東京国立近代美術館で開催中の『民藝の100年』展を観てきた。可愛い飴缶付きのチケットを選んだりして(こういうものが好きなのです)。
民藝とは、なにも立派な職人や芸術家の作品でなくても、実生活で使われているものに美を見出す運動だ、くらいに認識していた。いやもちろんそれは間違いではないのだけれど、今回の展示には実に多くの発見があって愉快だった。
運動が運動たるためには、他の地域や時代のものと比較するための条件が必要だった。それがたとえば他言語の習得や他国文化への接近であり(高等教育)、鉄道という移動手段であり(「裏日本」などを探索する)、視線の恣意的な変更であり(ミクロに視たり、切り出したり、置きなおしてみたり)、出版や美術展の開催であった(アーカイヴや視線の共有)。つまりインフラや文化の底上げがあってこその民藝運動、それは近代ゆえ成立するものに他ならなかった。それにしても、「郷土」という観念さえも近代の発明だと言われると驚いてしまう。
柳宗悦らは世界かぶれであり、日本語と英語をちゃんぽんで喋りながら鼈甲眼鏡に作務衣、まあ奇妙な集団が歩いていたとのこと。たしかにそのポテンシャルがあってこそ、長野の容器から北欧を思い出したり、沖縄の壺屋に朝鮮の村々を思い出すなど、新たな視線の獲得が可能だったのだろう。それに、河井寛次郎らは東京工大(現)の窯業科出身であり、近代の産業技術も運動には必要だったということになる。
そういえば2016年に沖縄県立博物館・美術館で観た『日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄』もおもしろかった。そこでの発見は、「日本側と沖縄側とがお互いに求めるものが異なっていた」ことだった。つまり視線のもとがどこにあるかも重要だということだ。
盛りだくさんだったこともあって時間不足。また観に行かないと。
●参照
アイヌの美しき手仕事、アイヌモシリ
「日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄」@沖縄県立博物館・美術館
短編調査団・沖縄の巻@neoneo坐
「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』