津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

忠興の隠居

2006-09-04 12:19:47 | 歴史
 元和六年(1620)の末、細川忠興(58)は「以之外ニ御煩被成」て、継嗣忠利に家督を譲り隠居する。閏十二月廿五日娘おまん(烏丸光賢簾中・23)の見舞いの文に対して返事を出している。「本復したので少しも気遣いする必要は無い。しかし気力が無く、上様のお見舞いにも逢わず、養生のためと思いお前の手紙にも目を通さずにいた」と書いている。そして「われ/\はうすになり候て、つらを見申候へは、そのまゝゆうさいにてわれなからきもをつふし申候、かどうをしらぬゆうさいと御おもひ候へく候・・・」と、父幽齋に似てきた自らの顔に吃驚している。我々が知る幽齋と三齋の晩年の姿は、似ても似つかないような面立ちだと思うのだけれど・・・・「かどう(歌道)をしらぬゆうさい」と思えと戯言をいっているが、愛してやまなかった娘おまんに対する、父親らしい一面が伺える。
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