津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

加藤正方の遺品

2010-06-18 19:54:06 | 歴史
 加藤時代の八代城主・加藤正方の遺品や史料134点が、広島在住のご子孫のお宅から発見され、八代市立博物館(未来の森ミュージアム)に寄贈されたという。メディアの報道によると、清正から贈られたという陣羽織は、黒地のフェルト製の素晴らしいもので、裾に蛇の目紋が配されたデザイン。その内の16点は7/16から開催される、「華麗なる西山宗因」展で初御目見えになる。
 
すばらしい・・・!! 今日の熊本日日新聞をどうぞ
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細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(2)

2010-06-18 09:38:13 | 歴史
     ■五月二日 当番続兵左衛門 1 

  (粟野)伝介より御郡奉行衆へ、御炭奉行へ切手遣也
一、呼野へ遣たき炭之事 2

  まこも三荷、御荒仕子壱人ニからせ、桜田藤右衛門ニ相渡候へと、指帋遣也
一、御なへ様御賄ニ、節供ノ■ちまき・まこも事 3

  先、拾石御米被渡候へと、伝介へ差紙遣之也
一、松下松殿御賄米之事 4

  くわふろの儀、御買物奉行衆への差紙遣候也、かなつきのゑ、上野文左衛門ニ申付ル也
一、御金山へ遣、(井上)宗和手前ニ鍬のふろ・かなつきのゑの事 5

  奉行ニ甚右衛門与小頭村上久次・八左衛門与市丸與左衛門、両人申付候、礼之儀ハかぢ奉行田辺七兵衛・橋本孫左衛門両人ニ
   申渡候

一、御弓・御鉄炮衆七百拾三人、自分ニ代出シ、誘申なた・かま七百拾三丁之事、
   内弐百三十七丁ハかま也、四百七十六丁ハなた也 6

  御郡奉行衆へ触状を廻之事
一、伊賀殿(三渕好重)米かり候御百姓改ノ儀、中津より、野田小左衛門(幸長)被申越候事 7

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・但、借状ハ調次太 清右 太兵中津より帰を待也
一、松下松殿御賄米之事 4

1、「於豊前小倉御侍帳」には「江戸江相詰衆 藤 三百石」とある。肥後入国後、御中小姓・頭、御側物頭衆・御側筒三十丁(頭)等
  を勤めた。三百五十石。続亀介の男子である。

2、規矩郡呼野の金山で使用する炭の手配の指示である。粟野伝介については現況不明。
3、錩 又ハ 鍋とも。細川興秋の息女であり、南条元信(5,000石)室である。端午の節供の粽用の真菰の調達の指示である。
  桜田藤右衛門については「寛文四年六月・御侍帳」に「御台所衆 百石」とある。

4、人物の特定が出来ないでいるが、松下之網に係わる人物ではないかと推測している。ご存知の方があればご教示いただきたい。

     ■五月三日 当番加々山主馬(可政) 7

  かなつきしよゑん・与州くわ・つるのはし・ゆりはち・御荒仕子ニ持せ遣也
一、井上宗和へ渡、金ほり道具事 8

  やすめ可被申さしかミ、かゝみ善右衛門ニ遣
一、せつくニ御かこやすめ申事 9

  御馬やへ渡ル御あらしこの内、壱人遣候へと、仁兵衛ニ申渡ス
一、井上宗和ニ付而、届候御馬ノあらしこの事 10

一、御さん用聞衆替の事 11

  
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