きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

Uちゃんの家に行く

2019-05-06 | 日記

今日こそ家事をするぞ~~!と10連休も最後の一日。
なのに、ブログを書いていたりして。(^_^;)

昨日はUちゃんの家に遊びに行った。本当は「ランチを食べてからUちゃんの家に行く」つもりだったのに、Uちゃんが「お昼も用意してあるから私の家に行こう」と言う。

Uちゃんの車はかわいくてピカピカで新車のようだった。みんなコミコミで100万だと言う。この前200万という新車の見積もりを見ていたから、2万キロでこんなにきれいで100万だったらいい買い物ではなかろうか、とにかく黄色がかわいい。


テーブルには肉じゃが、ひじきの煮物、きんぴらごぼう、おいなりさんも皮から煮てあって中のご飯は紅生姜が乗っていた。(そう言えば弘前でkekeと紅生姜のご飯のいなり寿司を食べたなぁ~)
「おみおつけは、これから作るね」と言って、ニラと卵の味噌汁を作ってくれた。

「今の若い人はおみおつけって言っても分からないんだってね。」
そう言えば、我が家もkekeに味噌汁とは言うけど、おみおつけとは言わないかも?!

その間に私はついつい家の中を見てしまう。
相田みつをの言葉が小さな額に入っていたり(お母様が好きだったのだとか)、両親のものも片付いてないとUちゃんは言うけれど、モノが丁寧に整って置かれていたり、埃が落ちていない床、「このカーテンレール、こだわりがある感じだよね」というと、リフォームの時にお母様が選ばれたそうだ。

テーブルも我が家のようにペラッペラなテーブルではなく、重厚な感じ・・・「これなあに?」と指差すと、下にコンロがついているテーブルなのだとか。

「いつも1人だと作らないんだよね、久しぶりに作ってみたからうまくできているかどうか分からないけれど。。」
とUちゃんは言うけれど、どれもお袋の味でおいしかった。たくさんあるからどれもこれも食べてしまった。

「(近所の人に)大きな家に1人で住むなんて私には考えられないわって言われたけど、しょうがないよね、アハハ」とUちゃんは言うけれど、私も違う意味でそう言う気持になった。G子のように私は淋しい淋しいと言う友人だったら、こういう気持にはならなかったと思う。

せめてお兄さんが改心して戻ってきて、二人で仲良く暮らせたら・・・・

でもそれはあり得ないことだし、また大きな困難を引き起こすことになるのだろう。(詳細は語れず・・)

Uちゃんの近所には大きな公園があり、2人で散歩した。この時期だったので子供や親子連れが多く、もうすぶ濡れで水遊びをしている子もいる。公園は賑やかで、平和で、それを遠くから見守るママさんパパさん団体・・・・昔、kekeが野球チームに入っていた頃・・・あんな頃もあったな、あんなに自分らも若かったのかな?・・・今から思えば。。。

今たまたま借りているのは下重暁子さんの「極上の孤独」という本だ。何となくタイトルに惹かれて借りてみたけれど、途中飛ばし飛ばし読んでいると、どうやら下重さんは旦那さんがいる人のようで、それが分かってからイマイチ読む気がしなくなった。

私は孤独じゃない。今はkekeがいるから。
一緒にご飯を食べてなくたって、同じ部屋にいなくたって、一つ屋根の下にいる。
帰ってくれば靴がある。
風呂に入るフタの音。
食事を作れば食べてくれる人がいること。

それは孤独ではないのだ。(G子もそう言っていたし。)
それはただ自由のおいしいとこどりではなかろうか。

年配の方の本をろくに読みもしないでケチをつけるのは超失礼だとは思うが、その「孤独」とは上から目線なような気がしてしまい、とにかく今は読む気になれず。

私もやがて孤独を知る日が来るかもしれない。その日にならなければ孤独がどうかなんて分からない。
人は孤独を知るから、誰かといることを心から大切にできるのでは。。。
今できることは、今近くにいる人を大切にすること・・・。

そしてUちゃんの家でお茶を飲み、帰ることにした。
Uちゃんのご両親の写真の表情がとてもにこやかで楽しそうだったら、Uちゃんと3人で出かけた旅先でUちゃんが撮った写真なのだとか。
お母様宛の年賀状の束。たくさんある食器。
おみやげ品のようなネコちゃんの箸置きも、その一つ一つがこの家の中で存在しているのだった。

「2階が空いているから、今度は泊まりにおいでよ」とUちゃんは言う。
そして、また会おうねと別れた。