韓国の人間国宝、故・金石出(キム・ソクチュル)のリーダー作を2枚聴く。
■ 『East Wind』(nices、1993年)
金石出のソロ作品。ヴォイス、様々な打楽器、そして胡笛(ホジョク)という笛。
最初の2曲はそれぞれ20分前後の長い演奏だ。1曲目は声と打楽器、2曲目はシンバルのように厚みの薄い金属の打楽器だろうか、リズムが大雑把とも言えそうな勢いで柔軟に変化する。時々朝鮮語で何かを宣言し、途中から打楽器とともに歌いはじめる。3曲目も声と打楽器だが、これは和太鼓のような音色で力強い。4曲目の打楽器は銅鑼のような音で、途中で中音域の太鼓を交えて再び銅鑼に戻る。声は朗々として裏声も見せる。
そして5曲目、ついに胡笛が登場する。コントロールが大変難しい、ダブルリードの笛だというが、ここで金石出は空気をたっぷり入れて朗々と吹く。周囲はその音を反響し、ひたすら気持ち良い。
ところで、解説を担当している湯浅学が文章を書いた『定本 ディープ・コリア』(幻の名盤解放同盟、青林堂、1994年)を、音楽を聴きながら読んでいると、あまりのバカバカしさに脱力しつつ、しかし漲る力を持った音が攻めてきて、何とも言えない気分になった。何しろ絵は根本敬である。
■ 『Final Say』(Samsung Music、1997年)
おもに太平簫(テピョンソ)という笛(胡笛と同じ?)による他の音楽家とのセッション集。
1曲目は、李廷植(イ・ジョンシク)のテナーサックス、ヴォルフガング・ プシュニクと梅津和時のアルトサックス、この3本のただならぬサックスの間を、まるで蛇のようにのたうつ。2曲目は、金石出は打楽器と笛とにより、プシュニクの吹くタロガト(ペーター・ブロッツマンも吹くクラリネットのような木管楽器)と絡む。即興だが、他の者のようなスキームを感じさせない。超然と哭くような雰囲気なのだ。彼岸が見える―――死に興味を持たない者にはつまらぬ演奏かもしれない。3曲目は、金属の打楽器4人の出す割れるような音と定間隔の低周波の響きの中を、笛が強くたゆたっていく。4曲目は、チャンゴという打楽器とのデュオである。これは和太鼓のような響きと端の固い箇所を叩く音がする。
そして白眉は最後の5曲目だ。何と金石出vs.金石出、多重録音である。絡みあっては、何度かの一瞬の静寂を置いてまた再開するスリリングさ。互いに摩擦するような絡み合いの音は、サイケデリックと言ってもいいほど奇妙にカラフルだ。2人の金石出がサックスと同様、唇を緩めて周波数を低くすると、終焉が見える。そして間もなくとんでもない演奏が終わる。