9時、起床。
パン、昨夜の総菜(「マーボ屋」からのテイクアウト)の残り、牛乳、紅茶の朝食。
大滝詠一のアルバム『デビューアゲイン』を聴きながら、昨日のブログを書いてアップする。『デビューアゲイン』は他のアーティストのために書いた曲のセルフカヴァーである。
今日は二カ月に一度の句会(オンライン)の日。午後1時からなので(3時頃まで)、その前に何か食べておこうと「吉岡家」へ。日曜日に来るのは珍しい。
稲庭うどん+蛸のから揚げ。
食べるのはあっという間だが、出てくるまでに少し時間がかかったので、句会の時間が迫っている。
家に戻ってきたのは句会開始5分前。
本日のライブの参加者は9名。(画面左上から)主宰の紀本直美さん、私(たかじ)、犬茶房さん、港さん、さやかさん(選句のみ)、あやこさん、月白さんと渺さんご夫妻(画面には渺さんは映っていない)、まゆこさん。ほかに投句は蚕豆さん(事前選句も)と恵美子さん。
投句者は10名で一人3句(自由句2句、兼題句1句)で計30句。兼題は「緑」。
読みを併記しておく。
選句に入る。一人5句で、天(5点)1句、地(3点)2句、人(1点)2句。
私は次の5句を選んだ。
天 束ねたるゴムのゆるさや姫女苑
地 夏山の緑は二十一音階
地 新緑の蔦の野望や未来地図
人 来た道を引き返したり青葉風
人 春愁はミックスジュースのような味
全員の選句が終わり、結果が集計された。
21点 束ねたるゴムのゆるさや姫女苑 まゆこ
今回の特選句は久しぶりの参加のまゆこさんの作品。渺さん、さやかさん、私の3人が「天」を付けた。一読して調べの滑らかで美しい句である。「束ねたるゴムのゆるさや」で切れているので、それが束ねられた姫女苑の描写でもあり、それを手にしている少女の束ねられた髪の描写でもあるような・・・「姫女苑」の「姫」がそういう連想を生むのである。
13点 夏山の緑は二十一音階 渺
港さんが「天」を付けた。初夏の山の緑のグラデーションを「二十一音階」という言葉で表現した句。シェーンベルの「十二音階」(十二音技法)というのは知っているが、「二十一音階」というのは初めて聞いた。作者の造語らしい。ハーモニカの穴の数が21なので(そうでしたっけ)、そういう意味で解釈した方もいた。
11点 玉ねぎの肌の白さに目をそらし 犬茶房
まゆこさんが「天」を付けた。新玉ねぎの外側の皮をむくとその白さにハッとする。問題はなぜ「目をそらす」のかである。玉ねぎが目に沁みるからという即物的な解釈から、その官能性(玉ねぎの擬人化)に「い、いけない」という解釈まで、いくつかの解釈が可能だが、「目をそらす」前に「目を奪われる」という段階(瞬間)があるわけなので、その部分をこそ描くべきではなかったかと思う。
10点 新緑の蔦の野望や未来地図 恵美子
「蔦」「野望」「未来地図」という普通は関連性のない3つの言葉を並べて、そこに生じる化学反応(これから壁に広がってどのような地図を描こうとしているのかという蔦の野望)を楽しむというタイプの句で、恵美子さんの得意とする技法である。「新緑の蔦」は「青蔦」という季語があるので、音を節約するならそちらの方がよいが、兼題の「緑」を使いたかったということだろう。
9点 緑道にひとり雀の子の呼吸 港
蚕豆さんが「天」を付けた。芭蕉の「古池や・・・」のような静寂な句である。この句は「緑道にひとり」で切れる(「ひとり雀の子」と擬人化して読むのではなく)。作者はひとり緑道で立ち止まる。雀の子の呼吸すら聞き取れるほどの静けさである。もしこれが巣から落ちこぼれた雀の子が緑道にいるのであれば、そうはいかない。親を呼ぼううとしてチュンチュン鳴きまくっているはずである(私はそういう雀の子を保護して3年間書斎で飼っていた。そのとき書斎は雀荘であった)。
8点 カーネーション小銭出す手のおぼつかず まゆこ
あやこさんが「天」を付けた。子供が母の日のカーネーションを買っている情景である。と、何の疑問もなく読もうと思えば読める作品であるが、月白さんは中高年の女性が超高齢の母親のためにカーネーションを買うという情景を思い浮かべたそうだ。最近はなんでもキャッシュレスなのでたまに小銭を払うという動作がおぼつかないのである。
8点 飲みたきは遠くの街のソーダ水 たかじ
私の句。紀本さんから「天」をいただいた。遠出や旅行ができない状況を詠んだ「コロナ句」である。「遠くの街」は松本を念頭に置いているが、もちろん海辺の街でもよい。こじんまりした「町」ではなく、それなりの「地方都市」である。そこには訪ねたいカフェがあり、会いたい人がいる。実際に松本でソーダ水を飲むことはないのだが(コーヒーやジンジャエールやリンゴジュースが多い)、夏の句なので「ソーダ水」という季語を選んだ。
7点 日没の場所変わりたる五月かな たかじ
これも私の句。犬茶房さんから「天」をいただいた。私は自宅の三階のベランダからよく空を眺める。ベランダは南向きなので、春分の日頃までは日没の場所がわかる。しかし、それを過ぎると視野の外(北側)にスライドしていって、ベランダから乗り出さないと見えなくなる。5月、日没の場所はもうまったく見えない(なので日没の風景の好きな私は散歩に出ることになる)。そういう定点観測的な写生句である。
6点 緑風やペダルゆらゆらヒジャブ過ぎ 犬茶房
ムスリムの女性が布に身を包んで5月の街を自転車に乗って目の前を行き過ぎていく情景。私はこの句から明治のハイカラな女学生が羽織袴で自転車にに乗って街を行く情景を連想した。「ペダル」や「過ぎ」の位置がここでいいかは推敲の余地ありと思う。
6点 我が犬の甘噛みやさし昼寝覚 蚕豆
月白さんが「天」を付けた。これが蚕豆さんの作と知って意外な気がした。モチーフ自体もそうだが、「甘噛み」と「やさし」の重複や、「我が犬」の「我が」の余剰が気になったからである(飼い犬以外の犬が外から入ってきて寝ている主人を甘噛みするという状況はまずないであろう)。蚕豆さんのことだから、そういうことは承知の上でのあえての作品だとは思いますけれど。
6点 記憶から消し去ったのに風薫る 紀本直美
初夏のころの苦い記憶(だろう)が薫風に蘇るという意味の句だが、渺さん(この句に「地」を付けた)が「この句も官能的ですね」と感想で言われたので驚いた(「この句も」というのは、「玉ねぎの・・・」の句を念頭に置いてのことである)。ど、どこが?!薫風に何かを連想させる匂いでも混じっているのかしら。もちろんどんな作品も官能的に(=身体性を帯びて)読もうとすれば読めないことはないのだが、「風薫」というさわやかな季語の句ですからね。これが「汗ばめる」とかだったらわかりますけど。
以下の句の感想は時間の関係で割愛させていただきます(ごめんなさい)。
3点 新緑や「お」の字「む」の字に似たドリル まゆこ
3点 母の日に母の逝きし日数えおり 蚕豆
3点 逃走の準備万端五月晴れ 月白
3点 来た道を引き返したり青葉風 恵美子
3点 親譲り一日遅れの母の日 あやこ
3点 翡翠は緑の箭となり測量す 蚕豆
1点 浅蜊らのひそめく夜半の台所 犬茶房
1点 人入れぬ薔薇園まさに花盛り 渺
1点 万緑にYシャツを干す昼寝する 月白
1点 連日のみどりのタヌキもういいよ あやこ *「みどりのタヌキ」は小池都知事のことらしい。
1点 春愁はミックスジュースのような味 恵美子
1点 我もまた水の族か春驟雨 渺
1点 早緑の新茶の底に眼あり 月白
次回の句会は7月11日(日)。兼題は「さらさら」「きょろきょろ」など2度繰り返す言葉(出題はまゆこさん)。
では、みなさん、ごきげんよう。
句会を終えて、散歩に出る。JRのガード下をくぐって、東口方面へ。
「スリック」に顔を出す。5月5日以来だから10日ぶりである。
句会でずっとしゃべっていて喉が渇いていたので、冷たいドリンクが欲しい。もしセパレートティーがメニューに出ていれば注文したかったが、まだだった。マロウカルピスを注文する。
シフォンケーキは前回食べて美味しかったオランジェットを選んだ。
マロウカルピスはカルピスの原液にマロウブルーを使ったハーブティーを注ぐ。
酸性のカルピスに反応して、青から紫、
そしてピンクに変色していく。
私の後に女性の二人客が入ってきて、それがおそらく本日最後の客である。彼女たちが注文したお茶を出してから、マダムは厨房から出てきて、おしゃべりをした。
5時からライブ配信の朗読劇を聴くことにしているので、4時半を回った頃に店を出た。少し歩いたところで、後方から「先生!」とマダムの声がした。「忘れ物です!」とマダムが書類(句会の集計結果を記入した書類だ)を持った右手を高く上げた。そのとき私の頭に浮かんだのは川端康成の『雪国』の一節だった。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん」
帰宅して、5時から朗読劇『コンタクト・シークエンス』をライブ配信で視聴する。本来であれば、昨日、劇場(江古田の「兎亭」)で観るはずであったが、急な会合の予定が入ったので、今日のライブ配信に切り替えたのである。
句会の感想でエネルギーを使い果たしたので、朗読劇の話は後日とさせていただく。
夕食は鶏の照り焼きのとろろ掛け、味噌こんにゃく、玉子と玉ねぎと味噌汁、ごはん。
甘辛のタレの上にのっている。
デザートは葡萄。
皮のまま食べる。
『山下達郎のサンデーソングブック』をタイムフリーで聴く。
風呂から出て、本日中に提出されたレビューシートのチェック、日記、ブログ。
2時過ぎに就寝。