King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

雷雨回避と視力低下

2013年09月04日 15時13分20秒 | 日々のこと
突然『林檎』というブレンドをくれと初めて来店の
お客様が表れて豆だけ買ってそそくさと帰られました。

誰から聞いたのか、何を嗅ぎつけたのかそんな豆だけ
それも『林檎』を買う風景がここの所続きます。

安定しない空模様のせいでしょうか、今までのように
何杯も試飲して珈琲の話をたっぷりと聞き込み幸せそうに
長居する人達は皆無です。

最近目の衰えがひどく、それもここ数日余計それを感じる
のです。

パソコンやパンフレットの文字が見えないなんてことより
全ての情報が何やら霞んできているようで、これは
もしかしたら残された時間がよいよ少ないのかと揶揄
してしまいます。

人により、夏の終わりでよいよスキーシーズンに向けて
始動しましたね。などとご機嫌伺いのような挨拶を向けて
来る人もいますが、私としては冬の時期のランニングが
憂鬱でならず、今のヘロヘロの状況の夏の方がまだ楽しい
と感じられるし、気持ちの良さも寝つきの深さも上です。

毎年九月というのはアイス珈琲を止める人が多くなり、
かといってホットをガンガン飲む時期でもないのか、需要
が落ち込むのですが、それに合わせて当店でも何か対策
が必要に感じています。

安易に広告を打つとか特定筋に売り込みに行くとか案は
あるものの、下手に販売量だけを増やすとコンセプトの変更や
持ち味も損ねる可能性もあり、慎重なプランが必要だと
思います。

とりあえずフットワークの良さを確保しつつ、動いてみようと
思います。
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珈琲が苦手な方にも…って

2013年09月04日 09時48分50秒 | 珈琲
先日再放送されたNHKの走る民の放送は原題をbone to run
に求めているようですが、出てくるのはメキシコの少数部族ララムリ
の人達です。

本の方ではタラウマラ族と紹介されていますが、多分同じ人たち
なのでしょう。

本の方では裸足で走るすごい民となっていますが、番組では古タイヤを
切ったサンダルを愛用しています。

本の中ではこのサンダルを使い出した人をちょっと批判的に書いて
いたように記憶しています。

真の走る民は裸足だといいたいようです。

実際映像で見る彼らは実に変わっていて興味深いのですが、中でも注目は
何も持たない潔さです。

現代人は何やかやと物や人を頼り群れて何やかやと煩わしさの中、生きて
いるのです。

ララムリの人達は電気もガスも水道もない荒れた高地に薪ストーブだけ
の掘っ立て小屋に住んでいます。

食事はモロコシを焼いたトルティーヤとゆでたインゲン豆だけで、それ
をずっと一年中食べています。

娯楽は走るだけ。時にはレースもします。三月というのに40℃という
過酷なレースに世界中の有名トレイルランナーなども参加しますが、
タイム表示もなければテレビ中継や表彰式もなしです。

走り終わった選手は汗もかいてなければ、息もあがっていないという
驚くべき状況です。それでも完走率が40%とという厳しいレースで
80Kに及ぶ高地の山道を木の棒を持って走り、途中でトウモロコシの
どろっとしたドリンクをもらうだけです。

これだけの能力があればケニアの選手のように世界のマラソンレース
を転戦して賞金で暮らすこともできるでしょう。

しかし、海外のレースに出た人もいるものの物質文明に毒されることも
なく短いカーテンで出来たようなポンチョと巻きスカートの民族衣装で
まるで道化のような恰好を崩さずに生きています。

メキシコはオリンピックや世界陸上に彼らを選手団として送り出せば
メダル独占も夢ではないでしょう。

しかし、彼らに国の名誉だとか世界の頂上に立つという功名心なども
ないのでしょう。

彼らの村には僅かな耕地と家畜と小屋のみで、もちろん医者なども
いなくても誰も気にするそぶりもなく、飲んだくれる人もなく、祈りを
上げる場所もなく、自分に与えられた機能を存分に発揮して生きている
という現実はまさに生きる哲学そのものです。

年に何回かあるレースにしろそのための鍛錬とか練習とかも一切
しないし、準備運動などもしないというのも現代のスポーツ科学で
武装した我々がいつも故障続きで色々な薬物やら装具などに頼り
運動しているのと違い、本来運動のための服装も装備も一切なく
走ることができるという証明であり、それはとてつもない可能性を
秘めているという人間能力の証明であり、しかもレースをすると
いうのは結果を競うものでなく、その能力を高め合うものでもない
という現代文明すべてを否定するもののようであり、実に感慨深い
世界です。

一切を否定し、何も持たないでも十分豊かであると知ればそこは
極上の世界なのかもしれません。

こんなことをつらつらとずっと思うのも今朝見たコーヒー屋のキャッチに
珈琲が苦手の方にも飲んでもらえるコーヒーとかなんとかというものを
見かけたからでしょう。

あるメーカーでは今年からインスタントコーヒーという呼称をやめる
といいます。

世の中、すべて私のようなコーヒーラバーでないにしても何かとんでもない
方向に進んでいるように思えてなりません。

コーヒーの抽出液をフリーズドライしたものにコーヒー豆の粉末を添加
するとかどんどんめちゃくちゃ感が増しているようです。

物質文明が行き着くところはよくあるSFのように荒涼とした高層ビルの
廃墟の町にわずかな資源を奪い合い暴力で最後の生き残りを演じる
というものですが、実際は最初から何も持たない彼らのような人が
生き残っているような気がしてなりません。
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