「稲盛『哲学』と聖書の思想」第7回です。
焦点は人間に絞られ、「よき人生」を送れる考え方に話が近づいていきます。
前回、稲盛さんは「創造主の創造の意志は愛であり、創造されたもののすべてにはその愛が存在の核になっているのだ」と考えたと述べました。
そうしたなかで、万物の霊長といわれる人間は、どのようなものとして創られているのか。
稲盛さんは、こう考えています。
<愛と欲望>
~~創造主は人間存在の核に、愛を植え付けているけれど、もう一つ欲望も植え付けている。 そういう風に人間を宇宙の一部として創造している。
けれども、創造主は人間のすべての行動を上からコントロールしているのではない。魂の中心になるもの(愛・欲望)だけを人間に与え、後は「自由」にしている。そして、この自由があるから、人間には煩悩が優先的に出てくる~~と。
<欲望から出る煩悩>
煩悩は仏教用語です。
稲盛さんはそれを、肉体を守るために必要な欲望から出るものだと捉えています。
~~たとえば食欲は、文字通り人間の肉体を守るものであるとして与えられている。
性欲もまた、老化し消滅する人間の肉体を、新しい肉体を作って守るものとして与えられている。
だがこれらの欲は、勝手に肥大化していく性質も持つ。人間は「自由」な状態に置かれているから、この欲望に自ら対処せねばならない。上手く処せられないと、好ましからざる心が様々出てくる。これが煩悩である(具体的にどんなものかは六大煩悩として後に示します)。
<叡智と知足>
~~他方、放置すれば肥大化する欲望ををおさえるのが「叡智」であり、それは具体的には「知足」の心となる、と。
~~この叡智も創主の愛の中に含まれている。創造主は人間に、自由を与えつつ欲望をよき方向に進化させることを望まれる。人は自由の中でこの創造主に自らを向かわせると、心を高めることになり、「足るを知る」ことになる、と。
(足るを知る、は「知足」といって仏教のキーワードです)