Sightsong

自縄自縛日記

須川崇志『Outgrowing』

2019-02-16 22:17:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

須川崇志『Outgrowing』(Song X、2017年)を聴く。

Takashi Sugawa 須川崇志 (b, cello)
Leo Genovese (p)
Tom Rainey (ds)

強く印象深く感じるのは、三者三様の個性が同じフィールドに重ね合わされて、1+1+1=3以上の別の響きを生み出していることだ。別のものにはトリオならではの音風景も含まれる。

トム・レイニーを観ればわかることだが、意外なほどに豪快なドラミングだ。それは何かを絶えずドラムセットから叩き落とすようでもあり、そのことが、滞留する音を同じようにはじき飛ばし続けているのかもしれない。須川さんのベースとチェロは常にゼロと1との<間>にあって、それは単なる結果ではなく、力への信仰や大きな音への信仰を入念に排除し、流れをコントロールする紐を握り続けているように思える。レオ・ジェノベーゼもまた、ノリや継続性といった安寧には陥らない。

終わるとまた聴きたくなるのは、そういったことにより、簡単に何かに置き換えられないからだろう。

●須川崇志
本田珠也『Ictus』(2017年)
TAMAXILLE『Live at Shinjuku Pit Inn』(2017年)
須川崇志+ロッテ・アンカー+キャスパー・トランバーグ+ラース・グレーヴェ@下北沢APOLLO(2017年)
蓮見令麻@荻窪ベルベットサン
(2015年)

●レオ・ジェノベーゼ
エスペランサ・スポルディングの映像『2009 Live Compilation』(2009年)

●トム・レイニー
トム・レイニー・トリオ@The Jazz Gallery(2017年)
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
イングリッド・ラブロック+トム・レイニー『Buoyancy』(2014年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
マーク・ドレッサー『Unveil』、『Nourishments』(2003-04、-2013年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
サイモン・ナバトフ+トム・レイニー『Steady Now』(2005年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)
ティム・バーン『The Sublime and. Science Fiction Live』(2003年)
ティム・バーン+マルク・デュクレ+トム・レイニー『Big Satan』(1996年)


『けーし風』読者の集い(36) 沖縄のタネと農の行方

2019-02-16 20:52:12 | 沖縄

『けーし風』第101号(2019.1、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2019/2/9、秋葉原/御茶ノ水レンタルスペース会議室)。参加者は7人。

話題は以下のようなもの。

●種子法の廃止。農家は自前のものを使えず、毎年企業からタネを買わなければならない。それが大問題だとして、しかし一方では、自前のタネを準備することの大変さがある(時間、土地)。
●対象の「種子」には畜産まで含まれる。本誌にはさらりとしか書かれていないが(p.41)、本当ならば大問題。
●沖縄の在来種。ヤギ、鶏チャーン、今帰仁の健堅ゴーヤー、アグー(あぐーとは異なる)、ナーベーラー、オクラ、島大根(海辺の砂地で育つもので10kgくらいあるとか)、島バナナ。
●サトウキビ等のモノカルチャーの問題。琉球王国時代に遡る日本からの強制という歴史があり、これまで米国によるものだという雑な言説。
●日本は欧米でダメだしがされたものを無理に導入することが多い。遺伝子組み換え作物、原発、水道民営化。
●岸信介は周知のようにCIAのエージェントだったが、意外にも、アイゼンハワー大統領に対し、復帰に際し沖縄の基地を撤去してほしいと要請した史実がある。しかし拒否された。
●嘉手納弾薬庫からジョンストン島への毒ガス輸送(レッドハット作戦、1971年)(>> 
森口豁『毒ガスは去ったが』)。このとき枯葉剤も同時に運ばれていたのだが、最近のジョン・ミッチェルの取材により、米軍は枯葉剤を沖縄近海に投棄した可能性がある。
●沖縄での事故や犯罪はひんぱんに隠蔽される(選挙への影響回避等のため)。読谷村で米兵が住居侵入し、女子高生が妹を抱え窓から逃げた事件(2018/9/7)も、知事選への影響を懸念してか、当初は隠されていた。
●米軍は津堅島でパラシュート降下訓練を実施した(2018/11/20)。本来は伊江島に限られるはずの訓練であり、日米合意がはなから守られていない。
●糸数慶子引退。一方で社大党は参院選に向けて高良鉄美(琉大)に一本化。もとより党内での軋轢があったのでは。また「オール沖縄」が瓦解しつつあるのでは。
●衆院補選(2019/4/21)への屋良朝博の集票は、今後に向けた試金石になるだろう。しかしバックについている鳩山由紀夫が沖縄でのイメージを非常に悪くしており(外務官僚に騙されたと毎回言うのも自己防衛のようだ、と)、また、鳩山一郎による沖縄の捨て石発言も、高齢者の記憶に残っている。
●辺野古の県民投票。結局、三択になってしまった。「どちらでもない」に票が集まり、それが「声なき声」のように都合よく利用されることが懸念される。自民党の戦略は諦めムードの醸成であり、若い人は事実シニカルになっている傾向がある。
●辺野古の弱い地盤の問題。政府は杭を8万本打つと言うが、神戸空港は120万本。関空も同程度。また環境アセス法にも抵触(桜井国俊氏もそのように発言している)。
●マティス国防長官が辞任したが(2019/1/1)、次の候補のひとりは辺野古について「やめたほうがいい」と発言している模様。建設を急ぐのにはこの背景もあるのでは。
●辺野古埋立の土砂から放射性物質が検知されたとの報道。県は採石業者の立ち入り検査を要請しているが、土砂条例ではそれは命令ではない。福島から来たものである可能性はないのか。

参照
『けーし風』 


大野英士『オカルティズム』

2019-02-16 19:19:34 | ヨーロッパ

大野英士『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』(講談社選書メチエ、2018年)。

著者には『ユイスマンスとオカルティズム』という大著がある。それは、19世紀の作家J・K・ユイスマンスが展開した世界をもとに、フランス革命による「王殺し=父殺し=神殺し」が、キリスト教のマリア信仰やオカルティズムを生み出したのだということを示すものだった。一見異端で禍々しく見えるものであっても、それらは歴史の因果関係において相互につながっている。

そのこともあって、本書を読むにあたり、ユイスマンスの悪魔主義の作品『彼方』(1891年)と、ノーマン・メイラーがそれをシナリオ作品にした『黒ミサ』(1976年)を読んで、オカルトへの熱狂に頭を馴らし、準備体操とした。しかし、本書の扱う範囲ははるかに広い。

17世紀のフランスにおいて、黒ミサが教会の異端審問によってではなく国家権力によって、またあやしげなものだった薬が国家管理の手に移された。これが権力構造の大転換だとしても、その後も、非理性・非科学は近代オカルティズムとして命脈を保ち続けている。ときには科学者たちが真剣に取り組む対象でもあった。現代のそれは「超能力」であったり、「超常現象」であったりとさまざまだ。

著者は歴史を遡る。16世紀ルネサンスのオカルティズムは、マクロコスモスとミクロコスモス、いろいろな相が「相似」であることを見出す言説に依拠していた。そしてもっと踏み込み、ルネサンスとは単なるギリシャ・ローマの世界の復興ではなく、古代魔術の復興に他ならなかったとする。掘り起こされた古代においては、ヘルメス・トリスメギストスの権威がかなり高く位置付けられていた(プラトンよりも)。ルネサンス魔術が招喚しようとする存在はヘルメス学だけではなく、力を降霊術によって呼び出すカバラーなど、さまざまなものがあった。魔女狩りは16世紀後半から荒れ狂うわけだが、悪魔崇拝とは、体系的な民間信仰が悪魔学のイデオロギーで歪められた結果であったのだ、とする。

その後、悪魔は、19世紀初頭のゲーテ『ファウスト』がそうであるように、真実味の乏しい意匠にまで転落した。だからと言って単なる時代的熱狂であったわけではない。19世紀を通じて、思想や宗教や生活は、科学の発展と非理性への憧れとの間で常に引き裂かれることとなった。19世紀に流行した「流体」信仰(プラスやマイナスの精神が人の間を行き来する)、聖母出現、心霊術は、その結果ということだろうか。また現代に至っても、その自我の引き裂かれが、人の数だけ存在する妄想的世界観として乱立している。

しかし、それは単なる現象ではない。著者の言うのは、この変遷や闘いや引き裂かれは、人間の欲望の反映だということだろう。

「キリスト教という、西欧にとって知的・「霊」的生活を律してきた啓示宗教が、唯物主義、進化論等、近代そのものともいえる「世俗化」によって、命脈を絶たれた後、なお、死後の生を信じ、霊魂の不滅を信じるために、唯物主義・進化論を作りだした主導思想である「実証科学」を逆手にとって、なおも、「宗教」を持続させたいという人々の意志が、近代オカルティズムを現代まで行き延びさせているとはいえまいか?」

ところで、ユイスマンスは『彼方』を発表した後、ユダヤ陰謀史観をはっきりと打ち出すようになったという。ここにきて、オカルティズムとホロコーストとの関係が少し見えてきて、慄然とさせられる。19世紀オカルティズムの行き着いた先には、「陰謀論」も「全体主義的社会」もあったのだ。それさえも単なる反動ではなく、欲望のひとつのあらわれであった。

●参照
大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』
J・K・ユイスマンス『さかしま』
グッゲンハイム美術館のマウリツィオ・カタラン「America」、神秘的象徴主義、ブランクーシ


柳沢保正『カメラは時の氏神』

2019-02-16 11:58:20 | 写真

柳沢保正『カメラは時の氏神 新橋カメラ屋の見た昭和写真史』(光人社、2008年)。

ウツキカメラの創業者・宇津木發生氏への聞き書きである。著者の柳沢保正氏にはクラシックカメラ関連の著作が何冊かあり、『暗いっくカメラと遊ぶ』など愉しく読んだ。

話はあれこれ広がるのだが、戦後の国産カメラメーカーの事情はとりわけ面白い。アイレスは韓国人起業家がはじめたこと、その技術的な限界。対照的にミランダのオリオン精機は航空工学の専門家が立ちあげて技術的にかなり高いレベルにあった。

それにしても中古カメラ店がこの十年、二十年でどんどん消えていったことに、あらためて愕然とする。ウツキカメラ、新橋の大庭商会、神保町の太陽堂、新宿のダックビル、渋谷のKing-2、秋葉原のアプコラボ。そのきっかけはデジタル化であり、ネットオークションであった。しかしその一方で、東京に新しいお店も出てきている。