津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■伊勢路に対する「硫黄路???」

2025-03-03 09:44:10 | 歴史

 熊本から江戸への旅程を記した史料を見ているが、「大坂ゟ江戸迄」において、「弐百八拾余-伊勢路」と共に「弐百九拾五里半-硫黄路」とある。
引用史料は「肥集録・第26-熊本・江戸迄道規之事(肥後国地誌集p197)」とある。
肥後国地誌集は幸い所蔵しているので調べてみると、「硫黄路」の文字は間違いない。
一方「大坂ゟ江戸迄」の二行前には「鶴崎ゟ大阪迄海上硫黄路百三拾弐里」という記述も見える。

「伊勢路」に対する「硫黄路」かと思ったら、鶴崎から大坂に至る海上路にも硫黄路が見えて、ますますわからなくなってきた。
ググってみても全く反応がない。「いおう路」「いおうぢ」等も試してみたがこれも駄目である。
「鶴崎ゟ大阪迄海上硫黄路」という記述からすると、硫黄路とは海路なのかもしれないが、単純に伊勢路との旅程の差・15里半(62㌔)」がそれだと断定も出来ないようにも思える。

全くお手上げの状態となり、頭から離れない厄介ごととなった。ご存じの方が居られたらご教示をお願いしたい。

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■雛まつり

2025-03-03 07:27:46 | 徒然

 この時期に成ると俳人・富安風生のこの句を思い出す。

           老妻の飾りし雛を見てやりぬ  風生

富安先生は昭和12年逓信省次官を最後に官界を離れると、その後一時期電波監理委員会委員長などの要職に就かれたが、その後は一貫して俳諧の世界に身を置かれている。
勲一等叙勲(昭和45年-86歳)、芸術院会員(昭和49年-90歳)、昭和54年2月22日死去・享年95。

富安ご夫妻にはお子様が居られなかった。それだけに、奥様に対する優しいまなざしが伺い知れて心暖かくなる。
年を経られても雛飾りをなさるお気持ちは、お子様のない寂しさの裏返しかもしれない。
雛飾る老妻にふと不憫あり」という句もあるが、こちらは直接的で私は先の句が好みである。

          妻老いぬ春の炬燵に額ふせ
          われを知る妻にしくなく葉唐辛子

昭和43年84歳の時にご夫婦の金婚祝賀会が開かれている。奥様もご長寿であったことが伺えてほっとする。
小平霊園のお墓には「夕顔の一つの花に夫婦かな」と碑に刻してあるというが、夫婦愛に満ちたお二人の人生が見て取れる。

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