南方熊楠『十二支考』(岩波文庫、1914-23年)を読む。
2017年の国立科学博物館における南方熊楠展では「南方熊楠は、森羅万象を探求した『研究者』とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした『情報提供者』として評価されるようになってきました。」と書かれていて、たしかにアーカイヴの人だなと首肯した。ネット時代に生まれたらどうなっていただろう。この『十二支考』にしても、どこかに「締切がやばいなー、ただのコピペだと芸がないしなー」なんてことを書いていた記憶がある。実際そのような情報詰め込み型の本であり、おもしろい(ところもある)。意外に俗っぽく下品だったりもする。
たとえば蛇の呼称について。熊楠は本居宣長を引用し、小さくて普通のが久知奈波(くちなわ)、やや大きいのが幣毘(へび)、なお大きいのが宇波婆美(うわばみ)、極めて大きいのが蛇(じゃ)、俗に蛇というには遠呂智(おろち)。じゃあ大酒呑みを上回る大酒呑みは蛇(じゃ)か。ああ結局楳図かずお展を観に行かなかった。
蛇の眼といえば。「英語でイヴル・アイ、伊語でマロキオ、梵語でクドルシュチス」。経では邪眼、悪眼、見毒、眼毒など。熊楠はあれこれ悩んで邪視と定めている。ジョイス・キャロル・オーツの傑作小説『Evil Eye』は邦訳されて『邪眼』となったけれどどれがよかったか。
熊楠は神田錦町に下宿したことがあったようで、そのころ酒を飲んでは庭のイボガエルに石を投げて殺して遊んでいた(前職のオフィスがあったところは蛙がゲコゲコ鳴く場所でもあったのかと興味深い)。そのとき1匹殺すたびに次の蛙が出てきてまた殺し、4、5匹殺したとある。熊楠はそこから自分が殺されることもある話もあったと連想する。H・P・ラヴクラフトの怪奇小説みたいで気色が悪い。ラヴクラフトは熊楠の同時代人だが生前無名であったというし、熊楠はさすがにそこまで手を出していないだろう(読んだら書かずにはいられないだろうし)。
猿の章では、ヒンドゥー教の叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する猿神ハヌマーンについて。インドから魔王にさらわれてスリランカにいる妻を奪い返すため、ラーマはハヌマーンを派遣する。熊楠の興味は無事奪還した妻の貞節にあったようで、実にしょうもない。現代にいたらタブロイド判の新聞の下世話なコーナーとか熱心に読み漁っていたのでは。
鼠の章では、鼠を乗り物にするヒンドゥー教の神・ガネーシャの話に入り、かれの頭がなぜ象になったのかを熱心に説き、なかなか鼠自体の話に戻ってこない。なるほどこれではとっ散らかるのも仕方がない。
澁澤龍彦『高丘親王航海記』では、高丘親王は敢えて虎に食べられて天竺に行くのだけれど、澁澤は『十二支考』も読んでいたのかしら。熊楠は中東の話はリチャード・バートン版の『千夜一夜物語』を頻繁に引用しているし、バートン→熊楠→澁澤という博覧強記の人の流れを考えるとおもしろい。