きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

次は『無償の愛』

2006-08-27 | 日記
瀬戸内寂聴さんの本を読んでいたら『無償の愛』と言う言葉が出てきた。無償の愛と言うのは、仏様の「慈悲」に近いもので、相手が何をしても許せる大きな『愛情』らしい。「私はこれだけ尽くしたのだから、あなただってこれ位してくれてもいいじゃない。」と言うのは、無償の愛ではないのだそうだ。

分かりやすく言うと、それは親→子の愛情のようなもの、尽くすだけ尽くして相手に見返りを求めない愛なのだそう。(尽くすだけ尽くすと言っても相手が窮屈になるような尽くし方は論外らしい)
そして、男女の恋愛でもこう言う形の愛情が存在するそうだ。

このくだりを読んで、私は宇野千代さんを思い出した。たしか4度目の離婚は宇野さんが60歳半ばくらいだったと記憶する。相手の男性はうんと年下の人で、他に好きな人ができてしまい、宇野さんは彼の新生活のために一緒に荷造りをして、送り出したのだった。。。。(記憶違いだったら修正願います)

「そうか!それが無償の愛だったのか!」

この時、私は次に恋愛することがあったら、この『無償の愛』にしようと決心した。
・・・と書くと、ここを読んでいる95%くらいの人に「アンタにはムリだろう」と言われそうな気がするが、どうも私はそんな気がしない。やはりそんな究極の形があるように思う。いや、恋愛って最初はそんな形で始まるものなのではないか?それをずっと持続していけば、たどり着きそうな気がするのだ。

4度の離婚と言えば、五月みどりさんも確かそうだった。字面だと「4回離婚?何が原因だ?」と失敗の人生のように思われがちだが、私はそうは思わない。きっと宇野さんも五月さんも、最後はこの『無償の愛』を体験したに違いないと勝手に想像する。そして、自ら彼のために身をひいたのだ。


ここまで書いて、自分の心境が変化するのに驚いてしまう。
ついこの前まで「結婚もせいぜい3年、その後はお互いのボロが出てマンネリ」と思っていたので、恋愛したってまた同じことの繰り返しだと思ってた。でも、たぶんそれだけじゃぁないんだろう。だとしたら、期待くらいはしてみてもいい。そう思えるようになったのは、コメントをいただいた方々、あるお友達の話・・・etc。

今まで書いてきたブログもかなり断定・偏見・曲解な部分が多いのだけど、訳あり意固地になっている所もあるからしょうがない。それがその時の気持なんだし、それをこれからの20年くらいで、一つづつパチンパチンと「あの時はこう思ったけど、やっぱりこうだったわ」みたいに色を変えていくのも面白いような気がする。

そう考えていくと、これから生きていくって楽しい。
まだ20~30年ある事を思うと、今までブログに書いてきたことを私はこれからパチンパチンと訂正していくことになるだろう。そう思うとワクワクする。


そして、肝心な『無償の愛』であるが、今までの私は「そんな相手、現れっこないよ」とほぼ思っていたけれど、今はフィフティ・フィフティ程度まで期待し始めている。でも、この賭けがはずれて、巡り会えなくても、それはそれでいい。そんなものを信じれるようになっただけで、それでも何かが変わってきたような気がするから。

これからの20年、今と同じ仕事をして子供を送り出して・・と言う生活は続かないだろう。たぶん、どこかでまた一波乱あるだろうし、心配も焦りもするだろう。でも、そうなるからには、一つや二つは神様がプレゼントを用意してくれるんじゃないかな、と期待してたり、それがその『無償の愛』だったらなぁ~・・・・なんて思ってしまうのだが。

・・・・どうでしょう?!^^;