きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「がんばらない、がんばらない」/ひろさちやさん

2024-08-31 | 読んだ本

昨日は腹が立って夜の写真もない。
でも作った。昨日は初めてたけのこの代わりに、じゃがいもでチンジャオロースを作った。「おうち中華」という本に「じゃがいもで作ったら孫が喜んだ」と書いてあり、レシピはメモしていなかったが、いつもの水煮のタケノコの代わりにじゃがいもで作ってみると、たしかにこれはいい。じゃがいもはつい買ってしまい冷蔵庫に余りがちなので、その消費にもなる。

何に腹を立てるかというと、会社でことあるごとに「こうすればいいのに」とケチをつけてくる人がいるからだ。それが1日に1回2回とかで的を得た意見なら「これから気をつけなきゃ」と思うのだが、逆にしても、結局はケチをつけてくる。つまり私が気に入らないから、あれもこれもケチをつけてくるのだ。

昨日も契約が保留になってしまった案件があって、私は一度作った請求書のファイルを残しておくと、一度出したものだと間違える可能性があると思って消した。それを「消さなきゃいいのに。」
もう全てこんな感じ。これ、例えそう思ったとしてもわざわざ口に出して言うことだろうか?
そして、それを他の人がいても平気で言うから、他の人からもコバカにされる雰囲気になっている。

「消さなきゃいいのに」というけど、消さないで間違いがが起きたら「そんなの残しておくからだ」と言うのは火を見るより明らか。本人は自分が頭がいいと思っているけれど、頭がいい人がこんな発言をするだろうか。
ほんとにやってらんねーよ、と思ってブログに書こうと思ったが、その前に眠くなってしまった。

今日は土曜日で、寝っ転がりながら「がんばらない、がんばらない」という本を読んでいたら、阿修羅という話が書いてあった。この阿修羅とは、本来は正義の神様だが、あまりに正義にこだわりすぎて魔物と認定されてしまったそうである。そして著者のひろさちやさんによると、阿修羅ではなく人間になる方法は相手に少しだけいたわりの気持ちを持つことだ、と書いてある。

そうだ、相手にいたわりの気持ちがないから、あんな言い方になるのだろう。
そして、私もそれを非難しかしなかったら、彼と同じだ。私はちょっとだけ、いたわりと思いやりの心を持ってみようと思う。
この本には「怒りを消し去ることは所詮不可能」と書いてあり、怒りはあってもいいけれど、ほんのちょっと思いやりをもつことがコツのようだ。

気がつくと、うちの人ってお客様とか上司とか上の人には気遣いするけれど、下の人には横柄なのだ。あれはずっと前からおかしいと密かに思っていた。
上の人を大切にできるのなら下の人にも気配りできるはずだし、例え立場は上下関係でもちょっとした言葉や態度で思いやりを表現できるのに、とずっと思っていた。下の人間に優しくすると「なめられる」と思い込んでいるみたいだ。
男性社会特有の現象かなぁと思っていたけれど、そうでない人もいるみたい。

ま、私はちょっとのいたわりや、思いやりを持ってみようと思う。
怨憎会苦という言葉もあるぐらいなのだから、この程度のこたぁしょうがねぇ・・・・。



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