きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」/柿内尚文さん著

2024-09-21 | 読んだ本


今週は準備が足りずお弁当も同じものばかりになってしまった。(-_-;)


カレーの残りと共に開封。^^
みかんのお酒は前にも飲んだことがあるけれど、こちらは微炭酸。昔懐かし缶詰のみかんの味がします。
甘くておいしい、お酒が入っている感じがしないので飲みすぎ注意。炭酸は注目しないとほとんど感じない程度。
もったいないから半分はまた後日飲むことにした。(ビールと違ってとっておけるのでコスパよし♪)

今日は朝方涼しくて気持ちいいですね^^これからはまた暑くなりそうだけど。。。
この3連休は彼岸花で忙しいと思いきや、暑すぎてまだ満開になってないところが多いようです。来週は来週で行きたい場所があったので、どっちにするかなぁ・・・・。今年は、今月最初に撮った彼岸花で終わってしまうかもしれません。

花は天気もあるので、その時撮っておかないと撮れない・・・後でいいやと思ってもその「後で」撮れるかどうか分からないものだな、と今回気がつきました。最近昼休みに少しだけ散歩を始めて、足元の花をみながら「明日はカメラ持ってこようかな」と思うのですが、放置したまま金曜日を過ぎてしまいました。たぶん来週は無理でしょう。。。そういうことが多々あるんですね。


そんな今朝読んでいた本です。
「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」/柿内尚文さん著



今、時間が足りない、もっとあれもこれもしなきゃいけないのに・・・そのような方のために時間の使い方を解いた本です。^^
ここでは時間を4つの時間(幸福・投資・役割・浪費)に分けます。
幸福の時間、或いは投資(資格所得など将来のための)の時間にすると満足感が高まるが、一般的に役割の時間(母として妻としてなどやらなきゃならない時間)が多いので満足できない。(浪費はゴロゴロしたり無意味に過ごす時間のこと。←幸せに感じられればそれなりに意味はある。)

役割の時間をいかに減らして、(他人ができることは仕事を振ったり、やらなくていいことはやらない等)、幸福の時間を増やす。
たとえ役割の時間であっても、それが幸福の時間や、投資の時間に変わるように自分の受け止め方を変える。
             :
そのようなことが理路整然と書かれているという印象です。(^_^;)


この本の中で(本の本筋とはそれると思うのですが)、長続きする幸せと、長続きしない幸せというのがあると書いてあり、周りの人と地位や名誉、成功とかを比較して得られる幸せは長続きしない、長続きする幸せとは自分が評価できる幸せな状態にいるということだそうです。

そう言えばたしかに、大金持ちで車でも何でもすごく高いものを買う人はそのゲットした幸福は長くは続かず、また次に何かを買い求めないと気がすまない・・・というのがありますね。頑張っている努力屋さんの友人もいたけれど、何かそれと似ているように思います。

私自身がナマケモノだから、そういう頑張り屋さんに共感できないのだろうとずっと思っていました。頑張りすぎる人って「努力してるから評価されるのが当然よ」という雰囲気があって、どこかナマケモノに対して上から目線的なムードを感じてしまうというか・・私が言うのはおこがましいけれど感謝の気持ちが薄いような気がするのです。(私自身が頑張ることができないネタミももちろんあるでしょうが・・・)

比較競争して育ってきた方にありがちなのですが、競争に勝つことが目的になっていて、いつも人と自分を比べている。人生が競争の場になってしまっている。私もそういう風に育ってきたから、人生が競争の場になっていて、いつも周りと比べてはへこんでいました。今でもそれが完全に無くなった訳ではないけれど、あの頃は「とても生きるのが辛かった」です。(byあみん)
自分がそういう部分を持っているので、頑張っている人を見ると(自分も頑張らなきゃいけないのでは)という気持ちがむくむく起きてきて辛くなるんです。

そういうことにだんだん気がついて、インスタもやめようかと思ったことが何度もあり、その理由でフューチャー系のハッシュタグは今はお休みしています。選ばれてうれしいということは、選ばれなきゃいけないというメッセージを自分に無意識に与えてしまうことになり、写真を撮ることがどんどんつまらなくなってしまうからです。私の性格に合わないように思ったのですよね。

それからこの本に「グチが多い人は他人軸で生きている」という内容があり、これもその通りだなと思いました。
この本の例として、例えば電車の中で隣の人のイヤホンの音が気になる場合。
「なんでこんなに音漏れさせるのだ?」と考えるのが、他人軸で生きている人。
「この状況で自分がイヤな思いをしないようにはどうしようか」と考えるのが自分軸で生きている人なのだそうです。

これらは一つにつながっていて、他人軸(他人の評価)で生きている人は、努力が成果として出なければグチになりやすく、努力が成果として出ても(また他人と比べて勝ち上がることを目的とするので)、その勝ち得て得た幸せは長くは続かないように思います。
幸せの青い鳥ではないけれど、案外自分の近くに幸せは転がっているのではないのかなぁ・・・・。

結局、この本でプリンをいま食べるか、ガマンするかの答えは最後になっても出ていません。
今食べて幸福の時間を持つか、ダイエットのためにガマンする(投資の時間)に変えるのかは本人の価値観だからです。



最近、自分は「勘に頼る」ということをよくしています。
今日どこへ行こうか、何をしようか、カーテンを開けて空を見て決めたりしています。
理詰めで、こうだろうああだろうと考えると(その通りにいかなかった場合)グチになりやすいけれど、「勘で決めた」ことならば運任せで、その先にラッキーなことなど起こりでもしたら、神様が味方してくれた!とまで思いが発展します。うまく行かなかったとしても、ただその日は勘が働かなかっただけ。誰のせいでもありません。

例え「やらなきゃなー」と思っていたことができなかったとしても、勘でそうなったのならOKなのです。^^
ということで、今日はまた、うだうだ過ごすことにしましょう。^^



2 コメント

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毎日が (mako)
2024-09-21 14:44:43
勘です^^;

だって計算通りに行かない時は、どこでどう間違った?などと自分の愚かさばかりが目立って^^;
かと言って、のほんほんとしているようで実は勘を働かせていて勘が案外的を得ている時は良かった~^^v
例えば、忘れ物して取りに戻った時間がどれだけのロスをしたかと思うよりも
このロスタイムがあったからこそ好きな鳥さんに出会えたと想うことにしたり。
この前ね、翡翠を撮りにいって、先輩さんが翡翠を見つけてあそこにいるけど遠いのよね、「あなたのその望遠では距離が足らないから無駄よ」って言ってるように聞こえて^^;
実はその方のより望遠もあるし機能も備わったカメラなんです、(野鳥)。
私はそんな顔もしないし、黙っていますが他のカメラマンさんはご存知です。
先に帰られたバーダーさんが「今出たよ、ほら、〇〇さんが立ってるから判るよ」って教えてくださったから来たまでで、決して邪魔をする積りも無ければ一緒に付いて回る気もないんですが、教えてくださったバーダーさんには色々カメラのことで教えてくださった経緯もあって従った迄なんです。
で、帰ろうとしたら「待って!」とおっしゃるので、動かないでという意味ですね。
私はその日、既に午前中に海岸で海鳥に遊んで貰ってたから、その帰り道で寄ったまでで、そうそう執着心もないのでした。なので、反対のコースから速やかなにそこを後にしようとしてPの直ぐ近くまで来た時に、何やら合歓の木に入ったんです。
コサメビタキかなぁ~地味な子だし。
動き物にはとっさに反応してしまうので何でもいいから撮っていたんです。
家に帰って画像を整理していて、みたことないし、何かな?・・「エゾビタキ」って確定したんです。胸の縦模様から。
で、へ~って感じでインスタにポストしていたら、何とこの界隈のバーダーさん、しかも大御所さんからすれば、レアな野鳥で、しかもあの場所に現れるのは初めてのことだとか。
なので、翌日行って私の写真の枝ぶりから同じ位置を探しても、蝦夷ビタキどころか何も入ってこなかったとか。
という話がありました。
なるがままに行動したらそんな良きタイミングにも恵まれて^^v
「なるがまま」に行動したらそんなこと^^v
で、その女子バーダーさん、悔しがっていたそうですよ。
だって、ここに居たらいけない雰囲気に従ったまでですよ。「あなたのね」は口にしませんが^^v
天は私の無欲にちょいと恵みをくださった感じでした。
かと言って、気合い入れて行ってはみたものの全然ダメだった~という日もありますね^^;
景色はそこに行けばありますが、生き物はそうではないのでそこが面白いところです。
「うだうだ」は、明日への活力と思って過ごすこともありだと思います。
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>mako さん (sake)
2024-09-21 22:57:18
>毎日が... への返信

おぉ^^そのようなことがあったとは。
そうそう、私も最近ロスタイムがあっても「そういうめぐり合わせで何かに出会える」と思って動いています。

今日も花火大会に行って、急に雨粒が降ってきたので、一度電車に乗ったのですが、また止んだので後半、思いも寄らぬ場所で見ていました。
昔の自分だったら「あぁ~そのままいればよかったのに」と思ったのでしょうが、最近は「それでも後半は見れたからヨシ」と思えるのです。
やっぱり考え方ひとつなんですよね。^^
確かにあまりにカメラに熱心な方だと、近くに寄れないムードがありますね。
鳥ならなおの事そういう方もいるかもしれません。
でも、悔しがるゆうても、そういう運命だったのだから仕方ないですよね。頑張るより気軽に構えた方が偶然に出会える可能性は高いかもしれません。
そういうのは理詰めではないように思います。^^ほんとほんと無欲に天の恵みってあるように思います。
その場に初めて目撃するようなレア野鳥に出会えるなんて最高ではないですか。

makoさんはいつも前向きで楽しそうに写真も料理もされているので、友達もいっぱいいて見習いたいところがたくさんあります。^^
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