付いているのは、食後のコーヒー(サービス)用である。

続いてサラダ。

そして海老ドリア。釜飯と同じで、器と接したところのお焦げになった部分が私は好きである。

タバスコ(スパゲティのときは粉チーズも)が提供されるのだが、私はめったに使わない。蕎麦にはワサビ、ラーメンには胡椒、餃子にはラー油、鰻重には山椒、(広島風)お好み焼きにはお多福ソース、これらはいずれも必須である。しかし、タバスコや粉チーズを使う習慣はない。たまに使うこともないわけではないが、必須ではない。

ごめんね、タバスコ。

店を出て、その足で駅へ向かう。今日は5限に演習がある。

店の看板(店名)を見ながら歩くのが好きである。

「玄海鮨」。「限界鮨」に変換する。「ぎりぎりまでお安く提供させていただいています」

雀荘「センチュリー」。開店当時は「20世紀」気分であったのだろうが、もはやレトロな雰囲気が漂っている。

スナック「サン・ウェスト」。「太陽の西」(西国)という意味かしら。壁画との関連は不明である。

スナック「花れん」。「かれん」と読むのだろう。卒業生にも何人かいる。元気でやっているだろうか。

「裕大ビル」。もし「裕大」が所有者の下の名前だとすると、珍しいネーミングである。苗字をビルの名前にするのだ普通だから。

大学に到着。正式には「戸山キャンパス」であるが、みな「文キャン」と呼ぶ。「文学部」「文化構想学部」の「文」である。いや、その前の「第一文学部」「第二文学部」の時代から「文キャン」と呼ばれていた。「文化構想学部」という名前はあれこれあって決まった名前だが、「文」で始まるものでよかったと思う。

5限の演習(現代人と社交)は今日から学生による発表が始まる。毎回、4名ずつ、1名あたり20分(発表5分+質疑応答15分)で行う。発表時間が5分というのは短いが、事前にレポートを全員に配布しているので、内容についてはすでに読んで理解しているという前提である。パワーポイントを使っての発表はポイントの確認であり、主眼は質疑応答の方にある。

だから発表は発表者と聞き手の共同制作物となる。教壇だけが舞台ではなく、フロアーも舞台なのである。共演者としての自覚がどのくらい聞き手である学生たちにあるかで演習の質が決まる。当然ながら、そういう自覚は当初、学生たちには希薄である。自分が発表する以外の日は自分は観客である、気楽な立場であると。でも、今日の演習でそういうものではないということに気づいてくれたであろう。演習は発表の練習の場であると同時に、聞き手としてのレスポンス(質問やコメント)の練習の場なのである。

本日の発表は以下の4本。

 世代間における社交

 障害児と社交

 社交における他者に対する印象の重要性

 現代における対面での社交の必要性 

7時過ぎに帰宅。

夕食はポークソテー、大根の味噌汁、ごはん。

今日のポークソテーは肉厚である。食べる前にカットしておく。

食事をしながら『珈琲いかかでしょう』第8話(最終話)を観る。後味のいい終わり方でよかった。

オンデマンド授業の収録を一本。

収録時間は32分30秒。これでよし。

コンテンツ一式をネットにアップする。受講生が視聴できるのは木曜日の0時から。

風呂から出て、ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ。

2時、就寝。

 


5月24日(月) 曇り

2021-05-25 11:00:05 | Weblog

9時半、起床。

トースト、ウィンナー&エッグ、サラダ(+バナナ)、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『おかえりモネ』。父親(内野聖陽)がモネの働いている山間の施設までやってくる。モネがそこの職員として就職することには反対だという。ファザコンの反対方向(?)、父親が娘のことが心配で心配でたまらないというのは何かそれを指す言葉があったかしら。

昨日のブログを書いてアップする。

今夜収録する予定の講義原稿を書く。

2時を回った頃、自転車で出かける。ピンクの紫陽花が咲き始めた。

郵便局に行って所属している4つの学会の年会費を支払う。3万5千円ほど。ちょっとした金額だが、この時期、忘れないうちにまとめて振り込んでおく。

東邦医大通りへ回って(そのための自転車である)、「鳥久」本店で昼食用の弁当を購入。先日、購入しようと思って、途中でパン屋に寄って調理パンを購入したが、そのときの宙に浮いてしまった弁当への思いが消えずに残っていたのだ。

帰宅して昼食。鳥久特製弁当(800円)。隣の惣菜店でつくね(210円)を一本購入すればなおよかったな、と後から思った(弁当にも入っているのだが1個なのだ)。

食事をしながら『ソロ活女子のススメ』第6話(録画)を観る。気球フライトだ。私はパラシュートはやってみたいと思わないが(生きた心地がしないだろう)、気球には乗ってみたい。

昨日は快晴だったが、一日だけのものだった。妻がスマホの天気予報だともうすぐ雨が降ってくるという。私は空を眺めて、雲はそれほど濃くないから雨にはならないだろうと言った。しばらくすると小雨がポツポツ落ちてきた。

講義原稿を一本仕上げる。

夕食は鮭のムニエル・クリームソース掛け、冷奴、野菜スープ、ごはん。

ムニエルにはズッキーニとパプリカのソテーを添えて。

食事をしながら『ネメシス』第7話(録画)を観る。私は熱心な視聴者ではなく、途中、何回か観ていないが、それでも話はわからなくはない。

オンデマンド授業の収録を一本。

ワンテイクでOK(プロデューサーがいるわけではないから自分で出すのだが)。時間は31分31秒。程よい。

緊急事態宣言が6月20日まで延長されそうだというウンザリするニュースを聞いた後で、「まやんち」が6月の下旬から土曜日だけだがカフェ営業を再開するという吉報が届いた。7月のピーチメルバのイートインに向けての始動である。6月上旬のテイクアウト営業の2週続けての休業はそのための充電期間だそうである。

 「気温が上昇するにつれて、7月のピーチメルバに向けて、ティールームの再開を検討し始めました。お客様からも「ピーチメルバはどうするの?」と、どれだけお問合せをいただいたのか、カウントできなくなってきました。しかし、長期間お休みしていたティールームを再開するには、それなりの対策と準備が必要で、すぐに再開とはいきません。現行のスケジュールですと、金土の営業に向けて月曜にメニュー計画と発注を済ませ→火曜から仕込みを始め→金土で燃え尽きて→日曜は腑抜けになる、というライフスタイルになってしまい、創造的な思考で物事を考える余裕がありません。ですので、考えて整える時間が必要であることから、2週間の休業期間を設けることに致しました。対策やルール作りはもちろんですが、全部の食器を洗うだけでも、どれだけ時間がかかるのでしょうか。客席(ベンチシート)は箱、容器など、テイクアウト用の包装資材で埋め尽くされており、どうやって片付けようか?コロナ以前とは予約の決め事を変える必要があるけれど、どうしよう~そして最大の課題は「ティールームってどうやってやるんだっけ?」という感覚を取り戻すのも必要です(笑)ということで、6月は前半の2週間は休業。」(店主さんのブログより転載)

 なお、今週末(28日・29日)のテイクアウト営業は通常通りある。メニューをみたらあのフォレノワールが登場している。これは買いにいかなくちゃ。

久しぶりのウォーキング&ジョギング(3キロほど)

風呂から出て、ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ。

2時半、就寝。


5月23日(日) 晴れ

2021-05-24 11:55:15 | Weblog

7時半、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

昼食をとりがてら散歩に出る。何日ぶりだろう、5月らしい爽やかな晴天。高層ビルの窓ガラスに白い雲が映っている。

谷川俊太郎の「生きる」のいくつかのフレーズを思い出す風景。

 「木漏れ日がまぶしいということ」

 「あなたと手をつなぐこと」

 「あなたと手のぬくみ いのちということ」

昼食は蒲田の隣町カフェ「燈日」に食べに行く。多摩川線で一つ乗る。

矢口渡駅前商店街。

「リヨン モアール」で朝食用のパン(ボンジュール)を購入。「リヨン」はチェーン店のパン屋だが、店ごとに「リヨン〇〇」と下の名前(?)が付いている。たとえば「リヨン セレブ」(梅屋敷)、「リヨン 味彩館」(萩中)、「リヨン クローバー」(仲六郷)のように。もしかしてチェーン店ではなくて暖簾分けなのかしら。だとしたら本店(本家)はどこ?

「燈日」に到着。一つテーブルが空いたところだった。片付け・消毒の間、外で待つ。

ごはんメニューを見ると、どんぶり定食(坦々肉そぼろ丼)は完売で、2種類の燈日定食のどちらかということになる。

サワラの大葉巻きフライ~ワサビタルタルを注文。タルタルソースにワサビが入っているというわけだ。

サワラのフライはカリっとしてふっくら。ワサビのタルタルは爽やか。

食後にアイスカフェラテを注文して、『星落ちて、なお』第4章「砧 大正2年 春」を読む。

時代は大正に入った。主人公とよ(河鍋暁翠)は画業に集中するため夫と別居、そして離婚(離婚は夫の方から)。夫にはとくに非はない。妻が画業に打ち込むことには寛容である。というよりも、関心がない。それが物足りなかったとうことはあったのかもしれない。とよは自分をどんどん追い詰めていっているように見える。

本筋と関係ないが、「おっ」と思った箇所がある。

「姐さん、茶席の菓子が足りなくなりそうだよ。うちの奴を買いに行かせてもいいかい」

「もちろん、よろしく頼むよ。それにしても、朝一番に長門から羊羹を運ばせたんじゃなかったのかい」

父暁斎の回顧展の会場でのやりとりである。どこか「おっ」なのかというと「長門」である。現存する和菓子屋「日本橋 長門」のことであろう。あの店の「切り羊羹」は美味しい。食べたくなった。

一旦帰宅。『山下達郎のサンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く。

5時半まであと10分というところで、外出。空はまだ明るいが、「スリック」のラストオーダーは5時半なのだ。

ぎりぎり滑り込む。本日最後の客である。

アイスロイヤルミルクティを注文。これはセパレートティ(グレープフルーツジュース+紅茶)とは違って、混ぜて飲むものである。いや、セパレートティーも本来は混ぜて飲むものであるが、私は混ぜずに飲むのが好きなのだ。そのセパレートティーはまだメニューに出ていない。6月からかな。

写真にはうまく取れていないが、テラス席の側の草木に雀が何羽も来てチュンチュンないている。マダムはベリーの実を食べに来ているのではないかと言う。近くに雀の巣があるそうだから、小雀たちの飛行訓練をしているのではないかしら。

マダムと小一時間ほどおしゃべりをして店を出る。また来週。

日没の時間が近づいている。

夕食はシイタケのツナ詰めバター焼き、ニンニクの茎と玉子とベーコンの炒め、ワカメの味噌汁、ごはん。

ツナの他にネギとシイタケの茎がはいっている。ちょっと醤油を落として食べる。

食事をしながら『コントが始まる』第6話(録画)を観る。「自分は何がやりたいのか」「自分に何ができるのか」、その問いは青年期だけのものではないとは思うが、青年期に顕著であることは間違いない。人生のモラトリアム期間の終わりが近づいている。

本日提出されたレビューシートのチェック。

風呂から出て、村山由佳の『眠れない貴女へ』を聴きながら、今日の日記とブログ。

2時、就寝。


5月22日(土) 曇り

2021-05-23 12:45:54 | Weblog

8時、起床。

トースト、ハッシュドビーフ(連日)、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日の『おかえりモネ』。昨日はコロナワクチンの接種予約申し込みの作業があって落ち着いて見られなかったので、NHKオンデマンドで改めて見る。それから今日の『おかえりモネ』(今週の振り返り)。サンドウィッチマンが振り返り役をするのか。

10時から早稲田社会学会の理事会(オンライン)。

会議は2時間ほどで終了。昨日のブログを書いてアップしてから、昼食をとりがてら散歩に出る。

スープカレーの店『ムラカリータ』を先週に続いて再訪。オーナシェフは村田さんという。村田さんのカレーだから「ムラカリータ」というのが店名の由来だ。

先週は平日の午後の遅い時間に来て客は私だけだったが、今日は先客が何人かいた。

前回は一番ベイシックな950円のスープカレー(野菜は6品)を食べたが、今日はワンランク上げて1200円のスープカレー(野菜10品)かつ海老の出汁スープ(+150円)で注文した。

野菜6品と10品では運ばれてきたときの賑やかさが違う(レンコン、ズッキーニ、パプリカ、ヤングコーンが追加の4品)

参考(前回):野菜は茄子、カボチャ、ブロッコリー、じゃがいも、トマト、人参の6品(スープの中に沈んでいるものある)。

カレーの辛さは「3」(中程度)と前回と同じ。やはり最初の数口は辛く感じ、しだいに慣れてくる。スープだけをひたすら飲むわけではなくて、野菜を食べたり、鶏肉や卵を食べたり、ライスを食べてりするわけなので。海老出汁のスープは旨味があるが、前回のあっさりしたスープもそれはそれで美味しいと思う。鶏肉はナイフとフォークで骨からこそぎ落としながら食べたが、最後はやっぱり手に持って食べた。この方が美味しく感じられる。

後から店員さんに確認したが、増やす野菜はリクエストもできるそうで、同じものが二つあってもかまわないとのこと。今日は茄子とカボチャがとくに美味しかった。

スタッフは店長さん、店長さんのお母様、そして店員さん(フロアー担当)の3人である。ごちそうさまでした。

食後のコーヒーは『テラスドルチェ』で。

コーヒーを飲みながら、澤田瞳子『星落ちて、なお』第三章「老龍 明治三十九年 初夏」を読む。前章から10年が経過している。主人公とよ(河鍋暁翠)は結婚し、身重になっている。

竹橋にある東京近代美術館は明治40年に開催された第一回文部省美術展覧会(帝展)の作品から展示を始めている。それが「日本近代美術」の立ち上げイベントであるという認識があるわけである。小説では、その前年、日本画と洋画という新旧の構図を背景に、伝統的な日本画に留まる(堅持しようとする)一派と積極的に洋画の技法を取り入れようとする一派の確執が描かれている。とよは前者であるが、同じく(というよりも彼女以上に父暁斎の画風に固執する)兄との確執(一種の近親憎悪)も描かれている。しかしその兄は病で余命いくばくもない。消える蝋燭の炎の最後の輝きのように画業に打ち込みながら、妹に父の画風の継承を託す。二人の間で取り交わされる会話(地の文は割愛)。

「俺がくたばった後も、おめえはあんな雑種絵を描くんじゃねえぞ。いくら世間の奴らが褒めそやそうとも、あんな絵は所詮、欧米の真似事に過ぎねえ。おめえは親父から叩き込まれた自分の絵だけを信じろ」

「自分の絵ねえ、あたしに描けるだろうか」

「描けるに決まってら。おめえは俺の妹だぞ。誰よりも親父の傍にいたおめえが描けずして、誰が河鍋の姓を継ぐってんだ」

「どうしたってんだい、兄さん。明日は雪が降るんじゃないだろうね」

「ああ、そうだな。雪になるかもしれねえ。だから、よく聞いておけ。おめえの仕事はおめえ一人だけのものじゃねえ。親父や俺が生きた証でもあるんだよ」

「まだ5月なのに梅雨のよう」ーみんなそう思っている。残念な今年の5月。

でも、明日は久しぶりの晴れ間が広がるようである。

帰宅して、nappeの朗読劇「コンタクトレス・シーケンス」を視聴する。5月15日に江古田の「兎亭」でリアル公演されたが、その録画の配信である。

出演は小林カナと小林龍二(神野剛志とのWキャスト)。脚本は立夏。

あらすじ(主催者による)

シロサキ譲葉は、昼も夜もなく働くひとりのシステムエンジニア。
彼は繰り返される労働の果て、バス通勤中にふと訪れた30分の空白に立ち尽くす。
「次のバスが来るまでおおよそ30分後」

その空白の時間に訪れた図書館には、
ひとりの図書館司書──アリムラ撫子が、
一冊の童話を子供たちに読み聞かせていた。
譲葉はそれから、空白の時間に図書館を訪れては、
彼女の読み聞かせに耳を傾けるようになる。

譲葉と撫子。ふたりが出会った春から季節は流れ、秋。
約束の日から突然に姿を消した譲葉を、撫子はひとり、待ち続けていた……。

ふたりの出会いと別れの物語を、
譲葉は「出会いから別れ」へと語り、
撫子は「別れから出会い」へと語る。
ふたりのシーケンスがすれ違うように交差する、ふたり朗読劇。

「コンタクトレス・シーケンス」

これは、大人のラブストーリー。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シロサキ譲葉(ユズリハ)は40歳のシステムエンジニア、有村撫子(ナデシコ)は20代半ばの図書館司書。

普通は接点はないだろうが、接点が生まれ(シロサキがそれを求めた)物語が展開していく。デートに誘うことに成功し、夏の日の公園の池でボートに乗る。ちょっとしたイザコザが生じるが、それは二人の親密さが増すために必要なプロセスである。ある日(彼女の誕生日だったか)、デートの待ち合わせにシロサキが姿を見せなかった。前日、交通事故に遭って意識不明で入院したのだ。事情を知らないナデシコは突然自分の前から姿を消したシロサキを待ち続けるが、3カ月が過ぎ、自分は捨てられたのだと自分に言い聞かせる。でも、最後はハッピーエンド。意識を回復したシロサキが花束を持って彼女の前に姿を現す。大人のラブストーリー・・・というよりも、大人の童話である。

話の筋はこうだが、実際の朗読劇は時間軸の通りには進まずに、あれこれのエピソードが前後しながら二人の役者によって語られる。だから一度聴いただけでは、話の順序が少々わかりずらい。ジグゾーパズルの最後の一片(ラストシーン)が置かれて、それまでの断片(エピソード)が時間軸の上にあるべき配列にきれいに並んで一枚の絵になるという仕掛けだ。

視聴しながら、ときどき、目を閉じて、ラジオドラマのようにして聴いてみた。初めからそうやってもたぶん最後まで聴くことができただろうと思う。目を開けると、画面の中に役者の姿が見える。私にとって二人は初めて見る人ではないので、声のイメージと実際の容姿がズレるということはない。朗読劇は、劇場にリアルで観るにしろ、こうして配信で視聴するにしろ、役者の身体(容姿や表情や動作)についての情報がラジオドラマより豊富である。逆に言えば、視聴者の想像力は抑制される。また、劇場でリアルで観るのと、こうして配信で視聴することとの差は、配信ではカメラが3台使われているので、劇場の椅子に座って観るよりも視点が増えるということだ。ただしカメラの切り替えは私が行なうわけでないので、テレビドラマを観るときのように受動的な視聴者となる。劇場で観れば、終演後に出演者との面会という楽しみがあるが、今回はコロナ対策でそれができないので、配信で観ていても「面会できなくて残念」ということがない。

こういうことをあれこれ考えながら配信される朗読劇を聴いた背景には、いま私が対面授業とオンデマンド授業の両方でやっているということがある。前者は劇場での演劇であり、後者はラジオドラマである。経験が浅い分、後者の方がいろいろな可能性を秘めているように感じている。

夕食は冷製豚シャブ、味噌汁、ごはん。

サラダの上に茹でた豚肉を載せて、ポン酢をかけまわして食べる。

デザートは、豆乳ゼリーのようなものに小豆あんを載せて。

食事をしながら『恋はDeepに』第6話(録画)を観る。三兄弟の末っ子の野望が明らかになる。

土曜日のいつものお楽しみ、『福山雅治 福のラジオ』をタイムフリーで聴く。

同じく土曜日のお楽しみ、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(ただし先週に続いて住吉美紀が代行)をライブで聴く。

風呂を浴びてから、今日の日記とブログ。

2時、就寝。


5月21日(金) 曇り

2021-05-22 13:40:15 | Weblog

7時45分、起床。

トースト、ハッシュドビーフ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。「昨夜のカレー」と同じく「昨夜のハッシュドビーフ」も朝の食卓にふさわしいものである。

8時半開始のコロナワクチンの接種予約申し込みに臨む。PCから入って、ログイン自体はすぐにできたのだが、会場を選択し、日時を選ぶ段階でカレンダー画面では「△」表示(空きは少ない)となっていてもそこをクリックすると「×」「空きがありません」と表示され(タイムラグがあるようである)、少々手間取る。結局、6月中の予約はできず、7月5日に第1回、その3週間後の7月26日に第2回の予約をした。予約できただけよしとすべきかな。

昨日のブログを書いてアップする。

来週の講義原稿の準備。

2時過ぎに自宅を出て、大学へ。雨模様の空。

早稲田駅の改札を出たところに公衆電話が一台置かれている。もはやシュールな雰囲気を漂わせている。

遅い昼食を食べようと「タビビトノ木」に行ったのだが「ランチ完売」の張り紙が出ていた。さて、どこで食べようかしら。

「ごんべい」に入る。いつもであればカツ丼を夕食用にテイクアウトするのだが、店内で食べることにする。

カツ丼を注文して待っているときにテーブルの上のメニューを見たら「釜揚げうどん」があった(なくなったと勘違いしていた)。次はこれを注文しよう。釜揚げうどんはうどんだけで何も入っていないのだが(つけ汁と薬味で食べる)、750円と他のメニューよりも高い(鍋焼きうどんの次)。ゆでるのに手間がかかるのかな。

久しぶりに店内で食べるカツ丼セット。スプーンが付いているが、使わずに、箸で食べる。

5限は3年ゼミ、6限は4年ゼミ。

来週から3年ゼミ、4年ゼミとも個人発表を始める。3年は関心のあるテーマ(自己紹介のときにごく簡単に述べもらったがもっと時間をかけて)、4年生はもちろんゼミ論のテーマについて。

今日は定刻通り(午後7時45分)ゼミを終了。8時には大学を出る。

蒲田に着いて「ちよだ鮨」で鉄火巻きとお稲荷さんを買って帰る。前者は30%引き、後者は半額になっていた。

帰宅して夕食(皿には盛らなかったが、お稲荷さんがもう2個ある)。昼食(カツ丼セット)を食べたのが3時半ごろだったから、夕食はこのくりでちょうどよい。

『珈琲いかがですか』第7話(録画)を観る。来週が最終回だ。TVerなどでの再生回数がテレ東史上最高を記録しているそうだ。

本日提出されたレビューシートに目を通す。

風呂から出て、ラジオを聴きながら、今日の日記とブログ。

2時、就寝。