周産期医療搬送問題再び
産婦搬送でたらい回しの件数はまだ増えるのではないかと思います。
東京都の問題は、周産期搬送システムに問題があるのではなく、このシステムに対する理解度が、国や自治体それに、医師会の3者にあります。
国や自治体は、作文だけをして文章を絵に描いたらお終いです。
医師会は、そのシステムをどのように運用していく仕組みをつくるのかマンパワーをどのように運用するのかなどが欠けています。
一次医療、二次医療、三次医療の患者やをどのように搬送するのか、基準をどうするのか、医師をどのように確保するのか等、具体的につくった上で実施しなければなりません。
東京都の場合はそれが欠けていたのではないでしょうか?
周産期センターやERという以上は最低限の医師を確保できなければ意味がない。
看板倒れ、看板にもならない。
医師の質も問われなければならない。だれでもいいのではない。
人の心の痛みがわかる医師でなければならない。
員数あわせではいけない。
給与を上げれば医師が来るわけではない。
いい医師の元で医療技術と知識が磨けることができることが必要な要件であるように思う。
搬送受け入れ拒否の中に潜んでいるのは、病状を診断する能力にかける医師が病状をある程度診断して、その重篤性を搬送する時点で告知していれば受け入れるはずである。
一次医療施設の医療知識の向上が成されなければ、この問題は解決しない。
いい例を紹介しましょう。
宮崎県で行われている周産期医療システムです。
このシステムを作り上げた、宮崎大学医学部の池の上教授の熱意が創り上げたものである。
新聞記事の抜粋から
熊本日日新聞2008年7月2日付夕刊より
「出産千人に対し、妊娠満二十二週以降の死産と生後一週間未満の新生児死亡を合計した比率を、周産期死亡率という。宮崎県は一九九四年、この数字が一〇・五と全国ワーストワンだった。県健康増進課によると、前後の時期も似たような数字で低迷していた。
鹿児島市立病院から一九九一年、宮崎大附属病院に赴任した池ノ上克(つよむ)産婦人科教授も危機感を募らせた一人だった。池の上教授は鹿児島時代の七六年、国内初の五つ子誕生に立ち会い、主治医として百三日間接した。
宮崎の現状打開のため県や医師会と協力し、周産期医療の全県的な底上げを目指した。これが今、「宮崎方式」と呼ばれ実を結んでいる。広い県土を四エリアに分け、各エリアに周産期母子医療センターを併設した病院(二次施設)を新設。開業医(一次施設)が手に負えないハイリスク妊婦を受け入れた。
現在、四エリアに七病院あり、県立病院四つ、国立病院機構一つ、民間二つ。ここでも診療できない高度ハイリスク妊婦や新生児は、宮崎大附属病院の総合周産期母子医療センター(三次施設)に搬送する。
二次、三次施設の医師は毎朝、テレビを使った症例検討会を開いて腕を磨く。開業医や助産師、看護師、保健師、自治体職員らを対象にした周産期セミナーも既に十年以上、定期的に開かれている。
池ノ上教授の真髄は、臨床面の強化にとどまらず、後進育成にある。卒前の講義で周産期医療の具体的な症例を取り上げ、産婦人科の魅力を伝えるよう心を砕く。医局に入った若手医師には婦人科、産科、新生児を三~四カ月間隔で経験させ、小児診療もできる産婦人科医を養成している。
宮崎県の人口十万人当たりの産科医数は〇六年度で九・一人。全国平均の七・五人を上回る。周産期死亡率も〇六年は全国トップ水準の三・七。一九八〇年の約三分の一に減った」
いかがですか、このシステムの運用に尽力した池の上教授の熱意が成し遂げたのです。
だれでも出来るものではありません。
現場の状況がわからない医学部の教授が陣頭指揮をとっても、上手くいかない。
学問や研究で教授になったり婦人科の教授がなっても不可能である。
全国の自治体は、宮崎方式をまねることは不可能である。
大都市には、複数の大学があり、学閥で主導権争いが起きてまとまらない。
地方では、可能であるが人財(材)がいない。
今年の6月に、池の上先生の講演を聴いたが感動した。
素晴らしい医師であり、教育者です。
産婦搬送でたらい回しの件数はまだ増えるのではないかと思います。
東京都の問題は、周産期搬送システムに問題があるのではなく、このシステムに対する理解度が、国や自治体それに、医師会の3者にあります。
国や自治体は、作文だけをして文章を絵に描いたらお終いです。
医師会は、そのシステムをどのように運用していく仕組みをつくるのかマンパワーをどのように運用するのかなどが欠けています。
一次医療、二次医療、三次医療の患者やをどのように搬送するのか、基準をどうするのか、医師をどのように確保するのか等、具体的につくった上で実施しなければなりません。
東京都の場合はそれが欠けていたのではないでしょうか?
周産期センターやERという以上は最低限の医師を確保できなければ意味がない。
看板倒れ、看板にもならない。
医師の質も問われなければならない。だれでもいいのではない。
人の心の痛みがわかる医師でなければならない。
員数あわせではいけない。
給与を上げれば医師が来るわけではない。
いい医師の元で医療技術と知識が磨けることができることが必要な要件であるように思う。
搬送受け入れ拒否の中に潜んでいるのは、病状を診断する能力にかける医師が病状をある程度診断して、その重篤性を搬送する時点で告知していれば受け入れるはずである。
一次医療施設の医療知識の向上が成されなければ、この問題は解決しない。
いい例を紹介しましょう。
宮崎県で行われている周産期医療システムです。
このシステムを作り上げた、宮崎大学医学部の池の上教授の熱意が創り上げたものである。
新聞記事の抜粋から
熊本日日新聞2008年7月2日付夕刊より
「出産千人に対し、妊娠満二十二週以降の死産と生後一週間未満の新生児死亡を合計した比率を、周産期死亡率という。宮崎県は一九九四年、この数字が一〇・五と全国ワーストワンだった。県健康増進課によると、前後の時期も似たような数字で低迷していた。
鹿児島市立病院から一九九一年、宮崎大附属病院に赴任した池ノ上克(つよむ)産婦人科教授も危機感を募らせた一人だった。池の上教授は鹿児島時代の七六年、国内初の五つ子誕生に立ち会い、主治医として百三日間接した。
宮崎の現状打開のため県や医師会と協力し、周産期医療の全県的な底上げを目指した。これが今、「宮崎方式」と呼ばれ実を結んでいる。広い県土を四エリアに分け、各エリアに周産期母子医療センターを併設した病院(二次施設)を新設。開業医(一次施設)が手に負えないハイリスク妊婦を受け入れた。
現在、四エリアに七病院あり、県立病院四つ、国立病院機構一つ、民間二つ。ここでも診療できない高度ハイリスク妊婦や新生児は、宮崎大附属病院の総合周産期母子医療センター(三次施設)に搬送する。
二次、三次施設の医師は毎朝、テレビを使った症例検討会を開いて腕を磨く。開業医や助産師、看護師、保健師、自治体職員らを対象にした周産期セミナーも既に十年以上、定期的に開かれている。
池ノ上教授の真髄は、臨床面の強化にとどまらず、後進育成にある。卒前の講義で周産期医療の具体的な症例を取り上げ、産婦人科の魅力を伝えるよう心を砕く。医局に入った若手医師には婦人科、産科、新生児を三~四カ月間隔で経験させ、小児診療もできる産婦人科医を養成している。
宮崎県の人口十万人当たりの産科医数は〇六年度で九・一人。全国平均の七・五人を上回る。周産期死亡率も〇六年は全国トップ水準の三・七。一九八〇年の約三分の一に減った」
いかがですか、このシステムの運用に尽力した池の上教授の熱意が成し遂げたのです。
だれでも出来るものではありません。
現場の状況がわからない医学部の教授が陣頭指揮をとっても、上手くいかない。
学問や研究で教授になったり婦人科の教授がなっても不可能である。
全国の自治体は、宮崎方式をまねることは不可能である。
大都市には、複数の大学があり、学閥で主導権争いが起きてまとまらない。
地方では、可能であるが人財(材)がいない。
今年の6月に、池の上先生の講演を聴いたが感動した。
素晴らしい医師であり、教育者です。