サウジへの行き帰りに、ジョイス・キャロル・オーツ『Daddy Love』(The Mysterious Press、2013年)を読む。
6歳の男の子ロビーは、突然、駐車場で誘拐される。母親ダイナは、息子をさらったバンを止めようとして、顔も身体も滅茶苦茶にされてしまう。誘拐犯は、「ダディ・ラヴ」と名乗り、ロビーを自分の息子「ギデオン」として育て、支配する。
この、ダディ・ラヴの狂気があまりにも怖い。まずは、顔と身体とが別個に開く木箱にロビーを閉じ込める。逃げようとすると銃で撃つ。友達作りを許さず、ギデオンに与えた犬が吠えると途端に銃殺する。やがて、ダディ・ラヴは、ギデオンを精神的に支配し、ギデオンは逃げる機会があっても逃げることができなくなる。
オーツは、短いセンテンスのひとつひとつにおいて「Daddy Loveは・・・」と書く。それは畳みかけるような技術であり、読む者にも強迫観念を抱かせるものだ。実際に、怖れながらも、次へ次へと読むことをやめることができない。しかも、この極端に独りよがりな「愛情」は、たとえその1パーセントであっても、おそらく誰もが身に覚えのある人間の狂気なのであり、だからこそ怖いのである。
ダディ・ラヴは、12歳になったギデオンに厭き、殺そうとする(彼の美意識では、もはやその年齢では純真さを失う)。ギデオンは逃げ、6年ぶりに発見され、親元に戻されることになる。しかし、時間は戻らない。母親の抱く恐怖は、また別の姿になっていく。このあたりの迫りくる描写もさすがである。
●参照
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』
林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』