King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

どうせそんなことだと

2010年05月19日 10時17分48秒 | 日々のこと
昨日の夜、国交省が新料金6月実施を断念と
いうニュースが流れましたが、やはりねえと
いう感じです。

国会に登る前に断念というのが大臣の力と
いうのもこんなものというのを表しています。

すでに死似体とまでいえる内閣支持率に加え、
普天間移転問題で今月末までの決着が無理と
認めてしまった事などからすっかり無能で馬鹿
と過去の人になってしまった感があります。

これをただ国民の期待を裏切ったということ
だけで敵視した見方でいいのかと最近はします。

マスコミでいわれる抑止力や駐留無き安保をいう
ような人に任したからというこれらのしたり顔の
人たちにどっちが正常なのかもう一度考えて
ほしいと思うのです。

自国に他所の国の軍隊が基地を設け、それの費用を
負担しているという事態が正常なことか。

多額の税金を出してもいてもらわなければいけないのか。

そんなのは守ってもらっているとか、抑止力になって
いるなどというのはどこからそんな考え方になるのか
もう一度考えて見るべきであり、どうしてそうなったか
歴史を見直して見ればいいのです。

現在でも中国軍は第一列島線を越え軍事行動を繰り返し、
空でも自衛隊がスクランブルを繰り返すということは
日常に行われています。

それが米軍の核の傘や米軍の基地があるからこのまま
まだ平和でいられると言いきれるのでしょうか。

今でも北朝鮮は核開発をやめないと言っているし、なんら
核の傘も米軍基地も平和に寄与しているといえないことに
目をつぶり何を望んでの駐留を求め米国に守ってもらって
いるという理論を作り続けるのでしょうか。

今米軍が基地を置くのは平和のためでも自国の安全の
ためでもなく、軍事的優位を保つためのみであり、戦後の
軍事活動の成果でしかないことを改めて見つめなおし、
軍隊を持たないと他国が攻めてくるという考えを直したら
どうでしょう。

マスコミで流れてくる脅しや世界の常識をもっと疑うべき
でしょう。

事業仕分けなど基地の思いやり予算やもんじゅの予算に
切り込むべきです。

コメント (2)
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