MEGUちゃんは20代で会社勤めをしていた頃の友達。
ひとり娘は中学受験を控えた小学6年生だ。
年に2~3回メール交換だけど、心は昔のままつながっている・・・と私は思っている。
私は先々月だろうか、久しぶりにメールを書いた。
kekeが学校を辞めたことや、今は家にいることを書いた。
しばらくしてからMEGUちゃんから返事がきた。
娘が体調が悪くて小児科に連れて行ったら、精神的なものではないかと言われたと言う。
「自分の要領が悪くてスケジュールがこなしきれてないのかも」と書いてある。
私はそう言う問題だけではないのでは?と思い、kekeのことを更に詳しく書いた。
「私が大学卒業だけが全てみたいな考え方をして(与えて)いたから、それが無くなった時にどうしていいか分からなくなったんだと思う。そう言う一つきりの価値観を与えたのは私が悪かった。」
そこだけはハッキリ書いた。
そして「今は5年でも10年でも待つつもりでいるんだよ。」と書いた。
娘さんの事、もう良くなっているといいけど、他人事とは思えない心配してるよと書いた。
またしばらくしてからMEGUちゃんから返事が来た。
今、試行錯誤している、自分も反省したと書いてある。
本当は行かせたい学校があるけれど、娘の気持を尊重したいと書いてあった。
こんなに離れた所で、違う環境で、子供の年も全然違うのに、今でもMEGUちゃんと平行して線路を走っているような気がして、うれしくなった。^^
もうしばらくしたら、返事を出そう。
kekeがバイトを探してきたんだよ、って。
そう言えばそうだったよね、私らもあの頃、仕事辞めたくなって一緒にハローワークに相談しに行ったり、飲んだくれて終電で帰ったことも何度もあったよね。
いろんな恋や、結婚をぶっ壊したりして、悩んでいたようで、たぶんいろんなものを直で見て触って聞きたかったのかもしれない。
今までずっと「kekeのトンネルが抜けてくれたら」と思っていたけれど、トンネルは私にもあって、それは今少しづつ明けていく。
今までずっと「こんな風な会社にkekeを勤めさせたくない!」とか「自分みたいな失敗人生をkekeに歩ませたくない!」と思ってきたけれど、私の人生は失敗ではなかった。
うちの会社もそんなに悪くはなかった。
みんな経験して、こうなった。
kekeのこの半年1年も、悪いことじゃない。
みんな、始まり。
今から、みんな始まる。^^
ひとり娘は中学受験を控えた小学6年生だ。
年に2~3回メール交換だけど、心は昔のままつながっている・・・と私は思っている。
私は先々月だろうか、久しぶりにメールを書いた。
kekeが学校を辞めたことや、今は家にいることを書いた。
しばらくしてからMEGUちゃんから返事がきた。
娘が体調が悪くて小児科に連れて行ったら、精神的なものではないかと言われたと言う。
「自分の要領が悪くてスケジュールがこなしきれてないのかも」と書いてある。
私はそう言う問題だけではないのでは?と思い、kekeのことを更に詳しく書いた。
「私が大学卒業だけが全てみたいな考え方をして(与えて)いたから、それが無くなった時にどうしていいか分からなくなったんだと思う。そう言う一つきりの価値観を与えたのは私が悪かった。」
そこだけはハッキリ書いた。
そして「今は5年でも10年でも待つつもりでいるんだよ。」と書いた。
娘さんの事、もう良くなっているといいけど、他人事とは思えない心配してるよと書いた。
またしばらくしてからMEGUちゃんから返事が来た。
今、試行錯誤している、自分も反省したと書いてある。
本当は行かせたい学校があるけれど、娘の気持を尊重したいと書いてあった。
こんなに離れた所で、違う環境で、子供の年も全然違うのに、今でもMEGUちゃんと平行して線路を走っているような気がして、うれしくなった。^^
もうしばらくしたら、返事を出そう。
kekeがバイトを探してきたんだよ、って。
そう言えばそうだったよね、私らもあの頃、仕事辞めたくなって一緒にハローワークに相談しに行ったり、飲んだくれて終電で帰ったことも何度もあったよね。
いろんな恋や、結婚をぶっ壊したりして、悩んでいたようで、たぶんいろんなものを直で見て触って聞きたかったのかもしれない。
今までずっと「kekeのトンネルが抜けてくれたら」と思っていたけれど、トンネルは私にもあって、それは今少しづつ明けていく。
今までずっと「こんな風な会社にkekeを勤めさせたくない!」とか「自分みたいな失敗人生をkekeに歩ませたくない!」と思ってきたけれど、私の人生は失敗ではなかった。
うちの会社もそんなに悪くはなかった。
みんな経験して、こうなった。
kekeのこの半年1年も、悪いことじゃない。
みんな、始まり。
今から、みんな始まる。^^
初めまして
ずっとブログのファンで読ませていただきましたが初めてコメント書かせていただく 「つみき」です。
私はsakeさんより はるかに人生を多くいきているから 言えることは
親は 自分が生み落とした子供には育てる義務がありみと
もしかしたら、コメント途中で切れてしまってるのかな?
つみきさんは私より人生生きて来られたんですか。
私はどうやら自分の子供を育てる義務と、子供の人生の選択とごっちゃになっていたようです。
小さい頃は育てるうえでのしつけは必要に思いますが、どうも生きて行く選択までしていたようです。
そのつもりは無かったのですが、ごっちゃになっていたんですね。^^
ここから新しい気持でkekeを応援していきたいです。
よろしくお願いします。
コメント切れてしまっていたらすみません。
たまに記号の組み合わせとかで、そう言うことがあるみたいなんです。
57歳のおばさんなので人生経験豊富な割りには 世の中の進化に疎くて 尻切れ蜻蛉コメントでごめんなさい。
参考にはならないと思いますが書かせて下さい。
実は主人の弟が年季の入った 引きこもり。
私達の結婚前からだと思うので40年近く経ってますが 未だに状態は変わりません。
一応知られた進学高校大学をでたのですが就職で挫折したらしく 以来働くこともなく60歳を迎えます。
その間母は88歳になり未だに働けとは言ったこともなく
引きこもりの息子と老人ホームに入りたいと言う始末。
そんな異常な母子関係も異例だとは思いますが
救いは
私の夫が まともである事と 私自身が幼少期に母親を亡くし これまた異常な家庭環境だったので
理想の家庭を持つのが唯一の夢でした。
姑をみてきて
「純粋培養」=無気力の人間に育ててしまい彼の生涯を台無しにしているのをみてきて
本当の親の愛なら
一人で生きて行く自信をつけてほしかったと思います。
sakeさんのブログ
keke君なら大丈夫です。
私の息子は真面目ですが大学就職活動ではパチンコ業界しか内定が取れなく反対しましたが
それでも有り難いと就職した息子に私は
足を引っ張ってました。「世間体も
義理の弟さんはまだ一度も働いたことがないんですか?!
つみきさんのご主人は引きこもっている訳でもないのに、弟さんだけなんですね?
お兄さんの方が出来が良くて劣等感があるんでしょうかねぇ。。。そんな他人が簡単に想像できるような気持ではないのでしょうが。。。お姑さんもきっと悩まれた果てに現状を受け入れるようになったのでしょうか。。。
私も今まで息子を無気力に育ててきたようなので、ここで気がついて良かったです。^^
つみきさんの息子さんはパチンコ業界にお勤めされたんですね。
ぜひ、その続きのお話が聞きたいです。
今でもお勤めは続いていらっしゃるのでしょうか。
うちのはバイトを始めたものの、これから続くのかやや心配。
でも、今までの心配とはまた違うように思います。
今はあれこれ自分のやりたいように試してみる期間なのだと割り切りたいです。
人生経験豊富な方の話は、誰もが参考になりますよ。楽しみにしてますね。^^
私と結婚当初の主人はマザコン?でした。
と 思ってました。
姑の言うがまま。
主人はその問いに答えられてきました。
ただ 姑にしたら私との結婚だけが 思い通りでは無かった。
「あなた 趣味は?」の 姑の期待は
「お茶にお花に油絵」
弟の進学 就職に関してのハードルは高かったと思う。
挫折が ガラスの心を傷付けた。
姑は弟は病気じゃないと。
他人には関係ないと。弟に関しては私は他人でしかなかった。
息子のパチンコ業界での仕事を私は否定してきたから息子は辛くても弱音が吐けなかった。自分なりの転職を考え研修会に 行った先がマルチ商法の会社。本当に 馬鹿で 馬鹿で情けなくなった。
パチンコ屋に勤めながらの二束のわらじに。「親だったら協力するものだ」と。
「親だから協力しないんだよ!」
マルチの鉄則
火はやがて消える。
これを信じて待って やがて 私の
「転ばぬ先の杖」わかってくれた。
「1年間自由にさせてくれ」と言われ退職。「ほらみたことか」
その後 職業訓練校に通い 資格を取り
就職し正社員に。30歳になっていた。
そう言うお母さんだから、それまでは言うなりになるしかなかったのかもしれませんね。
義理の弟さんも60になってしまっては、なかなか就職口も見つからないでしょう、途中でお母さんも諦めてしまったんでしょうかねぇ。。。
難しいですね。
息子さんはパチンコ業界とマルチの会社で働いていたんですか。
マルチのような営業は難しいですよね。親も傍で見ていて「この先どうなるのか」と心配ですよね。。。
働かないで家にいるのも心配だけど、仕事先が心配なこともありますよね。男の子の心配はついませんね。
それでもそこから職業訓練校に通って正社員になられたとは。
30歳ですか。
息子さんなりにこれからどうやって生計を立てようか考えたんでしょうね。
いろんな事を体験しながら、自分の人生「このままでいいや」とは思っていなかったんですね。
私もkekeが1人で自立できるような仕事についてくれたらな・・・と思うのです。それにはやはりちゃんと正社員で働ける所をと思うのです。
でも、今はまだ自分も稼げているので、二人で楽しく毎日過ごすことを心がけます。^^
「私の人生大変なんだ」と触れ回るのも変だ。
「大変だね」好奇心、同情され噂話になるのがオチ。
絶対に口外しなかった。
これも 私の見栄だったと思う。
「お宅の息子さん大学どちら? 仕事はどちら?」
自分が常に持っている「見栄」で口ごもらせた。
世の中の皆 みんな 多かれ少なかれ、辛いものを持って生きている。
いつも 辛いとか 困ったとか 嫌になるとか、人を羨むみたいな毎日を送りたくないから自分の内に秘め 皆 明るく振る舞っている。私もそうしている。
「貴方って幸せね」真の私を知らない人からは私って、幸せオーラが見えるみたい。
心の中の暗い部分を知らないくせにと思う。
でも幼稚園から50年もの友達は私の過去を全部見てきてくれたから
「幸せになる権利がある」と言ってくれて
幼少期の辛さを考えたら今は幸せ だと思える。
他人から幸せねってみえるなら幸せ。
幼少期の苦労があって今 折れない心を持っている。
「貴方とは違う」言われそうだけど。
私は今 回りを全部ひっくるめて守っていく自信がある。
姑も弟も息子も
勿論主人や娘 3歳と1歳の孫も
みんな 私が守る。
息子と娘まではともかく、姑さんや弟さんは直接血がつながっている訳でもなく、昔世話になっていた訳でもないのに、何かあれば守ろうとされているのですか。
子供1人守ろうとせず、半分見放そうとしていた自分が恥ずかしいです。
それまでの人生がつみきさんを強くしたんですね。
私はどちらかと言うと「自分が幸せ」に見せるのが苦手でした。
勉強はそれほどでもなかったけれど、運動も苦手でいつもビリ、食べ終わった人から片付けられる給食は食べきれないので、いつも最後まで残されました。
「sakeさんがいるからビリにならないわ、大丈夫!」と思わせるのが私の定位置だったのです。
自分がうまく行ってしまうのが申し訳ない気がして、いつも卑下してました。
でもそう思えたのは、今まで本当の苦労がなかったからかもしれませんね。
本当に苦労していたら、人に「辛い」と言えないかもしれません、余計惨めな気持になるかもしれませんよね。
そんな事を思いました。
でも、つみきさんは今ではお孫さんもいらっしゃるんですね。^^
小さい頃お母さんを亡くされたとのことですが、お孫さん娘さん息子さん、お孫さんが二人もいるんですね。
私の母は戦争で父を亡くし、祖母と二人きりの母子家庭でした。
淋しくて(祖母も仕事が忙しく家庭第一ではなかったとの話)淋しくて、「今に大きな家族を作ってやる」とずっと思っていたそうです。
私が帝王切開だったので、母の希望するほど子沢山にはならなかったけれど、婿が来て、孫が二人生まれて、近所に出戻りの娘と孫もいて、思ってた通りの大きな家族になりました。
つみきさんの話を伺っていたら、母のことを思い出しました。
昔は苦労したけれど、右肩上がりでどんどん幸せになって、本当にいい人生だったと思います。
遠回りしていたつもりでも結果近道だった、
ってなことはよくありますよね^^ 方向音痴なのはともかく(笑
タイトルが前向きで大好きです。
「楽あれば苦あり 苦あれば楽あり」
「人生あざなう縄のごとし」
でも 人生だんだんと強くなっていくものよ。
より多くの経験が人を大きくする。
「苦労は買ってでもしろ」って苦労なんてなるべくならしたくないし 自分が苦労してきた分 娘と息子だけには 同じ苦労はさせたくはないね。
でも
「親の背中を見て育つ」
昔からのことわざ
良いこと言うじゃない。
そう思いませんか?
sakeさん。
これで
つみきの書き込みは終了します。
つみきは「積み木」のつみきです。
人生 ひとつ ひとつ つみあげて。
sakeさん
つみきに悩みがあったら 打ち明けて下さいね。コメントかきますからね。
素敵なお二人の生活みまもらせてくださいね。 またね〓つみき