きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「あなた次第でこの世界は素晴らしい場所になる」/ひすいこたろうさん

2024-08-24 | 読んだ本

あ~~、やっと土曜日になった~\(^o^)/
本当は「やらなきゃならないこと」が考えるとたくさんあるのですが・・・「息をしなきゃ」「食べなきゃ」「トイレいかなきゃ」以外はどうしてもやらなきゃいけないことはない・・・また明日考えよう!

今日は今まで本を読んでいました。
「あなた次第でこの世界は素晴らしい場所になる」/ひすいこたろうさんの本はもう3~4冊目ぐらいになると思います。私は一時期、小林正観さんの本にはまっていましたが、ひすいさんの本には小林正観さんの話が必ずと言っていいほど登場するのです。だから余計同士のような感覚になってしまうのです。

最近、お米のことを始め、総裁選とか鬱々するようなニュースが多いですが、とりあえずこの小さな世界(親子やお友達)の世界で今まで通りに生きてこうと思う私です。kekeいわく、お米不足もだんだん解消ぎみという見方もあるとかで、まだまだ捨てたものではないのかもしれません。

で、こちらのひすいさんの本に「この人はしんどがるのが趣味なのだと思う」というのがあり、つくづく「その通りだな」と思いましたよ。

身近な人で、ここしばらく大変な仕事がなかったのです。そういうプロジェクトが入るとそれこそ、休日も仕事しなければならなかったり、帰るのが遅くなる日が続いたり大変なのだそうです。だから最近は「帰れるうちに早く帰る」とその人は言い、社長がいない時は30分1時間と早めに切り上げて帰っていました。
そして、また大きな仕事をすることになり、「今まで早く帰っていたから、これから頑張るぞ」となるかと思いきや、今まで早く帰っていたのがいつの間にか基準となり、起こること起こること全て不満な態度。。。
「本当は~時に帰るのが当たり前なのに、自分は損してる」みたいな気持ちばかり。(しかも私の居る時間には帰ってくるのに)
そうなってしまうと、始まって目に見えることがみんな不満になってしまうようです。


私自身もそうです。
人と比べて、不満だらけな考え方もしていました。いつも自分は苦労ばかりだと思っていました。
ある日、小林正観さんの本で「ありがとうと何万回(数字はもう忘れた)言うと言うだけで、やがていいことが降ってくる」と言うようなことが書いてあって、当時息子のことで悩んでいた私は「無料でできることだし、やってみよう」と思って、あることあること全て「ありがとう」と思うようにしたのです。

それが功を奏したのかどうかは分かりませんが・・・・・・なぜか息子が気がついたら立派な青年になっていました。親バカかもしれませんが、私よりずっと常識的でマトモな息子です。「ありがとう」と毎日言っていただけなのに、本当にそうなってしまったのでした。
(もっとも今の息子が正しくて昔の息子が間違いだというのも固定概念です。)


私は理屈好きなので考えます。
結局「ありがとう」と常に思うことで、不平不満が消え、私が不平不満の発想をしなくなったこと(頑張って成果を挙げるのではなくその人なりに進めばいいと言う発想)で、息子が生き易くなったのかもしれません。

不平不満ということは、成果主義的発想なのです。
私が思い出しても、不平不満を持つ人は「努力家で優秀な人」が多いです。共通するのが「自分はこんなに努力して優秀なのに報われていない」という気持ちなのです。それが不満につながっていきます。

それはたぶん「ありがとう」と言う感謝の気持ちとは相容れぬものかもしれません。
自分の目の前に起こった出来事を不満に感じるのか、それを裏返してでも「ありがとう」と思うところを見つけるのか。
たったそれだけでも、その後の展開は変わって行くかもしれません。
ひすいさんの本にもありましたが、「不機嫌は(伝染することで)最大の罪になる」すなわち、「自分がご機嫌でいることは人類に最大に貢献している」ことになるそうです。

私が至らないこともありますが、「努力して頑張っていた」結果の賞賛は永遠には続きません。また更に努力をして頑張らないとそのポジションは続かないからです。自分がご機嫌でいることは、無理して頑張ることではなく、自分の内なる声を聞き、それを許し肯定することではないでしょうか。。。

最近はそう思うこともあって、頑張ることや、努力することとも少し距離を置いています。



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