海老名市中野にかつて村内の鎮守として崇められていた「中野八幡宮」鎮座している。当宮の創建年代等は不詳。慶長年間(1596-1615)に大破、別当である「中野山盛福寺」の開山・能山師が大願を発し慶長8年(1603)に再建(再造)。村民の協力、尽力により慶長6年(1601)より再建に着手、同8年(1603)9月吉日に造立した「棟札」がある。棟札には大工、鎌倉の住人・巌藤喜三郎 御神体雲湲彫刻とある。大正12年の関東大震災で半壊し、大正14年9月復旧した。祭神は誉田別命。盛福寺の隣りに鎮座し鳥居を抜けると左手にご神木の「銀杏樹」、「鐘樓」がある。境内正面に市重要文化財の一間社流造りの内宮で、覆殿内部に安置されている「本殿」がある。建設年代は18世紀前期。境内社として本殿右横に「白山社」がある。(2412)
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