熊本から江戸への旅程を記した史料を見ているが、「大坂ゟ江戸迄」において、「弐百八拾余-伊勢路」と共に「弐百九拾五里半-硫黄路」とある。
引用史料は「肥集録・第26-熊本・江戸迄道規之事(肥後国地誌集p197)」とある。
肥後国地誌集は幸い所蔵しているので調べてみると、「硫黄路」の文字は間違いない。
一方「大坂ゟ江戸迄」の二行前には「鶴崎ゟ大阪迄海上硫黄路百三拾弐里」という記述も見える。
「伊勢路」に対する「硫黄路」かと思ったら、鶴崎から大坂に至る海上路にも硫黄路が見えて、ますますわからなくなってきた。
ググってみても全く反応がない。「いおう路」「いおうぢ」等も試してみたがこれも駄目である。
「鶴崎ゟ大阪迄海上硫黄路」という記述からすると、硫黄路とは海路なのかもしれないが、単純に伊勢路との旅程の差・15里半(62㌔)」がそれだと断定も出来ないようにも思える。
全くお手上げの状態となり、頭から離れない厄介ごととなった。ご存じの方が居られたらご教示をお願いしたい。