練馬文化センターで、エグベルト・ジスモンチのソロライヴを観る(2016/4/20)。はじめの計画ではナナ・ヴァスコンセロスとのデュオであったところ、かれが急逝し、ジスモンチひとりだけになったという経緯があった。残念ではあるが、ならば代役は不要である。
Egberto Gismonti (g, p, 笙, fl)
冒頭に、笙によるシンセサイザーのような音の重なりを展開し、驚かされた。その後、ファーストセットは、ギター中心の演奏。
かれのギターは、繊細極まりない副旋律に力強い主旋律をかぶせていく。耳はふたつの物語を同時に追っていくのだが、一方、ノッてくるとそのふたつの旋律・物語が驚くほど有機的に絡み合い、そのままどこかに連れていかれるような感覚があった。ギターはときに軋み、ときにベースの働きもし、ときにナナのパーカッションが降りてきたりもした。メロディとリズムとが同列にあった。
フルートも吹いた。構造が工夫されたもののようで、倍音が出てきて、ギターに馴れた耳にとっては刺激剤だった。
セカンドセットはピアノ。ギター以上に、小さな小さな音を大事にする演奏であり、皆は息を呑んでかれを見つめていた。愉しげに転調を繰り返すピースもあり、また、「Silence」など故チャーリー・ヘイデンのナンバーも聴こえてきた。悼む友人は、ナナだけではないのだった。
そして最後の曲では、画面にスクリーンが降りてきて、そこに投影されたヴァーチャル・ナナとの共演。やり過ぎかと思ったのだが、それはまずいものになりようがなくて、胸にぐっとくるものがあった。