King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

やっと晴れた

2018年05月11日 09時24分01秒 | 珈琲

ずいぶん寒い日が続きました。やっと晴れました。

とはいえ朝から日差しがあるもののまだ肌寒い感じです。

昨日もいつもの10Kほどのジョギングをしましたが、雨で

前日休んだのと同じに寝つきは悪く、朝の目覚めもあまり

すっきりとしたものではありませんでした。

でも空を見上げればすっきりとした五月の青空が気持ちよく

広がりここのところ続いた雨空から解放された感じです。

昨日は銀行決済から最近では来なくなったクレジットの明細の

確認などをしてたまったポイントなどの整理などもしました。

これは何を意味するかというと普段全くアクセスしないサイトの

訪問を意味して、それはパスワードやアイディーの発掘にはじまり

果てはそのIDの再発行なども必要となり、各サイトによりその手続きと

信用度が違うのに驚きます。最近は本人確認にどこかに電話して認証を得る

ところもあり、その変化を感じます。

サイトではマイルなども自動で還元できるようにしているものの

一向に無料になった風もなく、高い料金を引き落とされ続けています。

高速道路の利用によりポイント還元で安くなるのもかつての通勤割引に

比べれば微々たるもので、引き落としをしているクレジットカードでも

利用額によりポイントが付くのでこれは二重に割引されているのです。

とはいえそのポイントで交換できるものが寄付的なポイントで商品に

交換できるものは前回も交換した出汁の元みたいの物しかなく、あっても

なくてもいいようなものです。もう一つのカードでもポイントを交換して

みようとみてみるとほぼ五年ぶりに訪れたサイトで見た残ポイントの意外な

少なさにがっくりです。こちらはアマゾンギフト券とかDポイントとか

楽天ポイントなどにも変換できるのですが、ネット決済的に利用できる

物との変換はいいのですが、ビットコインや支払いサイトのポイントに

しても使い道はないし、通貨というより最近の投機的動きなどがあるので

まさかそんなものにしたくもないし、結局こちらのポイントなども

せっせと貯めようとも思わないのです。しかし、今やっているドラママラソンの

先を左右することにもなりちょっと迷いを生じさせました。

つまり、アマゾンギフト券に交換してさらにドラママラソンができるようにしようかと

思ったのですが、それは時間の使い方の今後の在り方にもつながりちょっと気になります。

ウォーキングデッドさえ見ちゃえばもう用はないかと思われたプライムビデオも意外と

まだ見てみたいものがありそうに思えてきたのです。期日が迫っていますのでこの判断は

あと数時間のうちに付けなくてはなりません。これもこの晴れ間の時間をどう使うかという

ことにもつながりなんとも悩ましい午後になりそうです。

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寒さ継続中

2018年05月10日 09時36分55秒 | 珈琲

昨日は複雑なことを書いたので多くの反響をいただきましたが、

まあ注文は五月雨のようにぽつぽつとあり、のんびりドラママラソンも

ままならず、連続雨で昨日は走るのもあきらめて足の涵養に努めました。

 

昨日もガソリンのように珈琲を入れ、どうにか乗り切りました

決して暇でのんびりして珈琲ばかりがぶがぶ飲んだのではありません。

何かに征服されるのを防ぐように珈琲で防衛している感じです。

それが短い時間にどうなるかわからないものに集中しなければならない

場合など自分をしっかりと保ちたいと思ったらこれほどぴったりな飲み物は

ありません。

 

美しい日本の山々は本当に美しい風景がつづくのですが、これに見入る

ことやぼんやりと眺めてしまうことはありません。

 

頭の端で見つつその風景で気が付くのは、日本の火山の多さです。

それも今もなおあちこちで噴煙が沸いているという地球の鼓動を目にする

ことができるという神秘の光景です。まさに今息づいている生命の鼓動に違いありません。

よく行く草津でもこの噴煙はあちこちで上がっているのですが、これは温泉の

湯煙で、火山活動による噴煙ではありません。今年水蒸気爆発が起き、それらを

ごっちゃにしている人はさぞ草津に行くとまた今にもどこかで爆発がおきるのではと

思うことでしょう。本白根を最も楽しいゲレンデとして愛してきた身にはこの

何でもないところがいきなり爆発したというのはどうしても納得のいく話ではなく

ああ美しいとみている山の数々が今後いつ爆発するかは誰も解らないという現状が

あるということです。つまりは人間に何が託されて何が約束されているかなどと

真顔で議論している人がいるバカらしさが解るだけです。

 

涼しい日が続いています。体調など崩しませんようお気を付けください。

私は昨日の午後にもう降らないだろうと車を洗ったら夕方にはまた降り出し

今朝起きてもまだ降っていたのでこの間の暑さの方がまやかしだったのかという

感じを抱き今日もガブガブと珈琲を飲むのでした。

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マラソンに縁

2018年05月09日 09時07分32秒 | 珈琲

毎日珈琲をガソリンのように飲みどうにか

切り抜けている感じのこの頃。

気付けばこの時期にマラソン的なことが集中するようで、実際のロードレースとか

ハーフマラソンに出たのもこの頃ですし、若冲展でマラソンのように延々と並んだり

清志郎の葬儀に五時間並んだりとひとつのことに集中して時間を使うことに特化する

時期なのか。

 

まあでもこの頃やるドラママラソンは仕事の反発というか集中して過ごす時間の開放と

いうか、そんなようなものでしょう。

 

パソコンやらタブレットをつけて集中する傍ら電話を受け、豆を焼いたり時には

環境映像のように最近ではテレビのワイドショウの代わりに、美しい日本の山という

NHKの番組を流し続けます。

 

この山の映像を見ていると本当に日本の山というのは美しいという感じといくつもの

頂があるということを感じ入り、多くの中高年が山に登る理由も解った感じがしました。

特に中高年が登るのは時間と余裕があるからと言われますが、そんな物理経済的理由だけで

なく、それはやはり成功体験なのではと思います。

頂に立ちその雄大な景色を独り占めするという野望はこの映像美をみるだけで私もその

魅力に駆られ征服してみたいという欲求に駆られます。

ですが、それはやってはならないことだというのはマラソン体験のある人なら解るのでは

ないでしょうか。

まあ詳しいことは省くとして、日々私は今でも一時間は走り続けていますが、昨日のように

雨の中走り抜くと何にもやり遂げてはいないものの沸々と達成感や満足感という感覚が

抱いて寝床についてあとは寝るだけという気分に到達できます。

後は考えていただくとして肝心の走ることについて昨日考えたことを書いておきます。

一昨日から感じたことですが、ここのところの冷え込みでおなかが痛くなり途中で走れなく

なることが続いてどうしてもペースは落ちてきてなかなか完走もままならないこの頃の

走りの中で、色々と対策も考え昨日はどうせジョギングペースならと導入したのが

鼻から呼吸です。これはかつても経験して鼻呼吸の楽さは経験済みなのですが、どうしても

ランペースになると口から呼吸してしまいます。

 

それでいつも口からハアハアといいつつ走っているわけですが、どうせもうジョギングペースなら

今なら鼻呼吸でいいのではと一昨日は途中から切り替えたところ今まで苦しく感じていた体の意識が

一気に解消し、足の回転が体の苦しさから切り離され、そもそも苦しいと感じること自体がなくなり

すごく楽に走れました。

似たような経験は夏の昼間炎天下の中を走る時に感じることがあります。つまり意識が体から離れて

段々幽体離脱するような感じを経験したりします。人間というのは不思議なものでいつも自分という

感じは頭の先からつま先まですべて自分が意識して管理して一体なものと感じているものです。

それが金縛りなどごくたまに意識と体というのは別物という体験をとうして超自我とか超自然的体験など

をして宗教的意識とかに目覚めたり、何か違う人生を意識したりします。割とそんな免疫がある人でも

瞑想とか座禅とか何か違う自分を発見したいという欲求や体験をしてみたいという気持ちを抱いたり

します。

しかし、そんな宗教や哲学的な考察もなくただ肉体と意識というのはこうも隔離して体験できるもの

だというのは簡単に実感できるのです。まあそれが、真夏のロングランだったり、鼻呼吸なのです。

といっても普段から鼻呼吸が普通でマラソンも鼻呼吸で最後まで走れるような人にはこれはまた別な

話なのかもしれません。私は口で呼吸することしかできなかったので意識して鼻呼吸できるように

変更して普段も鼻呼吸するように変更しました。それは寝るときも同じです。普段人は意識して呼吸は

しませんが、そんなベース行動で自分の意識で変えられるのは呼吸だけで心臓の拍動などは意識して

早くしたり遅くしたりはできないのです。好きな時に食べ物を食べ、陽が落ちたら寝るなどすべてが

自分の意識の下で行動しているようでいて実は何一つ自分の意志ですべての体の機能をコントロール

してはいないのです。

その事実を感じ、自分の意識というのが実はほんの幻想なんだという体験をしてそれを宗教的なもの

に結び付けたりしてどこかへ導かれてきたのが人なのです。だからそんな宗教なんてものに走らずに

自分でもっと自分の意識と思考は鍛錬して人に操られてはならないのです。それには多くの哲学者の

残した思考の後を辿るのもいいし、多くの見識を持つのもいいのですが、自分の意識そのものを見つめる

というのも大事な作業です。その一つとしてこの鼻呼吸で走るというのもぜひ体験してみてほしいこと

です。昨日は意識してずっと鼻呼吸を続けて一時間半走り続けた結果、三つぐらいの意識が同時に存在し

それぞれに思考し、同時進行でその会議が自分の中で起きたような体験をしました。さぞよく眠れるのでは

と思ったらいつも電源が落ちるように寝て気が付くと朝という一番望むべき就寝スタイルとは違う複雑な

夜となりました。

当分珈琲をガソリンのように入れる日々は続きそうです。

 

何か頭を深く使うようなときにはブラジルの様な味がよいです。

 

このようにこんな感じなのですが、どんな珈琲がよいかという質問やご相談は

喜んでお受けしますよ。

 

以前頭痛持ちなんだけという人が来て頭痛に効く珈琲をという注文もありました。

カフェインは脳の血管を広げるのでおおむね頭痛にも有効とされます。

ですから話を聞いてどんなことでその人の意識が凝り固まっているのか解き明かし、

一緒に珈琲を飲むことで大概頭痛も治ったりします。

肝心なのはこの豆と押し付けたり一方的になったりしないことです。

まあ気が向いたらそんな珈琲のあれやこれやの話を聞きに来てみてください、

午後はドラママラソンをするでしょうから。

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ゴールデンウィークにやったこと

2018年05月08日 10時15分21秒 | 珈琲

いつも珈琲の袋に貼るラベルがなくなり、アマゾンで注文したところ

なぜかプライムのお試し会員になってしまい、それならばと始めたのは

今まで各有料チャンネルの無料期間でとぎれとぎれで見ていたウォーキングデッド

の見直しです。

 

そんなパソコンで見るドラママラソンというのはとことん疲れるものです。

 

そんな時の癒しとしてやはり珈琲をガソリンのように飲み、合間に『巨匠とマルガリータ』を

読みというのがこの大渋滞の秩父で五月雨のように訪れるお客様の応対をしつつやったこと

でした。

ウォーキングデッドを見つくし、さて次に手を付けたのがグッドワイフです。

 

こういうお気に入りをマラソンのように見続けるとどうしてもこのドラマ果たして続ける意味は

という禁断の問いが頭をもたげます。

 

特にウォーキングデッドなどはひたすらグロテスクで、そんなに返り血浴びたらそれだけで

発症してしまうだろうという突っ込みをしたくなります。それなのにゾンビに紛れるために

内臓や血を塗りたくったりしてゾンビの群れに入ったりして噛まれたり引っ掻かれなければOKという

ルール付の無意味さがにじみます。さらにドラマはギャングの抗争のような様相になり、もはや

ゾンビの中をサバイバルする人間ドラマという当初のテーマとかけ離れたものになっています。

 

つまり、このドラマの存続意味とか世界が突如崩壊した 謎の解明とそのために努力した人間ドラマと

いった本来望まれるドラマ的展開ではなく、ただ暴力とカタルシスのみが残った形でいつ最大の

ライバルニーガンのにやけ面にニックの正義の一槌が下されるかということのみになっており、

そもそもそれが正義で主人公たちが正義でよい人たちという根拠も怪しくなっています。

 

そんな見た後すっきりも気持ちもよくないドラマですが、グッドワイフは見た後なんか得したような

さすがリドリースコットだという感じを受けます。

 

つい先日までdlefeでやっていた続きを見ていますが、それはアリシアの活躍というより

カリンダの最強ぶりが目立ちましたが、それがその後アリシアの独立という不安定な状況で

本来の主役はやはりアリシアという路線に戻ったようです。それがグッドワイフという

題の示すものと内容が違うようにも感じますが、正義と法という意味で見れば現代を

見つめるよい材料になります。ドラマとして日本のものはなんともわざとらしく押しつけがましい

テーマと違い視聴者が見たがっているものを作り手がよく理解しているという違いを

感じます。

 

しかし、このドラママラソンも見たいものが実際あまりないことに思い至り、このまま

会員になる必要はあるのかという疑問が募るだけで自分で自分の時間を少なくしている

現状に気づかされるだけなのでした。

 

五月雨にまた珈琲の癒しを求め注文をいただき試飲をとおし今の珈琲を提示するうち

今月のテーマとなる丘に吹き抜ける風を感じてみたくなるそんな気がします。

最近俄かにマンデリンが品不足となり渇望する声などが上がり始めましたが、

まだまだ各店舗にマンデリンはありますから次の入荷に入ってこない事態になる

まで慌てることはありません。ところが人は何でも先取りしたがるもので、ないと

なると買い集める人もいて無駄な行動と値付けをしているようにも見受けられます。

 

そんな意味ではマンデリンの上位豆であるリントンなどとこれから薔薇の季節には

飲んでみたいガヨマウンテンなど今飲んでみる価値があるかもしれません。

また今日のように五月雨に肌寒さと人恋しさに何を飲んだらいいか迷ったら

試飲に訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

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瀕死の双六問屋に思う

2018年05月07日 09時51分16秒 | 珈琲

毎年ゴールデンウィークの谷間にNHKは思い出したように

忌野清志郎の過去の番組を放送します。

今年はツールド奥の細道でした。

この番組は初回2002年の放送です。

彼が突如50にしてサイクリングに熱中しだしたのはファンも

知っています。

しかし、その原因となった事件まで詳しく知る人は少なく、

憧れの清志郎が自転車に乗っているのでと自転車を始める

人も多くあらわれました。ライブには彼のデザインのサイクリング

ジャージなども売られていました。

 

彼がその自転車に乗ろうと思ったきっかけをより世間に知らしめたのが

この番組ではないでしょうか。

 

番組中彼の喫煙シーンが流れますが、このサイクリングツアー後益々

自転車熱が高まり、禁煙したといいます。それなのになぜという思いが

自然と湧いては消えるテレビでした。

 

そして毎年思うのは、彼は彼らしく駆け抜けていっただけという

その彼らしい行動の痕跡を懐かしむのも未だに彼の楽曲を愛するのも

ファンですが、やはり大事なのは彼らしさであり、それを感じて

確かに清志郎は清志郎と感じるのがよいのではないでしょうか。

 

先日、車のハードディスクに瀕死の双六問屋のテーマがあるのを

久しぶりに聞きました。

驚いたのはその作詩能力です。

瀕死の双六問屋、おいでよベイベ今夜。

この最後の音を合わせるという当たり前のルールが

ちゃんと採用されている作詞作曲家は日本ではまれです。

漢詩にしろ西欧の詩はこの音を合わせるという仕儀を

重要視しています。つまり詩というのは文字で楽しむための

物でなく、吟じられ音として伝えるものなのです。

 

日本の場合、その音についてリズムに乗りさえすればなんでも

よいかのような曲が多いのに対して、基本の作法と音の大切さを

きっちりと表現した人はまれです。

 

双六問屋というわけのわからないものを出して何を言いたいのか

ととかくとそれを問う人の多いのが世の中です。

曲と同時に発表された本は雑誌のコラムをまとめたもので

曲を聞くといつもの自分は評価されていないという嘆きの

ようにも聞けるし、ロックンローラーという生き様のようにも

聞けます。

 

ファンとしてはおなじみなテーマなわけでああまたやってる

という程度の位置づけの曲でしょう。

 

先日いつもと同様、ゴールデンウィーク前にかぐらに行ったとき、

立ち寄り湯で手にした魚沼の飲食店のガイドマップをみて目を引くもの

がありました。

 

ファンなら直ぐに同じ系統の人かという気になる店名がありました。

それが双六問屋です。

ファンなら曲に瀕死とついているので、そんな名前店名にして

商売としてどうなのとどうしても気になってしまいます。

いつか機会があればスキーの折に寄ってみたいと思います。

ファンとしては瀕死とならずに頑張ってくださいと突っ込まずには

おれない双六問屋さんです。

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アカシアの香りに

2018年05月03日 14時44分38秒 | 珈琲

最近の夜のジョギングはお花畑の中を行くような

花の香りが満ちたものになります。

中でもアカシアは甘い香りがして、疲れた時にも

少し癒されて足が軽くなったかのようです。

それともう一つ特徴的な香りがつつじです。

これはクマンバチの香りがします。

その香りとともに思い出す小学校の校庭で

下校時に満開のつつじの植え込みの前で騒いだ

ことを思い出します。

花に思いっきり突っ込んだ友達がクマンバチに

刺され救急車が呼ばれた事件とか。

つつじの香りはクマンバチの香りと頭に強く刻まれたのは

あの事件のせいです。

秩父市内ではいまだに芝桜の丘への案内板が立っています。

とうに見ごろを過ぎているのに未だに臨時駐車場の標識もあり、

がっかりした人はネットに不満をぶちまけるでしょう。

全体的におざなりな対応が目立つこの頃の秩父のおもてなし

です。

昨年は、五月中旬に訪れた人が芝桜の丘の標識をみてわざわざ

行ったけれど何も咲いてなかったという嘆きを寄せましたが、

これはもはや咲いていると信じる方が無理がある例ですが、

市民としては花を見に来て見られなかったとする苦情を

聞く羽目になるので当然もっと真摯な態度でお客さんを

お迎えする意識を持たなければならないでしょう。

今満開のアカシアの花をみても誰も何とも思わないように

何をもって人を感動させるのかはよーく考えてそれに足る

振興というものがみえてないとこんなことになるという

そんな連休中の秩父です。カビチョウのやかましいさえずりを

聞きながら満開のアカシアや新緑の中ジョギングするのは

最高に気分がよいです。三時までは試飲ができます。また

お出かけください。

 

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風に吹かれて

2018年05月02日 13時56分06秒 | 珈琲

今月のブレンドは『颯々』です。

 

この季節のイメージといえば松林に吹き抜ける風であり、この時期に掛けられる

茶室の掛け軸の文字を見るたび、いや正にという気持ちにさせるものがあります。

そんな風に吹かれるイメージのさわやかな珈琲をと言葉で説明するのは簡単ですが、

実は言葉からイメージするほど簡単なことではないのです。

 

更に珈琲豆で表現しようとしているのはたださわやかな風に吹かれる境地ではないのです。

 

誰もがこの時期感じる風の心地よさとともにこの初夏に至るほんのわずかな季節に青春の輝きとか

輝く季節とか一番いい季節だとか言いがちなのですが、しかし、その風に吹かれる気持ちと

吹かれた結果を問う最初の颯々という言葉の入り方としてはあなたの表面や外向きのところであり、

実はそんな簡単なことで悟りの境地だとか仏の心と感じてはいけないという師のメッセージであり、

ざわざわとした風の音が実は心を落ち着けるという反対の物を出してきているわけで、珈琲でこの感じを

どう表現するかというのはかなり深いところに踏み込んで珈琲の深淵の話をしないといけないことと

なるのです。

 

それでももっと簡単に字面と音でさわやかな今の季節の風をイメージしましたと簡単に済まして

いるようでいて飲んで感じていただいた方から改めて颯々の意味を問われてそれではという感じで

更に解説する世界観に松林颯々という導入の意図と禅語が求めた問題意識を吟味することで

珈琲があらわす世界観も同様に感じていただくことができると納得される方もいてこれはこれで

どこまで感じていただけるかはその人次第であり、イメージが浮かぶこと自体に感じることの

面白さとか季節感とか自然感とか生命や宇宙やら思うことにより理解というものにつながるという

経験をされるそのものが重要と考えます。

 

今時の風を新緑の丘に立ち受けるさわやかさをイメージして飲むもよし、逆にこのブレンドを味わい

今時の風を感じに外に出てみてもよいし、もともとの禅語の意味を調べるもよし。

その境地に思い致すときとリンクしていつも珈琲があると気が付き、風のイメージと悟りの境地に至る

いざ参れという掛け声程度のことにでもなればよいし、常に風があるという次の発展に思いを馳せるのも

良いのです。

 

 

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