建築とは何か、石器時代の洞窟からモダニズム(近代建築)さらにはポスト・モダン(ポスト構造主義、脱構築:1980年代のニューアカブームを経験した世代には、今や懐かしいお言葉)まで、建築の歴史を哲学する本。
著名建築家の「新・建築入門」などと銘打たれた本が新刊として出版されたので、本当に入門のつもりで手にしたのですが、建築家ってこんなに抽象的な思索にふけるものなのかと驚きました。「しかし主観主義の徹底が主観主義自体を破壊し、そこから新たなる客観が生成される。古き客観は、このようなプロセスをへて新しき客観へと更新されるのである。コペルニクスの地動説、デカルトの解析幾何学、ガリレオ、ニュートンの力学等の新たなる客観主義は、すべて、そのような形でうみ出されたものである」(138ページ)例えばこういう文章が建築入門という本に書かれるものでしょうか。ここで、客観(主義)は原理、普遍性、演繹法を、主観(主義)は個別事例、帰納法を意味していると考えれば概ね言いたいことはわかると思いますが、この引用した文章は、この本の議論のうちかなりわかりやすいところです。「ミケランジェロこそは、まさに徹底して主観の建築家であった。主観のダイナミズムを全開させることを通じて、圧倒的な空間の可能性が開かれることを、彼は実証した。しかし、彼が主観の人だからといって、彼に普遍的なるもの、絶対的なるものに対する信仰がなかったわけではない。(略)彼こそは最も強く、激しく普遍を希求した芸術家であった。しかし、彼は自己と普遍の間に、いかなる客観性をも介在させる必要を感じなかった」(157~158ページ)とか言われても、わかりません。しかし、なんか、読んでいて格好いい。この今どき見ない蠱惑的でペダンティックな文章は何だろうと思ったら、実に1994年に書かれた本(ちくま新書)の新装文庫本だというのです。
著者は、文庫版あとがきの中で、1994年の新書版を振り返って「ここで僕が一番書きたかったことは、モダニズムもポストモダニズムも共に自己中心的な破壊行為だということである」(221ページ)と書いています。「画家は絵の具とキャンパスがあれば絵を描くことができるが、建築家はそのようにして建築を作ることができない。その富はクライアント(施主)の富であり、」(174~175ページ)という認識、この本を書いてから日本の田舎を巡り田舎の職人さんたちと一緒にものを作り始めた(222ページ)という姿勢が、著者の当時の姿勢と試行錯誤を象徴しているように思えました。

隈研吾 ちくま学芸文庫 2022年3月10日発行(新書は1994年11月)
著名建築家の「新・建築入門」などと銘打たれた本が新刊として出版されたので、本当に入門のつもりで手にしたのですが、建築家ってこんなに抽象的な思索にふけるものなのかと驚きました。「しかし主観主義の徹底が主観主義自体を破壊し、そこから新たなる客観が生成される。古き客観は、このようなプロセスをへて新しき客観へと更新されるのである。コペルニクスの地動説、デカルトの解析幾何学、ガリレオ、ニュートンの力学等の新たなる客観主義は、すべて、そのような形でうみ出されたものである」(138ページ)例えばこういう文章が建築入門という本に書かれるものでしょうか。ここで、客観(主義)は原理、普遍性、演繹法を、主観(主義)は個別事例、帰納法を意味していると考えれば概ね言いたいことはわかると思いますが、この引用した文章は、この本の議論のうちかなりわかりやすいところです。「ミケランジェロこそは、まさに徹底して主観の建築家であった。主観のダイナミズムを全開させることを通じて、圧倒的な空間の可能性が開かれることを、彼は実証した。しかし、彼が主観の人だからといって、彼に普遍的なるもの、絶対的なるものに対する信仰がなかったわけではない。(略)彼こそは最も強く、激しく普遍を希求した芸術家であった。しかし、彼は自己と普遍の間に、いかなる客観性をも介在させる必要を感じなかった」(157~158ページ)とか言われても、わかりません。しかし、なんか、読んでいて格好いい。この今どき見ない蠱惑的でペダンティックな文章は何だろうと思ったら、実に1994年に書かれた本(ちくま新書)の新装文庫本だというのです。
著者は、文庫版あとがきの中で、1994年の新書版を振り返って「ここで僕が一番書きたかったことは、モダニズムもポストモダニズムも共に自己中心的な破壊行為だということである」(221ページ)と書いています。「画家は絵の具とキャンパスがあれば絵を描くことができるが、建築家はそのようにして建築を作ることができない。その富はクライアント(施主)の富であり、」(174~175ページ)という認識、この本を書いてから日本の田舎を巡り田舎の職人さんたちと一緒にものを作り始めた(222ページ)という姿勢が、著者の当時の姿勢と試行錯誤を象徴しているように思えました。

隈研吾 ちくま学芸文庫 2022年3月10日発行(新書は1994年11月)