昨日の電車では10年以上前の息子のことを思い出していました。
当時、息子は「自殺をしたい」と言っていました。その意味が今になってやっと分かったような気がします。
例えば、私がこの先60を過ぎて定年になったとして、その後年金だけで暮らしていけるのでしょうか。今まで接客も営業も、肉体労働もしたことがありません。事務職は人気がありますから今の年齢で見つかるかどうかは分からないでしょう。
新しい職場を探して自分なりには頑張るでしょうが、そもそも記憶力も自信がなく任務が果たせるかどうか分かりません。自分にできないこともいっぱいあるでしょう。仕事を探しても探してもみつからないかもしれません。
それでも働け、何が何でも働かなければならないと言われたら・・・・「死ぬ」という選択肢も頭を横切ると思うのです。
当時、息子はそういう状態だったのではないでしょうか。
だから本人は死にたかった。死にたいほどそれが嫌だったんです。
それはマッチポンプなんですね。
片やこうしろ、こうしてみろと言い、それができないから死にたいと言ってもそれを許さない。
自分の身に置き換えてみれば分かるように思います。
絶対にしたくないこと・できないことをやれと責められて、嫌だから死にたいと言っても、それを許さない。
本当は相談できればよかったけれど、息子が自分の気持ちを述べようとしても、私は大学は出なければいけないとそれをただ正論ぶって押し付けるだけ・・・・そんな親子関係だったと思います。
どうしても嫌なことをやる必要はない。
息子が働くことができなければ、私が働けばいい。
それでも、生きていてほしいと思うのです。それは甘やかしとは違います。
生きていれば・・・また何か楽しい事も見つかるだろうし、思わぬ良い展開も起こるかもしれません。
ただゆっくり呼吸をして、自然の音を聞いたり、緑を見たりして、心が回復するのを待っていれば、きっと何か現れる・・・・そんな風に思えるようになりました。
自殺は良くないと言うのは、日本全国でほとんどの人が思っているけれど、それを押し付けていくだけでは、死んでしまう人は後を絶たないのでは、と思います。
もっと優しい気持ちというか、別に無理をしないでいいんだよ、もう頑張らなくていいんだよ~という、もっと傷ついた人への尊重が大切なのではないかなぁ。。。(と、どの口が言うんだか・・ですよね・・・)
また「読むテレフォン人生相談」のサイトをチラチラ飛ばし飛ばし読んでいたら、加藤諦三さんが面白い事を言われていました。「~~しなければいけない」と思いがちな人は、恨みを心に抱えているそうです。
それを読んで「あぁなるほど」と。私もめちゃめちゃ元夫や世間にも恨みを持っていたのは過去のブログの通りです。
だから心のどこかで「頑張らなきゃいけない」「~~~しなければいけない」と常に思いがちなのかもしれません。
その詳しい心理は想像するしかありませんが、人や世間に恨みがあれば、何か頑張って力で見返してやろう・・・そんな気持ちが無意識に働くのかもしれません。
それが家族や子供にも向いてしまうのかもしれません。
同じように頑張らなきゃいけない、同じように・・・・と。
でも例えどんなに酷いことをされても、そういう人間関係を持ったのは自分なんですよね。結婚も、恋愛も全て自分が選んだことなんです。離婚するそのことだけを取り上げて全て人のせいにはできません。
もっと深い深い根っこでは、私は親から愛されていないとずっと思っていました。親もまた私を頑張らせて結果だけに一喜一憂して、そういう評価しかしてこなかった部分もあったかもしれません。だから潜在的に自己評価が低くて、いつも疎んじられるように仕向けてしまう。
でも、もうみんな全て過去のことです。
私が完璧になれないように、両親だって私に完璧である訳がないんですよね。
それを全て、全て認めて、もうこれ以上頑張るしかないようなしんどい人生は(すぐには無理でも)フェイドアウトする方向に行くつもりです。
そして私はもう大人だから、誰の助けもいりません。
昨日撮ったバラ(バラの名前は分かりません)
尊くんはいい子に育つと思います。そのうち反抗期も来ると思うけれど、いろいろあるかもしれないけれど、しっかりした青年になるように思います。
信じられないけれど、そのうち尊くんがお父さんをいたわる日が来るんですよ。今はぜんぜん想像もつきませんね。^^
気づきが、いっぱい有りました。
ありがとうございます。