King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

雨の公園の音楽会

2010年05月24日 09時11分25秒 | ライブ・コンサート・展覧会
昨日はいつも走りに行く公園で地元
ピアニストのリサイタルがありました。

演目が

モーツァルトトルコ行進曲つきソナタ

『テンペスト』

シューベルト『遺作』

アンコール

ブラームス ワルツ11番

ベートーヴェンピアノソナタ『悲愴』第2楽章

でした。

久々の生ライブで、最初はピアノの音がこもったような
目の前のピアノの音が妙に遠く聞こえるぼやけた感じ
でしたが、段々音が立ってきてやはり生は良いと
感じるのでした。

特に『テンペスト』はCDでは何度も聞いている曲で
ありながら、聞いていてああこういうことだったのか
はじめて感じたのです。

音が実に立体的であり、CDでは和音の連続とあのリズム
の曲だったのが、音が視覚化しイメージが出来上がってくる
かのような表情豊なふくらみを感じます。

実にドラマ的展開でもともとシェークスピアの戯曲から
曲想を得たそうですが、その幻想的な物語がふと感じられる
音が見える、見せるような実に緻密に設計された音楽を
聞いているような物語を味わったようなそんな感覚でした。

その折々のシーンが音楽なのか視覚シーンなのか頭に
繰り返される余韻の中、実際の音の世界で水の入った
大きな袋からいくつも穴が開き水が漏れている感じに
なり、休憩時間をすごしました。

後半のシューベルトはこういうのもあるよ、こうだったら
どうだいという緻密に設計されたソナタとは違うながーい
曲です。

こういう生でだらだらなのもまた良いです。

実に豊な気持ちになれます。

世の中、ショパン生誕200年のイベントが目白押しなのに
なぜこの曲になったのかとコンサート前には気になって
いましたが、終わったときにはそういうことかという
感じになりました。

音楽の父系というかバッハを父にしてその後活躍した
大音楽家たちの偉業を垣間見たということなのでしょう。

ショパンのピアノだけというのも以前あったしね。
またやったら世に迎合した感じにもなっただろうし、まあ
いい選曲だったのでしょう。

アンコールに小品をやるのは恒例ですが、悲愴の第2楽章
というのはサプライズでした。

最近この曲は商業利用がはげしいですから、それにそった
ものなのでしょう。

本物はこんなだよという感じに聞こえました。

やはり生で聞くと良いです。こういう体験が出来るのは
貴重な事なのですが、意外とそれを欲求する人が少ない
のが残念です。

帰り道に彼を目的に全国からお客が秩父に来てくれるよう
になればいいのにと思いましたが、すぐにそれだと簡単に
今のように席が取れなくなるからやはりいまのままでいいと
思いなおしました。

今後どうなるのか気になりますが。
コメント
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