小さいうちから習い事。?愚かなことですね。?無駄金を使うな。
小さなうちからやっていいのは、音楽だけです。?ただし、親がやっている場合だけです。?親がやっていないのに、子どもだけやらせるのは意味がない。?上達もしない。?本人の意思でやらなければ上達しない。
習い事も全て「親がやるべし」親がやって楽しければ、それを見て感じて子どもがやりたいと言い出す。
それ以外はするな。?英語、体操、スイミング、リトミック、早期教育などなんになる。?営利目的の商売人を儲けさせるだけ。?お金の無駄遣い。?もっともっと親が遊んでやれ。?子ども同士で遊ばせることが子どもには必要である。?子ども社会の中で学ぶことの方がその後の人生に役立つ。
天才といわれる人は皆、自分の力で勝ち得ている。
親が手本を示せ。?親のアホな「欲」で子どもの遊びを奪うな。?幼児期の「遊び」はとても大切です。?子どもを解放してやれ。?意味のない縛りを与えるな。?それは「親のエゴ」である。
それよりも「躾け」をしろ。?その前に、親が躾を学べ。?躾の意味も知らない親がほとんどではないのだろうか。?子どもをしかれない。?我が子に振り回され子に媚びる親を見ているとその子の将来が見えてくる。?そんな子に日本の未来を託せない。
今一度、子育てについて考えなおしてください。?今からでも遅くはありません。
まわりは習い事のラッシュです
感心するくらい子供はいくつも習い事をしています
うちは体験だけして息子にやりたいか聞きましたがそれより母ちゃんと遊びたいというのでやっていません
音楽も私がエレクトーン をしていましたが無理矢理母親にさせられ嫌で仕方ありませんでした
家にある絵本についてあるピアノをわたしがひき息子といっしょに歌います
体操やリトミックをしなくても公園でお兄ちゃんたちが遊ぶときに息子もそれをマネして追いかけたり木登りもします
それで十分だっわたしも思います
お兄ちゃんたちに息子はすごい!上手だな あっくんもお兄ちゃんみたいになりたい やりたいっていうと
お兄ちゃんたちは照れながら息子に教えてくれたり息子を支えて木登りをさせてくれます
習い事よりもそういうことの方がよっぽど大事で息子のためになります
息子がもう少し大きくなり自分から習いたいというまで習い事はさせません
それより人を気遣う 迷惑をかけないマナーを身につける方が大切です
息子が自転車に乗っていたとき杖をついた方とぶつかりかけたときがありました
気になりふらふらいったようですが大事故になるところでした
息子は大泣き まわりからは大注目です
自転車に乗るとき人にぶつかったら相手が怪我をすること
自分が自転車にぶつけられたら嬉しいか?自分がされていやなら人にしてはいけないと
そんな乗り方では二度と自転車は乗れない
大泣きし過ぎて話せないほどでした
しかりすぎたか悩みました
息子は泣きすぎて声にならないような声で相手に謝りました
でもそれから息子は自転車で走っていて前から誰か来たらとまって待つかスピードをかなり落とすようになりました
散歩中の犬 赤ちゃん 普通の人 誰でもそうするようになりました
失敗したときちゃんと叱る 息子なりに考え出た行動に私は嬉しかったです
○○しなさいではなく息子は自分で考え行動しました
その積み重ねが息子を優しく強い大人にしていくのだとしみじみ思いました
そして手本になる私も気をつけようとあらためて思いました
過去ログで英語教育についての記事がありましたが、乳幼児期だからこそ外国語の吸収も早いのは事実です。友達に父:アメリカ人、母:日本人で子どもが2歳児がいるのですが、見事に英語と日本語を話します。保育園に通っているので外では日本語、でも家では殆ど英語、でも本人はちゃんと使い分けてます。乳児が母国語を習得する能力が凄まじいのも同様、外国語も凄まじいのです。早期外国語教育が全く無駄というわけではありません。
しかし! 肝心なのは親が英語を日常で使っているという点です。親が使っていない(使わない)のに子どもにだけ押し付けても上達する筈はないし、そもそも幼児・小学生と成長していく中で使う環境でなければ意味がありませんね。
他の習い事でもそうです。親がスポーツ選手だったり音楽家であったりする家庭はもちろん遺伝もありますが、常にその環境が家庭にあり、家族で楽しみながら「家で習い事」をしていたわけです。ロンドン五輪に出場する体操の田中3兄弟の家庭では、家の中に障害物を作ってそれを乗り越えて遊ぶのを楽しんでいたそうです。
音楽でも絵画でも体操でもサッカーでも、親が一緒になって遊んであげる。それで何か才能の芽が出始め本人がやりたそうならその時点で習い事としてやるのはいいかもしれませんね。早期教育が一概に×とは思いません。0歳からトイレのしつけをするのも、首すわり前にうつぶせの習慣をつけるのも、自然に触れさせるのも、ある意味早期教育だからです。もちろん色んな年齢の子どもに触れ合う機会を与えるのは立派な早期教育です。
子どもが一人遊びをしている様子を見ると、大人とは違う発想で遊びを作り出していたり、ままごとをしながら連想の世界に入っていたり・・傍から見てても面白いです。特に幼少期は子どもの自由な発想や独自性を育ててあげたいですね。
最近は私立幼稚園を中心に、集団生活の場というよりは総合習い事教室化しているところが多いです。英語・スイミング・書道・体操・楽器・・とにかくスケジュールを詰め込む詰め込む。宿題もあり、ゆっくり遊ぶ時間すらない。でも親からすれば「習い事をすべて幼稚園でやってくれるから経済的にもお得」と大人気。躾の指導は厳しいとはいえ、大人の都合のよい人間に育てているような気がして聞いていても違和感を感じます。幼児期の知的活動は大切だと思います。でもそれは自由な遊びから生まれるものではないかと思います。