座間市入谷に「お明神様」として親しまれている「鈴鹿明神社」は鎮座している。創建時期は不詳だが第29代欽明天皇の御代(539年〜571年)創祀と伝えられている。他では「正倉院文書」には天平年間(729〜749)には当地は鈴鹿王の所領で土甘郷と呼ばれ王の名前より「鈴鹿」という字名が付けられたとも。当社の縁起では「遠く伊勢の鈴鹿郷の祭礼において神輿が海上を渡御していた際、暴風によって漂流し相模国入海の東峯に漂着したといい、このことから里人が座間全郷の鎮守として社を創建し鈴鹿大明神を崇め祀った」という伝説も残されている。戦前の近代社格制度(旧社格)においては郷社に列せられている。現在では神奈川県神社庁による献幣使参向神社(同県神社庁指定神社)となっている。江戸時代には当社が鎮座する座間宿村と入谷村の総鎮守であった。海老名市上郷に鎮座する「有鹿神社」と争った説話縁起(有鹿と鈴鹿の神争い)が存在する。主祭神は伊邪那岐命、素戔鳴尊である。「鳥居」を抜けると参道にはいかにも正月らしく露店が並び美味しい匂を漂わせている。右手に社務所、左に「神輿殿」、「手水舎」、「座間市戦没者慰霊碑」、正面に荘厳な「拝殿」、右手に「神楽殿」、「祖霊社」、「参集殿」がある。境内には末社として2座の稲荷社や山王社、厳島神社(弁天社)が祀られている。境内に入ってすぐの右側には古い石仏や道祖神、小祠、狛犬などが安置されている。(2101)
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