津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・白井氏

2010-06-19 11:50:42 | 歴史
白井家初代・太左衛門尉は薩摩島津家々老喜入摂津守忠續の伯母聟。忠續より依頼あり長岡佐渡取次にて寛永十年忠利に召出され、知行三百石、小性組。正保元年三月二日、江戸にて乱心者のため深手を負い、程なく歿した。
「勤談跡覧-肥後藩之切支丹」によると転切支丹だとされ、「寛永十三年七月十三日 法華宗に罷成り・・」との記述がある。又上妻博之先生の「肥後藩の切支丹史」には「私家来轉切支丹白井太左衛門系」とする系図が紹介されている。

喜入(島津)忠續とは鹿籠(現・鹿児島枕崎)の領主。季久四男として元亀二年生る。初名忠政。又長重。攝津守。元和頃より國家老。正保二年三月十八日歿。年七五。

長岡佐渡とは松井興長のことであるが、喜入忠續との関係がいかなるものであったのか興味深い。

代々三百石をもって明治に至った。
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細川小倉藩・御用覚書之帳--元和九年五月(3)

2010-06-19 11:22:49 | 歴史
     ■五月四日 当番仁保太兵衛 1

  来ル十日ニ、爰元へ罷出候様ニ申付候也
一、江戸へ参、御荒仕子三右衛門事 2

  林理右衛門ニ目録相渡シ、申付候事
一、井上宗和賄道具、不足分書立可申付事 3

  利斎・言斎へ相渡申也
一、御なへ様・御かね様端午之御帷、今日下着候事 4

  送切手持参候て、相渡候へと申候也
一、嶋田甚太夫預りの舟に、御寺之御材木積下り候事、并安田久兵衛預り之舟ニ、ふのり三石下着候事 5

一、加藤半右衛門尉手前御算用相済、返号帳持参候て被見せ、見届申候事 6

  則、返事仕候、御郡奉行、又勘解由殿(沼田延元)へも様子申渡候、使ハ酒井半右衛門と申仁ニ相渡ス也
一、中津奉行衆より、寿斎下女之儀ニ付、状参候事 7

  遣切手遣候
一、伊賀殿(三淵好重)米之ふれ状持せ遣、御鉄炮衆芦田與兵衛組末岡次右衛門尉、ふれ状ニ判形
   相調、罷帰候事 8

一、国東郡留木(富木)村、谷助太夫知行ノ内ニ罷居候八十斗のうば在之ヲ、何者共不知、卯月五日之夜
   打ころし申候、色々せんさく吟味仕候へ共、仕てしれ不仕候由、御郡奉行(田中)與左衛門被申候事 9

1、仁保慰英。父は毛利家臣仁保右衛門大夫。幼より彦山座主忠宥の許にて養われ、元和二年廿七歳の時忠興に召出さる。中小性、二十
  石五人扶持。元和三年知行二百石、馬廻組。元和九年頃惣奉行。寛永初年には大坂米奉行・同屋敷奉行等を勤む。寛文元年隠居。

4、御なへ様は細川興秋女・南条元信室、御かね様は細川幸隆女・筑紫重門室、利斎は矢野利斎、言斎は藤崎作左衛門。
7、寿斎とは樹下左馬之助(入道寿斎)田辺城籠城衆であり青龍寺以来の家である。「於豊前小倉御侍帳」に「三斎様御付中津ニ相詰候衆 
  三百五十石」とある。



     ■五月五日 当番小篠次太夫

  少二郎ニ申渡、切手相調、翌日六日ニ、手間銀五拾め相渡候事
一、分清目薬箱ノぬりちん、可相済事 10

一、吉田吉左衛門出津候を、(井上)宗和奉行ニ付候と申て、御金山へ戻シ候事 11
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熊本・観光文化検定

2010-06-19 09:15:55 | 熊本
 熊本商工会議所が主催する「熊本・観光文化検定」は四年前から実施、すでに4,500余人が合格。
平成22年下期試験の要領が発表されている。

         www.kmt-cci.or.jp/authorization/kankoubunka.php
         www.mind-k.com/kentei/index.html

 いっちょうチャレンジしてみるかという思いもあるが・・・皆様如何 !!
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