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↓記事の最後にこんなことを掲げているからでしょうか、
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思わぬところからのお酒関連で問い合わせやご相談などがあるのですが、こちらとしても色々と勉強になることも多いです。
昨日も、とある出版プロダクションの方からの問い合わせの中でやり取りしていて、鎌倉時代の「沽酒の禁(沽酒禁制令)」について話題になりました。
これ、鎌倉時代に酒に酔ってのトラブル防止等を目的として、販売を禁止するとともに、鎌倉内の民家の酒壷を1家に1壷のみ残し、残りをすべて破壊したという政策なのですが、やり取りの中で「破壊された酒壷の数は37,247個」というのを聞きました。
「へぇ~」ですね。
「1家に1壷のみ残し破壊」とか「たくさん壊された」というのは聞いていましたが、その数そのもの(特に1の位まで)は聞いたことがありませんでした。
「37,247」という数、理系的にはちょっと考えて「ややこしい数字※」というのは、さておき、よく一の位までわかっているものですよね。
※37,247って、割り切れる数字がなかなかなさそうで、素因数分解をしてみると「7×17×313」となります。
データの出元がどこなのか、聞きそびれたので、ちょっと調べてみたら、原典はわからなかったのですが、数字を出しているものはいくつかありました。
月桂冠さんのホームページでは
1252年(建長4年)になると、鎌倉幕府が「沽酒(酒あきない)の禁」を発令している。この時は一軒に一壷を残し、鎌倉中で約3万7千個もの酒壷が打ち割られたという。
これは概数ですね。
新潟の菊水さんのホームページにも「日本酒物語」として出ています。
折しも建長4年(1252)大旱害になったのを機に、幕府は「沽酒(こしゅ=酒の売買)の禁」を出して、鎌倉の民家にある酒壷を1戸につき1壷だけ残して全部打ちこわすよう命じました。このとき、民家にあった酒壷は合計 37,247壷あったと言います。
おっと、一の位まで出ていますよ。
蔵元さんの組合「酒造組合中央会」の広報サイトの年表にもありました。
沽酒(こしゅ)禁制、鎌倉の民家の酒壺3万7274口を破棄、諸国市酒の停止
これも一の位まで、ですが、見た瞬間「これ偶数じゃん?」。
確かに「37,274」です。先ほどの「37,247」とはちょっと違います。
もうちょい調べなきゃ。
すると、醸造に関する論文とかが出ている「日本醸造協会誌」のコラム的な記事に言及例がありました。
鎌倉時代の1252年,時の為政者・北条時頼を首班とする幕府は,酒の販売を禁止し(沽酒禁制の下令),一家一壷のみを赦し,残りの甕は総て破壊してしまった。その数,鎌倉 だけで37,274個の壷を破壊したという。
こちらでも偶数の「37,274」です。
この記事は2007年なので、見た中では一番古そうですが、コラム的な記事なので、個々に出典がないので、その先に遡るのは難しいんですよね。
お昼休みも終わってしまうし、その先の探索はまた明日。
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