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せっかくの週末ですが、はっきりとしないお天気。
ジョギングも雨が降ってきたら走って戻れる(←いずれにせよ走ってますが)範囲でウロウロということで、めぼしいネタもなし。
そんなわけで、写メのストックから、先週立ち上げたカテゴリ「佃煮紀行」を埋めてみましょう。
前回「その2」でご紹介した、上野の鮒藤商店さんですが、その際も書いたように「先代が奉公先の新橋の『海老屋』から独立して創業」ということでした。
「『海老屋』といえば吾妻橋の海老屋」「『新橋』といえば玉木屋」で、今日は後者の新橋の玉木屋さんをご紹介。
新橋駅を汐留方面に出て、銀座通りに入る角に、立派なお店を構えられています。
創業は江戸時代の天明2年(1782年)ということですから、「天明年間」と謳っている)ウチの創業と同じ時期。
「その2」の鮒藤さんもそうでしたが、ご縁ですね。
店内に入ると、デパートに売っているような(実際銀座三越で売っている)きれいなパック詰めの佃煮と、昔ながらの量り売りのものがあります。
店内にはなぜか「アインシュタインのお気に入り 細切昆布」というPOPがありました。
(著作権が微妙なので、「イラストや」さんのもの)
彼の来日時、確か小石川植物園で歓迎会があって、帝国ホテルに泊まった、というのを聞いたことがありますから、帝国ホテルから銀座への散策などの際に立ち寄ったのでしょうか。
お店の人によると、塩辛いのはどうも、という場合にはマイルドな「白佃煮」というのと「ぶどう佃煮」というのがあるそうですが、買い求めたのは(定番?の)普通の佃煮。
実際には定番でも甘みが結構強く、「その1」でご紹介した鮒佐とかと比べると塩辛くなかったです。
そういうこともあって、「アインシュタインもお気に入り」だったのかもしれません。
それにしても、アインシュタインって、親の世代の物理学者のその先生(要は湯川先生とか朝永先生)の世代のそのまた先生の世代(長岡半太郎とか?)、つまり自分からは3代前の曽祖父の代ですから来日もかなり前のはず。
調べてみると1921年で、ちょうど100年前。
100年間、佃煮屋さんでそれが代々伝えられているんですね。
良い話ですね。
家族のどなたかが物理学を志したりするのかなぁ。
【週末ジョギング・江戸東京佃煮紀行】
その2:東上野「鮒藤商店」
その1:浅草橋「鮒佐」
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