鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.4 科学的宇宙知識から価値論を引き出す

2007年08月26日 | 稲盛「哲学」と聖書の思想


稲盛『哲学』と聖書の思想、第4回です。

稲盛さんが、科学知識を援用して哲学思想を形成する事例を示します。


                    


<哲学は価値も論じる>


哲学には価値論というのがあります。物事の価値を問い、論じるものです。
「よい人生」を送るには、この価値を考察することが必要です。
最低限、自分が存在する価値をもっている、と考えられる思想を持つことが必要だからです。

自己が存在価値を持たないと思ったら、人生投げやりになり、それだけで「よい人生を送る」ことは出来なくなります。

                    

<科学知識をもちいて存在価値を論証する>


稲盛さんは、人間は存在価値を持つ、ということを科学知識をもちいて論証しようと試みています。
その知識は宇宙における「エネルギー不滅の法則」です。

宇宙の膨大さを科学知識をもちいて説明

稲盛さんはまず、宇宙の膨大さを次のように説明します。

~~地球の質量は人間のそれに比べたら膨大である。けれども、太陽はその33万倍もある。その太陽を中心に太陽系が構成されているが、それは銀河系の中にある。そして銀河系は太陽と同じような恒星を1千億個含んでいるという。

 それ自体、気の遠くなるような大きさですが、宇宙にはその銀河系に匹敵する規模の銀河が無数にある~という。

 ・・・こうした情報は、すでに科学の成果です。

                    


<エネルギーと物質は相互転換する>

 科学はその宇宙におけるもう一つの知識を造り出します。宇宙においてエネルギーと物質とは相互に転化しあう関係にあるという知識です。つまり、物質はエネルギーに転化するし、エネルギーもまた物質に転化するという。

これは物理学者アインシュタインが見だした法則だそうです。ついでにいいますと、アインシュタインはさらにそれらの量的な関係まで明らかにしました。

それは~~
 E = M X(Cの2乗)

~~という意外に簡単な数式で示されています。ここでEはエネルギー、Mは物質の質量(重さと考えていいです)、そしてCは光の速さです。

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 そういわれても、われわれの日常感覚にはピンときませんが、こういう事例を考えると多少はイメージできるかも知れません。

つまり、Mが1グラムの質量だったら、Eはどうなるかを考えます。
 1グラムのMに、光の速さ(C)の2乗を掛け合わせると、Eであるエネルギーは地下からマグニチュード6の地震を起こす量にほぼ等しいものになるそうです。

 1グラムの物質がエネルギーに転化すると(物質としては消滅すると)、それくらいのエネルギーが出現する。逆に1グラムの物質を出現指すには、それくらいのエネルギーが必要になる、ということですね。

 核爆弾は、この原理が発見されたことによって作られたのですから、物騒な発見だったのですが、とにかくアインシュタインはそういう法則を見だしたわけです。

                    

<エネルギー不滅の法則>

 話を戻しますと、この法則によって、「宇宙の総エネルギー量は一定で不変」という事実も見出されたことになります。

 どういうことかというと、宇宙にある物質はすべてエネルギー量に換算できるわけです。それに現時点でエネルギーとなっている量を加えると、宇宙にあるエネルギー総量が算出できる道理です。

そしてそれは物質とエネルギーの比率の如何に関わらず、一定不変であることになるでしょう。
稲盛さんが「エネルギー不滅の法則」というのはこのことのようです。

 ここでもう一つ付言すれば、物質をエネルギーに換算するという考えは、アインシュタインの思想にも沿っているようです。彼は「物質はエネルギーの一形態」といっていたそうですから。

 つまり、物質とエネルギーとではどちらがベーシック(根底的)か、ということになったら「エネルギーが根底」と考えていたとみていいでしょう。いうなれば物質とはエネルギーが凝固したようなもの、というイメージですね。

                    


<道ばたの石ころも必須存在物>

稲盛さんはこれをもちいて、人間には存在価値があると論証します。

つまり、エネルギー不変という知識を使うと、道ばたに転がっている一つの石ころでさえまも、定まっている宇宙のエネルギー総量を構成する必須要素ということになります。それが欠けると「宇宙のバランスが崩れる」から、と稲盛さんは言います。

 そうすると、人間の身体も同じく宇宙のバランスの為の必須存在物となります。稲盛さんはこの様に科学知識をもちいて「かくのごとく、人間には宇宙にとって不要な人は一人もいない、すべての人が必要あって存在してるんだよ」と論じられるわけです。

 
なお、宇宙のバランスが崩れるとはどういうことか、科学的に詳論してくれ、という批判は、無意味です。稲盛さんは「哲学」を形成しようとしているのであり、哲学にはそれで十分だからです。

                    


<シャカはそれを「縁」といった>

 稲盛さんは、そのことをシャカは洞察していた、とも述べています。お釈迦様はそれを「(すべてのものは)縁があって存在する」といっているのだ、と付言しておられます。

 「縁」とは仏教用語です。それは、「他が存在するから自分が存在し、自分が存在するから他が存在する、という相対的なつながりにおいて存在というものが成り立っている」ということを意味しています。

 稲盛さんは、自らの「哲学」を醸成するのに科学知識だけでなく仏教の知識をも大いに援用して行かれます。縁だけでなく仏教思想は、これからもっとでてきます。


                     



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