Sightsong

自縄自縛日記

権赫泰・車承棋編『<戦後>の誕生』

2019-05-04 10:23:32 | 韓国・朝鮮

権赫泰・車承棋編『<戦後>の誕生 戦後日本と「朝鮮」の境界』(新泉社、2017年)を読む。

本書には7つの論文が収められている。

日本共産党が戦後すぐに掲げたヴィジョンを後退させ、国籍のしばりにより排除された朝鮮への視線が希薄になってゆき、「民族」や「戦争責任」への問いが「普遍主義」へと変貌していったこと。

丸山眞男にとって、帝国日本の対外的膨張よりも、国内のファシズムの構造こそが関心の対象であったこと。

「敗戦」という神風は民主主義や平和主義といった普遍的価値の獲得に役立ったが、それはやはり戦争責任や加害への思想を深めることにつながらなかったこと。

戦後の日韓の交渉では、強制連行の戦争犯罪としての断罪にあたり、「応募」という実質的な官斡旋が問題の対象から外され、戦争犯罪が矮小化されてしまったこと。また、1942年から、企業による動員が朝鮮総督府による動員へと一元化されるのだが、それにより、企業さえも被害者の側に立ってしまったこと。

「平和憲法」において外国人が意図的に排除されたこと。また「公共の福祉」が労働者の抑圧などに利用されたこと。

小松川事件(1958年)において、日本の知識者たちの視線は李珍宇という個人の問題から普遍的な問題へと移りがちであったこと。また大島渚『絞死刑』(1968年)はすぐれた映画でありながら、陳腐なステレオタイプの韓国人女性を登場させることで大島の政治ヴィジョンを完成させる側面も持っていたこと。

こうして読んでいくと、戦後日本の「平和主義」という普遍的な価値として高く評価されてきたものが、個々の問題を忘却することで成立してきたのだということがわかる。

●参照
橋本明子『日本の長い戦後』
伊藤智永『忘却された支配』
服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
外村大『朝鮮人強制連行』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』
李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
『世界』の「韓国併合100年」特集


キム・エランら『目の眩んだ者たちの国家』

2019-04-14 19:07:21 | 韓国・朝鮮

キム・エランら『目の眩んだ者たちの国家』(新泉社、原著2014年)を読む。

本書には、セウォル号沈没事件について韓国の作家たちが寄せた文章が集められている。

これは事故ではなく人災の事件であった。2014年4月16日のことであるから、およそ5年が経つ。そんなに前だったかと驚いてしまうが、亡くなった299人の乗員・乗客はそのように忘れたり思い出したりすることもできない。絶望したり憤激したりする自由も残されていない。

作家たちは各々の言葉で何が起きたのかを探ろうとする。それはどうしても、新自由主義的なオカネの重視とドライな役割分担、でたらめな制度の運用、見て見ぬふり、ハンナ・アーレントが言うような人間の悪、責任逃れの方法が組み込まれたシステム、といったことに収斂する。もちろんその通りである。そして日本に住む読み手は、これを自分たちのこととして読まなければ何の意味もない。向こう側に隠しているものをこちら側に持ってくる行為、恥辱を恥辱として共有する行為がなければ。


金大煥『黒雨』

2018-09-04 07:50:26 | 韓国・朝鮮

金大煥『黒雨』(Sound Space、1991年)を聴く。

Kim Dae Hwan 金大煥 (perc)
Kang Eun Il 姜垠一 (ヘーグム)

大きな音量で聴くと、金大煥のパーカッションの鼓動のような感覚とが、大波のように、また空気のように、周囲を取り囲み、身動きが取れなくなる(本当)。かれは3本ずつのスティックを両手に持ち、マレットで長く大きな響きを、細いスティックで火花を創りだしている。生前にこのパルスを体感できなかったことが残念だ。

演奏は主にソロ、ときに姜垠一の弦楽器ヘーグムが入ってくる。これもまた、こぶしをきかせた歌や叫びのようであって、身体の内奥に届く。2013年の「ユーラシアンエコーズ第2章」で姜垠一を観たときには、空間を大きな断ち鋏で切り裂いていくようだと感じた。本盤を聴くと、さらにか細いほどの繊細さも同時に伝わってくる。

●金大煥
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
友惠しづね+陸根丙『眠りへの風景』
(2012年)
ジャズ的写真集(6) 五海裕治『自由の意思』

●姜垠一
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)


金時鐘『背中の地図』

2018-06-30 09:56:23 | 韓国・朝鮮

金時鐘『背中の地図』(河出書房新社、2018年)。

東日本大震災のあと、金時鐘はそのことを詩のかたちにしていた。

読んでいると、どうしても、金時鐘がごつごつとぶつかるように朗読する声が聴こえてくるようで、その速度で、言葉の数々を自分の中に放り込んでゆく。そこには巨大な自然の力を前にした、あるいは後にしての、呆然自失があり、また、地の底から沸きあがってくるような激しい怒りがある。

言葉とは怖ろしいものである。ひとつひとつにどきりとさせられる。「光の棘の祟り」。「天外の青い火」。人間に扱いきれない力を制御しようとしたことによるカタストロフについて、「眺めるだけの私」たる詩人が、棘のような言葉を紙に刻んでいる。

●金時鐘
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)


沖縄国際大学南島文化研究所編『韓国・済州島と沖縄』

2018-06-25 22:16:14 | 韓国・朝鮮

沖縄国際大学南島文化研究所編『韓国・済州島と沖縄』(編集工房東洋企画、2009年)を読む。

このような企画だからタイトルに入れざるを得なかったのかも知れないのだが、本書の中で沖縄についてはほとんど言及されていない。論文が8本収録されており、無理に沖縄とのつながりを見出そうとしつつ、それがないことを呟いているような有様である。ちょっとこれは問題があるのではないか。

またそれぞれの内容も、時代遅れだったり、単に魚介類のリストを並べているだけだったり(韓国語でのみ)、まあほとんど読み応えはない。

面白い発見はひとつだけ。済州島は火山島であり、島の多くが火山灰土壌で覆われている。一般に、肥沃度は非火山灰性土壌のほうが高い。そして、草刈歌の曲調を分析してみると、火山灰性土壌の場所では物悲しく、非火山灰性土壌の場所では明るいという。火山が人の行動を知らず知らずのうちに支配していたということである。

●済州島
済州島、火山島
済州島四・三事件の慰霊碑と写真展
済州島の平和博物館

済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』
(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊


済州島、火山島

2018-04-29 12:17:36 | 韓国・朝鮮

済州島は火山島であり、金石範の長編小説の題名にもなっている。もっとも高い火山は1950mの休火山・漢拏山(ハルラ山)であり、これは韓国の最高峰でもある。韓国はプレート境界近くでもないため、火山活動は限られているのだ。従って済州島は韓国の中では珍しい地形を持ち、そのためにリゾート開発もなされ有名な観光地になっている(観光客は減ってきているらしい)。

火山島であるためおそらく土壌は肥沃でもなく(松の木が目立ったのはそのせいか)、大きな産業もない。観光産業が発達したのはそのことの裏返しであるだろう。かつては貧困のため、1920年代に大阪との間に定期船「君ヶ代丸」が就航してからは日本に労働者が流出した。被差別の島でもあった。また、太平洋戦争末期には、日本の「本土」防衛のために捨て石として利用される計画があった。最近では南部の江汀という場所に、米軍の軍事計画に沿った形での韓国海軍基地が建設された。すなわち、沖縄と似たところが多い。

昔から、この島は女、石、風が多い「三多島」と言われている。石は火山岩であり、主に黒く気泡がたくさん入った玄武岩。これが風から農地や家を護るために石垣として使われている。また、お墓の周りも石垣で取り囲まれている。畑の中にお墓を作って死者・祖先を身近に感じ、またそのために撤去もできず周りだけ新しい農地というパターンも多かった。

まあ、とにかく石垣が予想を超えて多い。別に石垣の写真を撮りに済州島まで行ったわけではないが気が付くとカメラを向けている。ほとんどは無造作に積まれ、石の間に粘土や泥やセメントが詰められていたりはしない。昔の住居を保存した「城邑民俗マウル」に行ってみると、家の壁として使う場合には間に泥を塗り込めるようだったが、風が入っても困るし当然かもしれない。また、便所はお金持ちでなければ野外にあって、石で組まれており、排泄物が石垣の中にそのまま流されて豚の餌となる仕組みだった(高嶺剛『ウンタマギルー』は沖縄を舞台にしているが、そこに似たようなものが出てきた記憶がある)。

山口県の祝島も風が強く、石が積み上げられて間をセメントや漆喰で埋める練塀が多い。このルーツは、祝島と交流のあった国東半島ではなく、済州島にあるのだという(『風の民、練塀の町』)。見た限りの印象ではそれはよくわからないのだが、祝島は朝鮮通信使のルート上にもあったわけだし、そういった文化が伝播してきたとしても不思議ではない。

海沿いを歩くと柱状節理もある。また断崖絶壁もある。

島の南西部で、17世紀にオランダの船乗りヘンドリック・ハメルが難破して流れ着いた場所も見ることができた(かれはその後13年間幽囚され、のちに『朝鮮幽囚記』を書いた)。その近くには山房山(サンバンサン)という溶岩が下から盛り上がって出来た山があり、階段をひいひい言ってのぼると、上の洞窟に仏が設置されていた。仏の前には水滴が溜められ、山の女神が石になって流す涙だと伝えられていた。当然ひと口飲んだので長寿は間違いない。

北東部には城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)という海に出っ張った噴火口跡がある。空撮した写真を見ると見事なお椀型なのだが、やはりひいひい言ってのぼってみると、お椀の端っこしか見ることはできない。しかし奇妙な形の岩や海や下界の干潟を眺めることができて愉しかった。すぐ近くに、やはり海に突き出たソプチコジという場所があり、ここも歩くだけで愉しいところだった。

そんなわけで、さすがに自然の風景だけでも見どころが多い。今度来ることがあれば漢拏山も歩いてみたい。詩人の金時鐘さんは、四・三事件から逃れて大阪に辿り着き、機関誌『ヂンダレ』のメンバーになった。そのヂンダレとは山つつじのジンダレのことだろう。もうちょっと早い季節なら漢拏山にのぼればジンダレを見ることができるという。 

漢拏山

石垣の数々

昔の家と便所と犬(城邑民俗マウル)

お墓

柱状節理

セソカク

南部の絶壁

ハメルが漂着した海岸

山房山

城山日出峰

ソプチコジ

●済州島
済州島四・三事件の慰霊碑と写真展
済州島の平和博物館

済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』
(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊


済州島四・三事件の慰霊碑と写真展

2018-04-23 00:18:10 | 韓国・朝鮮

済州島の南部の海岸あたりで、昼食を取ろうとてくてく歩いていると、突然、道端に四・三事件の慰霊碑が現れた。安徳面(面は行政区分のひとつの呼び方)という地域の犠牲者を慰霊する碑なのだった。裏側には犠牲者の方々の名前がびっしりと彫られている。

当時、アメリカ・韓国警察は済州島の住民の多くをパルゲンイ(アカ)だとみなし、焦土化作戦として海岸線から5kmより内陸に居るすべての者を「害虫」だとして、多くの住民を虐殺した。しかし、海岸に近いこの地でも犠牲者が多かったということになる。あるいは韓国のみの選挙への反対運動のために出ていった人たちも入っているのかもしれない。

慰霊碑建立に伴う言葉が隣の石に掘られている。韓国語ができる友人に送って大意を訳してもらった。そこには、盧武鉉大統領(当時)が2003年になって史実を認め謝罪したことに加え、こんなことが書かれている。犠牲者は共産主義の何たるかを知らず、白も黒もわからず、それなのに殺されたのだ、と。それでは共産主義者であり、確固とした思想を持っていたとしたらどうなのか。このあたりが、かつて「アカ」と言われることが死を意味した戦後韓国社会だからこそのように思えた。

この2日後に、済州市(島の北部)の済州文芸会館で開かれていた四・三事件の写真展を観た。70周年を記念したものであり、講演なども行われているようだった。

そこに行くつもりだとタクシーの運転手さんに話したところ、こんなことを言ってくれた。四・三事件についてはいろいろな説がある。きっかけが韓国の警察側であったという人、あるいは、金徳三(「暴徒の主導者」と位置付けられている)が口火を切ったのだという人。複雑だからいろいろと勉強しないとね、と。

昨年(2017年)に開かれた「済州島四・三事件69周年追悼の集い」によれば、四・三平和公園(今回は行けなかった)には被害者1万4200人ほどの名前が刻まれた位牌が祀られている。しかし、その金徳三の名前は入っていないのだという。安徳面の慰霊碑についても、そのような線引きと無関係ではないのかもしれない。

写真展は2つの展示室に分けられていた。最初の部屋には、山中でとらえられた人たちや、連行されて集められた人たちの姿がある。遺骨の写真もあるがちょっと正視できない。処刑されている人は、上の金徳三と同様に「暴徒の主導者」たる李徳九であった。第2の部屋に展示されている写真は、生き残った体験者たちの姿。ひどい後遺症が残った人もいる。また、毎年行われているシャーマンたちによる慰霊行事の様子もあった。

韓国では、2008年に李明博政権が発足してから四・三事件への視線が歴史修正主義的なものに歪んでいったという(いまの「犠牲者」の中にもパルゲンイがいるとの攻撃)。朴槿恵政権を経てふたたびリベラルの文在寅が大統領になったことは、少なくとも、四・三事件の真相究明に向けては良いことだったのだろう。

Nikon P7800

●参照
済州島の平和博物館
済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』
(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊


済州島の平和博物館

2018-04-22 23:31:00 | 韓国・朝鮮

済州島の中西部にある平和博物館に足を運んだ。近くには茶畑や茶文化を展示するオーソルロクティーミュージアムがあり、うまい緑茶のアイスやロールケーキを食べることができる。宿のご主人は、茶の博物館のことは知っていたが、平和博物館のことは知らなかった。タクシーの運転手は、日本人ならそれを見て反省することも良いだろうと言っていた(と、通訳してくれた)。もちろん自然なことである。

最初に13分間ほどの映像を観る。日本軍が済州島に駐留したのは1945年はじめから敗戦までの1年未満に過ぎないが、それは大きな戦略上の意図を伴っていた。日本軍は済州道民を強制的に動員して洞窟陣地を作り、日本の「本土」防衛のための場所にしようとしていた。すなわち、済州島が沖縄のようになる可能性は十分にあった。映像では、動員された体験者が、手袋もなく掘ることを命じられ惨めなものだったと語っていた。

展示室の中には、日本軍の遺したものが主に展示されている。また日本教育に使われた教科書の横には、安重根の写真を載せた自国の歴史書も置かれていた。朝鮮戦争時に北朝鮮軍によって使われたロケット砲の残骸もあった。テーマが絞られていないのではなく、歴史をひとつながりのものとして見せようとするものと理解した。

外には、なんと、その洞窟陣地が保存されている。その一部には入ることができるのだが、戦慄すべきものだ。ここで戦争末期に虐殺や「集団自決」が起きていたかもしれないのである。

Nikon P7800

●参照
済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』
(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊


徐京植『日本リベラル派の頽落』

2017-12-30 10:05:59 | 韓国・朝鮮

徐京植『日本リベラル派の頽落』(高文研、2017年)を読む。

本書には、1989年から現在までの著者の文章が収録されている。テーマは、植民地主義、戦争責任、慰安婦、ナショナリズムといったものであり、これらの問題を気にかけていた者にとってはさほど新しいものではない。指摘は正鵠を得ており、それらが新しくないということが、日本において歴史の真っ当な共有が失敗してしまったことを如実に示している。

思索の数々は、それを記憶にとどめておき、深めてゆくべきものだ。

かつて小林よしのりは、侵略の手先となった皇軍の兵士を「じっちゃん」と呼び、感情を欺瞞的に肥大化させて日本の侵略責任や戦争責任をなきものにしようとした。しかし、著者が言うように、「罪」と「責任」とは異なる。手先が組織の決定や空気に抗えなかったからといって、そして「罪」に問われなかったからといって、「責任」は存在するわけである。すなわち大日本帝国の手先と市民とは無条件に同じとはできない。この差について、柄谷行人は個人と社会との間にある自由度を「括弧に入れる」ことによる態度変更を説いた(『倫理21』)。また、高橋哲哉は「責任」は「応答責任」だと明確に位置づけた(『戦後責任論』)。こういった知識人たちの思索を発展させずに、暴力的に歴史を歪め、忘却の彼方に追いやろうとする策動、すなわち歴史修正主義は、いまなお怪物のようになって生きながらえている。

これは著者にとっての「韓国人としての責任」についても同じであるようだ。韓国の兵士も、ベトナム戦争において、残虐行為を行った。

「私は、彼(※小林よしのり)とはちがって、自分を騙してまで「クソまみれ」の背中を立派だと思い込もうとしているのではない。自国の権力によって理不尽にも背中になすりつけられた「クソ」を、なんとかして拭いとるために努力しようとするのである。私の「韓国人としての責任」は、朴正煕や全斗煥と「同一化」して、彼らを「かばい」、彼らの罪に連座することではない。彼らやその残党と闘い、韓国政府にベトナムに対する公式謝罪と個人補償を実現させ、そうしたことを再び繰り返さないような社会に韓国を変えるべく務めることである。それが背中の「クソ」を拭いとる唯一の途だからだ。」

こういった「責任」についての考え方は、北朝鮮の拉致被害者問題についても、まさにブーメランのように戻ってくる。工作員が組織の一員として「やむを得ず」やったことだとして認めるのか。ましてやその罪や責任を無きものとして一方的に押し付けてきたとして、それを認めるのか。拉致被害者家族を政治利用しつつ、慰安婦や侵略の犠牲者を罵るのか。それはあまりにも非対称である。

●参照
徐京植のフクシマ
徐京植『ディアスポラ紀行』
高橋哲哉・徐京植編著『奪われた野にも春は来るか 鄭周河写真展の記録』
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』


李恢成『サハリンへの旅』

2017-11-12 11:48:07 | 韓国・朝鮮

李恢成『サハリンへの旅』(講談社文芸文庫、原著1983年)を読む。

サハリンの歴史は複雑である。1875年、樺太・千島交換条約により、日本はサハリンの領有権を放棄。アントン・チェーホフがサハリンを訪れたのはこの時期のことである。1905年、日露戦争後のポーツマス条約により、日本は南部を再度領有。1945年、ソ連が侵攻。1952年、サンフランシスコ講和条約により日本はサハリンにおける諸権利を放棄。

しかし、そのような大文字の歴史だけで語られるべきものではない。敗戦の際に、日本政府は、戸籍によって国籍を定めた(植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』)。このことは、大島渚『忘れられた皇軍』内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』などに描かれているように、皇軍として使った朝鮮人の切り捨ても意味した。またさらに、サハリンに入植させた朝鮮人の切り捨てをも意味したのだった。敗戦時の大規模な棄民政策であったといえる。

このとき、新たに定義された「日本人」は日本へと引き揚げた。一方、切り捨てられた旧「日本人」にとっては、移動はままならぬことになった。李恢成の一家のように、なんとかその中に紛れて日本に移り住んだ者もあった。そして李恢成は、朝鮮籍(韓国籍ではない)を持つ者として、生まれ故郷を訪問することができず、1981年になってようやく海を渡った。この小説はそのときの記録的なものである。

日本への引き揚げ時に残してきた義姉。生き別れた祖母。幼馴染。はじめて出逢う同胞たち。かれらとの触れ合いが、作家の心の中を検証するかのように、また、まるで匍匐前進するかのように描かれている。読んでいてちょっと苦しくなってくる。

わたしにとって李恢成の小説は、難しい文体でもないにもかかわらず、読み通すのに妙に時間を要する不思議な存在である。それはおそらく、大文字の物語や、タカをくくったような語りとは正反対の場所にあるからだろうと思える。むしろこの苦難の物語は時間をかけて一緒に味わうものだろう。たとえば、「民族問題における同情は、本質的に優越感のあらわれでしかなく、けっきょくそれは差別意識の温存につながる」という一文も、それゆえに重くのしかかる。

●李恢成
李恢成『またふたたびの道/砧をうつ女』
李恢成『伽揶子のために』
李恢成『流域へ』
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
小栗康平『伽倻子のために』


済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ

2017-04-23 20:51:10 | 韓国・朝鮮

日暮里サニーホールにて、「済州島四・三事件69周年追悼の集い〜講演とコンサートの夕べ」(2017/4/22)。

これまでも開かれていたことは認識していたがなかなか足を運べず、今回がはじめてである。会場には永田浩三さん(武蔵大学)もいらしていて、ご挨拶し、隣の席にお邪魔した。永田さんが済州島を訪れたときのこと、また、三河島コリアンタウンのこと祝島と済州島の塀が似ているとの話、吉田清治さんのこと(伊藤智永『忘却された支配』)など、いろいろなお話をした。

また、会場の後ろの方には、金石範さんの姿もみえた。

<第1部>「済州島四・三事件」民衆抗争としての意味を問う/朴京勲(済州道文化芸術財団理事)

<第2部>証言と歌でつづる「眠らざる島の或る物語」/歌:千恵LeeSadayama(藤原歌劇団ソプラノ歌手)、ピアノ:朴勝哲、語り:金順愛、松岡晢永(俳優)

朴京勲さんは版画作家でもあり、ロビーでは作品の展示がなされていた。この日通訳をつとめた李リョンギョンさんは「済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編」(2013年)で講師を務めていた方だった。

朴さんが挙げたキーワードは5つ。

1、パルゲンイ(アカ)。韓国で戦後アカと言われることは死を意味したわけだが、朴さんは、これを差別と排除の烙印だとする。朝鮮時代後期には「叛徒」、植民地時代には「不逞鮮人」、そして米軍政時代には「パルゲンイ」。アメリカは済州島の住民の多くをパルゲンイだとみなし、焦土化作戦(海岸線から5kmより内陸に居るすべての者を「害虫」とみなす)によってその1割を虐殺したのだった。重要なポイントは「線引き」。すなわち、「パルゲンイの被害者」は死んでも構わない存在であることを前提としており、「無辜な被害者」の関係者の側に入る者は安堵した。

2、位牌。済州島の四・三平和公園には被害者1万4200人ほどの名前が刻まれた位牌が祀られている。しかし、この中には、「暴徒の主導者」の名前は入っていない(金達三、李徳九ら)。かれらは犠牲者扱いもされていない。2008年に李明博政権が発足して以降、さらに、いまの「犠牲者」の中にもパルゲンイがいるとの攻撃がはじまったのだという。

3、武装蜂起。四・三事件は、反米救国運動であり、自衛的闘争であった。短期的には前年の1947年3月1日にデモ市民に警察が発砲した三・一事件以降、長期的には1945年8月15日の解放以降。また、抵抗の対象は米軍や警備隊ではなく、警察や(本土から送り込まれた右翼暴力団の)西北青年団だった。もとより権力奪取のためではなく、1948年5月10日の南側単独選挙を祖国分断につながるものとして無効化するためのものだった。1948年4月28日には平和会談がなされたのだが、それは決裂した。

4、5・10単独選挙、単独政府反対。済州島での反対により、全国200の選挙区のうち、済州島の2箇所のみが無効となった。平和会談の決裂は、この南側単独選挙に傷をつけられたことへの怒りによるものではなかったか。

5、死者たち。このように抵抗した者を、死んでまでも差別するのか。死んでまでも討伐するのか。死者を売る者がいるということではないか。

こういったことを踏まえ、朴さんは、以下の2つの課題があるとする。

1、加害者の究明。これが曖昧なままである。処罰のためではなく真相究明のため、具体的に、責任者、命令を下した者、手を下した者を明らかにすべきである。そのために、「抵抗権」を行使したのだということを位置付けたい。

2、白碑。済州島の四・三平和記念館の入り口には、「四・三白碑」があるという。いまだ刻む言葉が明確ではないということである。

朴さんは、70周年のスローガンは、「歴史に正義を!四・三に正名を!」だとする。これはまさに、歴史修正主義が跋扈する日本にも共通して求められる視線ではあるまいか。なお、四・三事件については、1988年に東京ではじめて追悼式典が行われ、それが歴史究明の先鞭をつけた面もあるのだという。

いまの問題意識や、日本にも通じる歴史修正主義への抵抗など、新たな視点を与えてくれる講演だった。

朴京勲さんの版画作品

●参照
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
文京洙『新・韓国現代史』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金時鐘講演会「日本と朝鮮のはざまで」
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
梁石日『魂の流れゆく果て』
(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
三河島コリアンタウンの伽耶とママチキン
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」
「岡谷神社学」の2冊


キム・ソンス『アシュラ』

2017-03-26 23:51:02 | 韓国・朝鮮

エドワード・ヤン『クーリンチェ少年殺人事件』を目当てに出かけたのだが、1時間前なのに早々と満員御礼。どうでもよくなって、同じ新宿武蔵野館にて、キム・ソンス『アシュラ』(2016年)を観る。

不正まみれの市長一派と、かれの悪事を暴こうとする検事一派との激しい抗争物語。暴力描写がひどすぎてもうウンザリだ。

それはそれとして、俳優陣はなかなか。主役の暴力刑事チョン・ウソンは、『グッド・バッド・ウィアード』や『レイン・オブ・アサシン』のイケメンよりもこのくらいの汚れ役のほうがスクリーンに映える。検事役のクァク・ドウォンは『弁護人』の軍人と同様にひたすら憎たらしい。

よく考えたらバイオレンス物は苦手なのだった。


伊藤智永『忘却された支配』

2017-02-13 23:18:04 | 韓国・朝鮮

伊藤智永『忘却された支配 日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店、2016年)を読む。

日本による朝鮮の植民地支配時代、多くの朝鮮人が実態的に強制労働させられた。実態的に、というのは、最初(1939年-)は企業の「募集」という建前だったが、その実は、朝鮮総督府のもとで警察組織が強制的に多くの者を連れていったからである。この制度はやがて建前が内実に合わせて「官斡旋」に変えられている(1942年-)。(このあたりの実状は、外村大『朝鮮人強制連行』に詳しい。)

そのうち少なくない者が厳しい差別的な職場で働かされた。結果として多くの死者が出て、また、そのことは郷里にも知らされず、ろくな埋葬もされず、死んでからも差別された。

本書の表紙にある山口県宇部市西岐波の長生炭鉱はそのひとつである。ふたつの通気口の間にある坑道の事故により、183人が生き埋めになった。犠牲者の4分の3は朝鮮人労働者であったという。ここはわたしの故郷の近くだが、暮らしていたころには、事故のことも朝鮮人労働者のこともまったく知らなかった。長い時間が経ったからばかりではない。視えない構造ができあがっているのだ。

地元の人びとや、研究者たちが、それぞれの場所において、地道な活動によって実態を追及してきた。そのような中で目立つ言説は、たとえば、「みんな同じ日本人であった、差別などなかった」とするものや、「かれらの貴い犠牲が発展の礎になった」とするものなどであった。しかし実態として犠牲のかたちには大きな差が出ている。また、亡くなった者には、「貴い死」などを選ぶ自由も、「礎」になることを選ぶ自由もなかった。これは一方的な物語なのである。

いくつか気になることや心にとめておくべきことがあった。

●福岡県桂川町の麻生(吉隈)炭鉱。この跡地には無縁墓地があり、500体あまりの遺骨の3分の1が朝鮮人労働者のものであった。つまり日本人との共同墓地であった。しかしこのことが明るみに出た1985年当時、ほとんどが朝鮮人労働者の遺骨だとのセンセーショナルな報道がなされた。慰安婦証言の「吉田証言」によって歴史の姿を極端(大袈裟)から極端(無かったことにする)へとねじまげた吉田清治氏が、ここにも絡んでいた。吉田氏に騙されたことについて、林えいだい氏はひどく悔やんでいるという。林氏の活動を取り上げた映画(西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』)でも、約500体の遺体は主に朝鮮人労働者だと説明していたと記憶しているのだがどうだろう。

●三重県熊野市の紀州鉱山。ここには、タイとビルマの間を結ぶ泰緬鉄道の建設のために酷使されたあとの英国人捕虜が連れてこられていた。かれらは全員、刻銘された墓に弔われている。連合国側の心象を良くするためであったとも言われているようだ。その一方で、仲間であったといいながら朝鮮人労働者については通名しかわからず故郷も判明していなかったりもする。ここにも差別があった。(ところで、泰緬鉄道の建設現場においても、植民地出身者が戦犯として差別される姿が、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』に書かれている。)

●なお、同市において、関東大震災直後のデマによる朝鮮人虐殺事件(加藤直樹『九月、東京の路上で』など)があったわずか2年後に、ちょっとしたきっかけで「仕返しにダイナマイトでやられるぞ」とデマが飛び、同じ構造による朝鮮人虐殺事件が起きている。

●日清戦争(1894年-)のはじまりは、朝鮮の農民戦争(かつては「東学党の乱」と矮小化されていた)に対する近代兵器での虐殺であった。日本側の戦死者はわずかに1人。その1人でさえ、歴史の修正のために、清国との戦いで亡くなったという改竄がなされた(中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』井上勝生『明治日本の植民地支配』に詳しい)。しかし、その証拠は、高知市にある軍人の墓石に残されていた。

●参照
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』
内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』
李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』
泰緬鉄道
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』
大島渚『忘れられた皇軍』
スリランカの映像(10) デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』(泰緬鉄道)
服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
外村大『朝鮮人強制連行』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
『世界』の「韓国併合100年」特集


『死者への巫儀/珍島シッキムクッ』

2017-02-07 23:12:18 | 韓国・朝鮮

『死者への巫儀/珍島シッキムクッ』(JVC、1991年)を聴く。

金大禮(巫歌)
朴乗千 (杖鼓)
姜俊燮 (大鼓)
朴乗元 (杖鼓)
金** (大*)
李宗大(篥*)
洪玉美(奚琴)
李太白 (牙箏)
鄭叔子(巫歌)

目当ては金大禮の声を浴びることである。

ここでは、死者の魂から怨を解き放ち、極楽往生できるようにするための「クッ」、つまりシャーマン儀式を繰り広げている。この、ばっくりと開いた黒い穴に呑まれてしまいそうな音の展開がすさまじい。太鼓や笛が寄せては返す波のように、魂ごと持っていかれるサウンドを形成する中で、金大禮が頭蓋全体を響かせる唸りが、耳の周りでこだまする。

しょせんは部外者なのだが、このような儀式に立ち会ってみたいものだ。

●参照
金大禮『天命(Supreme)』(1995年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
パンソリのぺ・イルドン(2012年)
金石出『East Wind』、『Final Say』(1993、97年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、94年) 
イム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』(1993年)
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅 


金大禮『天命(Supreme)』

2017-01-08 11:13:54 | 韓国・朝鮮

金大禮『天命(Supreme)』(Sound Space、1995年)を聴く。

Kim DaeRye (vo)
Park ByungWon (piri, vo)
Kim GiBong (jing, piri)
Park DongMae (janggo, vo)

金大禮(キム・デレ)は韓国・珍島の歌い手である。

女性ではあるが男性のような迫力のある声だ。腹の底からなのか、全身からなのか、生命力のようなものが喉を伝わり、頭蓋と上半身を震わせた音が絞り出される。これはコブシと言うには単純に過ぎるだろう。そして他の歌い手や、太鼓や、笛の音とともに共鳴し、声が絞り出されている途中にもその性質や音量が変貌してゆく。とんでもない。

先日、里国隆のドキュメンタリー『黒声の記憶』について齋藤徹さんに話したところ、テツさんが、里国隆に似た歌い手として挙げた人である。テツさんによれば、彼女はムソク(シャーマン)の家系ではないが啓示を受けてムソクに入り、練習の途中で声が変わったところで「今、神が降りました」と言ったともいう。また、彼女のチン(jing、銅鑼)の手で持つところは髪の毛であったともいう。さらには、CDで聴いてもこの迫力に魅せられるのではあるが、このバイブレーションは周囲に居た人を巻き込んだはずだ、とも(里さんについても、近くで聴くと、苦痛で逃れられないような体験であったとの証言があった)。

調べてみると、2011年に亡くなったようだ。

●参照
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
パンソリのぺ・イルドン(2012年)
金石出『East Wind』、『Final Say』(1993、97年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、94年) 
イム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』(1993年)
『人はなぜ歌い、人はなぜ奏でるのか』 金石出に出会う旅